蒼月、冲天に坐す。三
待つことしばし。いや、しばしというには長すぎる時間を待たされました。私は一人ぽつんと道場の中央に座り続けています。
一人です。ヒスイさんはこうおっしゃいました。
「猫がこんなに長い間、おとなしく待てるわけがないだろう」
そう言って猫の姿に転じて転がってしまったからです。今も道場の隅で転がって……いや、海栗の妖を転がしていますね。
その頭上を黒揚羽がはたはたと舞い、全部真っ黒なものですから、切り絵か影絵の動物たちが動いているようで、どこか微笑ましい光景です。
それを眺めているうちに、私たちが入ってきた扉とは逆側、母屋に繋がる方の扉が開かれました。
お父さま、お母さま、桐花ちゃんが入ってきたのです。
彼らは私の向かい合うようにして座ります。正面にはお父さまが座りました。
「待たせたな。茉莉」
「いえ、本日はお時間をいただきありがとうございます」
私は床に手をつき、頭を下げました。
「お姉ちゃん、おかえり」
桐花ちゃんは嬉しそうです。
「これ桐花さん、あのような女に声をかけてはなりません」
と、お母さまはこちらに視線も合わせずにたしなめます。
「少し、大きくなったか?」
「どうでしょうか。身長はそう伸びていないと思いますが」
「そうか、うむ……」
お父さまは言葉を濁します。おそらくは私に霊力も体力も戻ったこと、それにより気配が変わったのが原因ではないかと思います。
私は再び頭を下げました。
「倉橋家ご当主様、ここだけはあえてお父さまと呼ばせていただきたく思いますが、師範学校に通わせていただけたこと、梅お婆さまに預けていただいたことに関して感謝しております。私は自分の道を拓くことができたように思います」
「私は茉莉がこの御役目という世界から去ることを考えていたがな」
お父さまが提示した道は、私の霊力を落としきり、女教師という道に進むことでした。
私はおそらく教師にはならないと思っていますし、特に霊力に関してはもう失うことはない。そのつもりでこの場に来ています。
「ご期待に添えず申し訳ありません」
「いや、今さら私がこんなことを言っても仕方ないが、君は君の思うように生きるといい」
お父さまは顎を引き結ぶように頷かれました。きっとこれが倉橋の当主として、勘当した娘にできる最大限の謝罪なのでしょう。
お父さまも長年私を蔑ろにしていたという側面があるのは間違いありません。たとえそれがお母さま主導によるものであったとしても。
それ故の今さら、という言葉です。恨みがないと言えば嘘になりますが、ここでとやかく言う必要もないと思いました。
お父さまは言葉を続けます。
「この後、茉莉が何を言って何を為すのかはわからん。だがそれの始末はこちらで納めるようにしよう」
「はい、ありがとうございます」
「あなた、何を言っているの?」
そう、これからお父さまは苦労されるはずだからです。一方、お母さまは今回の状況について理解していらっしゃらない様子。
本来、術士であるお母さまの方がわからねばならないことですが……。
お父さまは私に問います。
「代わるか?」
「はい、これは術士としてのお話、御役目に関わるお話ですので」
お父さまが軽く頷くと立ち上がって、お母さまと位置を交換します。
お母さまが私の正面に座りました。
お母さまと真っ直ぐ向かい合うのはいつ以来でしょうか?
彼女は私を嫌い、私は彼女を苦手にして。こうして真っ直ぐ向き合う機会など、それこそ一年前のこの道場が最後だったのではないでしょうか。
「茉莉花……茉莉さん。お久しぶりです」
「はい、六花様。ご無沙汰しております」
私は再び頭を下げました。
「それで? 梅叔母様や土御門の宗家にまで連絡してまでわざわざ面会を求めるだなんてなんなのかしら?」
そう、私は倉橋家から公的に勘当された身です。本来、面会を求めたとて、両親はそれを断ることができる。
ですがそうさせないために、私は倉橋家の本流である京都の土御門家に書をしたため、こうして面会の場を作ることを確約させたのでした。
「あの汚い猫はあなたの式神?」
六花様は道場の隅にいるヒスイを指さして言いました。
「汚くはありません、毛並みが黒く美しいだけですが、はい。私は彼と契約しています」
お母さまは興味なさげにふうん、と声を発しました。
「まあ、こうしていても茉莉から霊力は感じるわ。それで? 霊力も式も手に入れたから、倉橋家に戻りたいということかしら?」
「いいえ」
お母さまはやはり理解されていない。
家に戻りたいというのであればそれは個人的な望み、あるいは家族間の問題です。土御門家宗家に願い出るなど恥でしかありません。もしそうしたいなら、私はただ家の前で許されるまで土下座をするだけでしょう。
「ではなにかしら? 早く言ってちょうだい」
私は気息を整え、腹に力を込めて宣言しました。
「私からの用件は一つです。倉橋桐花お嬢様が私に接近するのを禁じて下さい」




