蒼月、沖天に坐す。六
桐花ちゃんの身体から焔が湧き起こります。
それは霊力の焔、それは闇の焔。
「お姉ちゃんは私になんでもくれないとダメ!」
焔の中から桐花ちゃんの叫びが響きます。
焔は道場の床も桐花ちゃんも焼くことはなく、空間を闇に包むように。そしてその闇が晴れた時、桐花ちゃんの隣には燃えるような赤毛の男が立っていたのです。
「茉莉っ!」
一方のヒスイは猫の姿から人になると、私を抱きかかえて後ろに跳びました。一歩で十尺は跳んだでしょうか。人にはありえぬ跳躍です。
「ありがとう、ヒスイさん」
もちろん、私もぼうっと座っていたわけではありません。ちゃんと術で炎への備えはしてあります。でも、ヒスイさんが私を護ろうとしてくれたことは嬉しい。感謝の言葉を伝えました。
「茉莉、あの女の言っていることは支離滅裂だが……」
ヒスイさんの言葉に私は頷きました。
「わかっています。箍が外れて、霊力が増大している」
桐花ちゃんは自身の秘密が露見し、将来の危機という強いストレスを受けたことで、霊力を振り絞っているのでしょう。
あれは生命を霊力に返還して燃やしているようなもの。危険な力です。
「猫が人間に……? そこまで高位の式だったというの?」
お母さまは呆然と呟きます。
「あ、お前っ! わたしの邪魔をしたやつ……!」
桐花ちゃんはヒスイさんが以前会った男と気づいたのか、彼を指差して叫びます。
「お前がお姉ちゃんを誑かしたんでしょう!」
ヒスイさんはニヤリと笑みを浮かべました。私は彼に抱きかかえられているので、いま顔が見えている訳ではないのですが気配でわかろうというものです。
ヒスイさんは私の頬に自身の頬を寄せました。親密さを示すように。
「きーーーっ!」
桐花ちゃんが地団駄を踏みます。
「ヒスイさん、煽らないで」
「桐花、落ち着け」
私の声と騰蛇の声が被りました。
その騰蛇は数歩前に出て、此方を覗き込むように身を乗り出して笑みを浮かべます。
「いよう、マツリカ、それにフシマチ」
「こんにちは、騰蛇。私は茉莉花ではなく茉莉です」
「今の僕はフシマチではなくヒスイだ」
ふーん、と騰蛇は鼻を鳴らして言います。
「まあなんでもいいけどよ。お前たちじゃ俺には勝てねえ。分かってるだろ? 痛い目見る前に降参しろよ」
「お断りします」
「悪いようにはさせねえよ。たまに霊力くれるだけでいいさ」
「あなたこそ、私に乗り換えてもいいのですよ?」
騰蛇は大きく舌打ちを一つ。
「できねえよ、分かってるだろ?」
既に桐花ちゃんと契約していますからね。術士は複数の式神を使役できますが、式神側は二重契約できない理ですから。
「おい、フシマチ」
「ヒスイだ。僕とお前では式神としては同格だろう。だが、僕の力は戦闘に特化しているわけではない。同じ条件で正面から戦えば勝てないだろうな」
「分かってるじゃねえか」
二人が会話していると、桐花ちゃんがヒスイさんを指して叫びました。
「騰蛇! そいつをやっつけて!」
騰蛇の腕が蛇と化します。手は牙に、腕は炎の鱗もつ蛇の胴に。
彼が攻撃を仕掛けようとしたその刹那、ヒスイさんが言葉を放ちました。
「だがそれがなんだというのだ」
私の身体を疾風が走ったような気がしました。
それはヒスイさんが私のそばを駆け抜けて発生した風で、一瞬にして騰蛇の前に立ったヒスイさんはその右手を振り下ろしています。
その先端は炎を照り返してギラリと輝いています。手の指だけを、猫の鋭い爪に戻しているのです。
「はっ! お前の爪なんぞ怖くはねえよ!」
私には視認も難しい速度ですが、騰蛇はそれに反応してそれと切り結んでいます。獣の鋭さと蛇のしなやかさが、爪と牙が幾度も交差しました。
「はん! この前の藤田とかいうジジイの方がずっと強かったぜ!」
「……そうだな」
ヒスイさんは剣士ではありません。そして騰蛇が言ったように直接戦闘をするための式神でもありません。
騰蛇の牙がヒスイさんの白い喉に突き刺さり、そこでヒスイさんの身体がばらばらに砕けました。
「にゃー」「なー」「んにゃ」「みー」
違います。ヒスイさんは無数の黒猫に分裂したのです。
「なんだこいつら!」
蛇の牙がその一匹を貫きますが、それもまた分裂しました。
「にゃー」「なー」
猫が増えます。
「面倒くせぇっ!」
彼は無数の猫に囲まれながら腕を振り続けるのでした。
私の肩にとん、と軽い衝撃。
気づけば黒猫の一匹が私の肩の上にのっています。
「そりゃ正面から戦えばあいつのが強いのは間違いないさ」
「ヒスイ……」
「わかってるのに誰が正面から戦うものか」
私は笑みを浮かべました。
化け猫などというくらいですし、狸や狐だってそうです。動物の妖は人を化かすもの。
「さあ、すべきことをなすがいい」
ヒスイはそう促し、私は懐から符を取り出しました。




