蒼月、沖天に坐す。二
ξ˚⊿˚)ξ昨日、夏バテてサクッと寝ちゃった。皆さま体調にお気をつけて。
下足を脱ぎ、板張りの道場へとあがります。
きしり、と私の足下で柾目の杉が鳴りました。ヒスイさんは私よりもずっと大きいですのに、相変わらず足音が鳴らないことに少し頬を緩ませます。
ここの道場にあがるのは、ほぼちょうど一年ぶりになるでしょうか。
それは私の倉橋としての未来が閉ざされた日でもあります。そう、あの日は雨が降っていました。
倉橋の一族が、そして土御門の家からも使者が訪れ、色とりどりの傘が咲いていたのを思い出します。
彼ら、大人たちは皆、道場の壁際に並び、私と桐花ちゃんが最後に入ったのでした。
『お姉ちゃん、がんばろうね』
『ええ』
道場にあがる直前、桐花ちゃんの甘い励ましの声。両手で私の手を力強く握ります。
一方の私の声は緊張に、そして自分が失敗するであろうという確信的な予感により、硬く短いものでした。
人の熱気と湿度でむわりとした空気が頬を撫でます。
道場の中央に座るのは六花様、お母さまだけ。今日は術士としての集まりなので、お父さまはお母さまの背後に控えていらっしゃいます。私たちはお母さまに向かいあうように並んで座りました。
少しの間、屋根を雨が打つ音のみが響き、お母さまが宣言します。
『これより、式神契約の儀を執り行います』
そう、この日は私たちが術士として立つために式神を契約したことを、一族や土御門の本家に示すための日でした。
『では茉莉花から』
『はい』
まずは姉である私から呼ばれます。私は立ち上がるとお母さまの前に座り、符を取り出します。そして印を結び呪を唱え、最後に高らかに命じました。
『急々如律令、式神招来!』
私の言葉は、印を結ぶ所作は強く、正確であった筈です。しかし、それはただ空気を揺らしただけ。何の霊的現象を引き起こすこともありませんでした。
お母さまの視線が突き刺さり、周囲の声を潜めたざわめきが耳に届きます。
『全く力を感じぬな』
『かつては神童と呼ばれてもあれでは……』
お母さまが表情を無にしておっしゃる。
『そこまで。下がりなさい』
私は、もう一度、機会を願い出たかった。
ですが、お母さまの表情を見るだけで、それは叶わぬとわかり、うなだれるしかありませんでした。
もちろんこの時の私の霊力で、高位の式神を呼べるとは思っていませんでした。ただ、何も招来に応じるものがないともまた思えなかったのです。
無論、今ならわかります。
あの儀式のしばらく前から、桐花ちゃんが私に甘えるように触れてくる日が多かったこと。儀式の直前にも念を入れるかのように私の手を握っていたこと。
私の霊力を根こそぎ奪っていたのです。
自らの失敗と、霊力枯渇による体調不良により、おぼつかぬ足取りで元の場所に戻りました。
『次、桐花』
『はぁい』
何の緊張もない返答。
『急々如律令ー。式神しょーらい!』
私より拙いと誰もがわかる呪に所作。
ですが、その反応は劇的でした。
桐花ちゃんの前に置かれた符が燃え上がります。炎が燃えているのに道場の中はどんどんと光を失っていくよう。闇の中に焔が蟠ります。
そしてそれは桐花ちゃんの霊力を吸い上げて一気にその体積を増すと、天井に届かんばかりに伸び上がって空中でとぐろを巻きました。蛇の意志が道場に発せられます。
『俺を呼び出したのはお前か』
『そうよ! あはっ、これがわたしの式神……!』
額に珠のような汗を浮かべた桐花ちゃんの歓喜の声が響きます。
顕現したのは闇に浮かぶ焔の大蛇。
目にするのは初めてです。ですがこれが何を意味しているか、ここにいる誰もが理解していました。
『騰蛇様か……!』
『まだ十代半ばの少女が十二天将の顕現に成功しただと……』
『天才だ!』
そう、ここに集まっているのは安倍晴明様の末裔たち。これが彼の使役した十二天将の一柱であると誰もがわかります。
『桐花、契約を』
お母さまの声は、人前ということもあって抑えられ、威厳あるものでしたが、その裏にある喜びは隠しようもありませんでした。
『はあい、蛇さんお名前は』
『騰蛇』
式に名乗らせ、契約をする作法。桐花ちゃんが燃える蛇の額に手で触れました。その身の炎は契約者である桐花ちゃんを焼くことはなく、桐花ちゃんの身体からさらに霊力が流れていきます。
『ふ、甘露よな。また捧げるがよい』
そう言うと、光は戻り、炎の蛇も掻き消えました。
「はぁ……」
あの日のことは今でも鮮明に思い出せます。その後の祝いの席の記憶は曖昧ですが。霊力枯渇で私が途中で倒れたからでしょう。まあ、どのみちあそこに私の居場所はありませんでした。
「茉莉?」
「大丈夫」
ヒスイさんが声をかけてきました。その手は私の頬をまた摘もうかと、わきわきと動いています。
「どうしても昔を思い出してしまうだけ」
そう言って、無理してでも唇を笑みに持ち上げます。
「そうか」
でも、笑みを浮かべれば気分も上がるというのは確かなこと。
そう、私はいま、とても素敵な式神さんを伴っているのですから。
私とヒスイさんは並んで座り、倉橋家のみなさんの訪れを待ちました。




