蒼月、沖天に坐す。八
騰蛇が全身より焔を放たんとしたその直前。
「にゃー」
猫ちゃんがとっとこ走って私の後ろに隠れます。
「にゃー」「にゃにゃー」「にゃにゃにゃー」
猫ちゃんたちがとっとことっとこ走って私の後ろに隠れます。
ヒスイがため息をつきました。
「分身だから逃げてこなくてもいいんだがな」
「可愛いから良いのでは?」
いつのまにか、小さな小鬼も転がる海栗も、黒い揚羽蝶も私の背後にいました。
そして爆発。昏い焔が膨れ上がって爆風と共に私の張った結界に当たります。私は霊力を振り絞ってそれに耐えました。
一分か、二分か。いや、実際にはもっと短い時間だったのかもしれませんが、爆発が収まった後、景色は一変していました。
道場の壁が、天井が吹き飛んでいたのです。
私たちがここに来たのは夕方でしたが、待たされたこともあって空はもう暗くなっています。頭上には星が瞬き、南東には黄色い満月が昇っていました。
「派手にやったな」
ヒスイが呟きました。
昏い焔の蛇が宙にとぐろを巻いています。
その後方、術を行使させた桐花ちゃんはもちろん無事。お父さまとお母さまのいる側は結界が張られていたので壁が残っています。二人はその結界に護られて、顔を引き攣らせてこちらを見ています。
私は額に浮かび上がった汗を拭い、気息を整えます。
私の前に張られていた結界が割れ、壊れました。桐花ちゃんが言います。
「ほら、騰蛇の力を思い知ったでしょう!」
「そうね」
「降参しても良くってよ」
私は笑みを浮かべます。できるだけ余裕に見えるように。
「それはこちらの言葉ですよ、桐花お嬢様。霊力がもう枯渇しているのでは?」
「お姉ちゃんを倒すくらいならまだ余裕よ!」
どうなのでしょうか。余裕ということは流石にあり得ないと思いますが、どこまで余力が残っているのかもまた私にはわかりません。
騰蛇は天井の落ちて広くなった空間を悠々と泳ぐように身をくねらせています。その度に鱗から火の粉か舞い散ります。
ゆっくりした動き。ですが蛇というものはそこから一瞬で襲いかかるものと知っています。
「残念ながら、ああなると僕では手が出せないな」
ヒスイが耳打ちしました。私は小さく頷きを返します。
ヒスイとは事前に話をしていたのです。ヒスイの能力や騰蛇の権能、桐花ちゃんの術師としての力など。作戦を練っていたとも言えるでしょう。
騰蛇が人型を保っているならヒスイが対処できると、しかし焔の化身の姿を取ったら、抑えることは不可能になるというのは分かっていました。
人間の術士とは異なり、妖や神という存在はいざ戦うとなるとその力の総量よりも相性の問題が大きく影響します。それは存在そのものに属性や性質が大きく関わっているからです。
例えばヒスイは金華猫という中国の妖をもとにして蘆屋道満によって創られた式神です。これが空を飛ぶ焔の蛇の化身である騰蛇と戦う場合、先ほどのような幻、分身で撹乱はできてもそこに攻撃力はありません。彼の物理的な攻撃力は猫としての爪牙しかなく、それは炎には通用しないのです。
一方の騰蛇はどうでしょうか。焔の身体は物理的な攻撃には無敵に近いでしょう。しかし明確な弱点があります。水剋火、水は火に勝つという五行の法則です。
そこに人間の強みがあります。人間の術士など、どれだけ優れていてもその霊力の量は騰蛇のような上位の式神には及びませんが、術の属性を選んで戦えばいい。
つまり、ヒスイは桐花ちゃんと、私が騰蛇と戦うのです。
「では手筈通りにしましょう」
「うん」
ヒスイはそう言いながら、私の頬に顔を寄せました。ざらりとした猫ちゃんの舌の感触。
「な、なな、何を!?」
「僕はもう妖力を使わないからね。お裾分け」
実のところ今、爆発を抑えるのに大きく霊力を使ってしまいました。私たちの分だけではなく、お母さまたちの分の符にまで霊力を込めていたからですね。
ヒスイの触れた頬から、霊力が補充されていきます。
「……ありがとう」
ヒスイはふんすと鼻を鳴らすと私の肩から飛び降ります。そして足下にいた猫ちゃんたちはひとところに集まると、ヒスイも分身たちも消え、書生さんの姿があらわれました。
彼は私を見下ろして、いたずらっぽい笑みを浮かべます。
「この格好での方が良かったか?」
「ばかっ」
私は彼の背中を叩きます。ヒスイさんは笑って、私の影の中にとぷんと沈むように消えていきました。
直後、私の眼前を焔が走ります。
「話は終わったのか?」
騰蛇です。遥か頭上、天井のあったあたりに巨大な蛇の頭があり、今よぎったのはその長い尾でしょう。
空気が焼けます。威圧感ゆえか灼熱ゆえか、対峙しているだけで呼吸すら苦しい。
「ええ」
「フシマチを下げて良いのか?」
私は新たに符を取り出して構えます。
「ええ、騰蛇。私、栗橋茉莉がお相手しましょう」
蛇が、長い牙を剥き出しにして笑みを浮かべました。




