蒼月、沖天に坐す。一
ξ˚⊿˚)ξ最終章です!
読みは、『そうげつ、ちゅうてんにいます』
その後、資生堂薬局を出て銀座の街をぶらぶらと散策しました。服屋で小物も覗いて、新しいリボンも購入します。
「リボン、ダメにしないでね」
「ふん、目の前でちらちらと動かしたりするなよ」
猫ちゃんですからね! 気をつけないと。
でも自信満々な様子でそんなことを言いだすヒスイさんに思わず笑みがこぼれます。
そんなことを話していると、陽が傾き始めた頃、黒い揚羽蝶がひらひらと地面近くを舞って、私の袖で翅を休めました。
「時間ね」
そう言えば、ヒスイさんは舌打ちしそうな表情を浮かべます。
私との逢引きが終わることを惜しんでいるわけでは、残念ながらないでしょう。おそらく揚羽蝶が好きではないのと、この後の予定を面倒に思っているのだと思います。
「では向かうとするか」
銀座を東に。向かうのは倉橋家、私の生家です。
倉橋の家は陰陽師の家系ですから、その家も元々は京の境町、御苑の側にありました。東京への遷都により、都の霊的守護に関わるために転居してきたのです。
もちろん、家を出たのはたったの半年前ですから、屋敷は何も変わっていません。
それでも屋敷の前に立てば、今や倉橋ではなくなった私をどこか拒絶しているように感じるのでした。
「ふぅ……」
私は門の前で大きく息を一つ。
「大丈夫か?」
「ええ、私が望んできているのだもの。大丈夫よ」
ヒスイさんが心配げに尋ねてくれましたが、大丈夫。心を落ち着かせているだけだから。
私は少しの間、瞑目してから声を上げます。
「ごめんください! 栗橋です。栗橋茉莉と申します!」
そう、今日は倉橋家と話し合いの席を設けてもらい、出向いたのです。
しばし待てば、下男が扉を開け、女中頭が出迎えに姿を見せました。
「お久しぶりです。どうぞ……」
「ありがとうございます」
私がいた頃と変わらぬ女中頭です。お母さまの命に従い、私に下級の女中がやるような雑用などを延々とやらせていた人物でもあります。
彼女は私を蔑むような視線で見やり、隣のヒスイさんを見て少し瞳を輝かせました。ヒスイさんは格好良いですからね。
「歓迎されてはいない様子だな」
「まあ当然、そうでしょうね」
客を出迎えるの一つにしても、その歓迎の具合というのはわかるものです。扉を叩いてから待たされる時間、家人が出迎えるのか使用人が出迎えるのか。
彼がいなかったら、もしかすると追い返されたりしていたかもしれません。
門から玄関に向かう途中の、使用人たちの視線は大半が無関心、一部は今さら何をしに来たのかというような負の感情を向けてきます。
まあ、想像していたとおりです。
「ふふ」
私は笑みを浮かべました。
一方で想定外に歓迎してくれたものたちがいます。屋敷に棲まう、悪意なき霊や小さな妖たちです。
『おかえりー』
『ひさしぶり』
私が幼い頃以来の長い間、その姿を見ることも声を聴くこともできなかった彼ら。
小鬼たちは庭の石の上で、鳥のような羽の生えた妖は松の木の梢からこちらを眺め、霊たちはちらちらと壁をすり抜けながらそばに寄ってきますし、海栗は地面を転がっています。
「……みんな、覚えていてくれるのね」
「妖の時間は人と同じではない」
呟けばヒスイさんから答えが返りました。
確かに、ヒスイは齢千年近いのです。数年など彼にとっては瞬きをするほどの短さなのかもしれません。
ここにいる霊なども、いつからここに在り続けているのか。
私はそっと彼らに手を振りました。
すると彼らも喜んで手などを振りかえしてくれるのです。
女中頭はそれに胡乱な者を見るような視線を向けてきましたが、彼女はそれには何も言わず、私たちを誘います。
「此方へどうぞ。中でお待ちください」
連れていかれたのは屋敷の母屋ではなく、道場でした。女中頭は両親たちに私たちの到着を伝えに行ったのか立ち去ってしまいます。
招かれざる客を家には上げないという意思表示でしょうか。それよりも、ああ、ここは。
「どうした?」
「いえ、ちょっと懐かしいだけです」
むにっ、と頬が摘まれました。もちろん、ヒスイさんによって。
「はひふふへふか」
抗議しようにも声になりません。
「懐かしいという割には顔が強張っている」
「ははひへ」
離して、と言っているのに、ヒスイさんは逆の手で逆の頬まで摘みました。痛くはない力加減ではありますが、これは女性にやって良いことではありません。
ヒスイさんはじっと私の顔を覗き込みます。
「僕はここで茉莉がどう扱われていたか知るものではない」
確かに、ある程度話してはいます。しかしそれは全てではないし、その時の感情、想いの全てが伝わるものではありません。
「だが、今の茉莉はそれに負けるようなものではない」
そう言って両の頬を僅かに持ち上げました。
「笑っていろ。お前はそれが一番美しい」
そう言って、すたすたと道場の中に入って行ってしまったのでした。
「ちょっと!」
私は慌ててそれを追うことになったのでした。きっと頬を赤くして。
ξ˚⊿˚)ξ注:史実の倉橋家はこの時期京都に屋敷があったかと思いますが、文中にあるように明治の遷都と共に都の霊的守護のため東京に居を移したという設定です。
で、それはそれとして。
【祝】書籍化決定。
ξ˚⊿˚)ξひゅーっ!




