張子の月に火は灯る。四
さて、アイスクリームソーダという飲み物は数年前にここ資生堂薬局で供されるようになった飲み物です。最近は他の店でも扱うようになりましたが、ここが元祖ということですね。
「冷たい……。 切子か? いや……」
ヒスイさんはアイスクリームソーダの器を持って目の高さに掲げています。
泡立つソーダの上に、白いアイスクリームがまん丸に浮いています。
「切子細工ではなくて、アメリカから輸入したグラス、というものよ。アメリカはご存じ?」
「存在は知ってる」
こちらではグラスやストローといった食器類もアメリカから輸入していると聞きました。本格派ですね。
その分お値段も高いのですが……。
ヒスイさんはグラスに口をつけようとしたので、私がストローから先に一口飲んでみました。甘く、刺激的なソーダの味が口に広がります。
ヒスイさんも真似てストローを咥え、しばらく考えていましたが、吸えば良いと気付いたようでグラスのソーダが減っていきます。
「どうかしら?」
「びりっとする」
炭酸って慣れないと刺激が強いですよね。お口に合わなかったかしら?
「でも悪くない」
「良かった」
そしてスプーンでアイスをひとすくいして口へ。
ヒスイさんの目がくわっと開きます。
「冷たい」
「アイスクリームです」
「アイスクリーム……甘い」
ヒスイさんは真剣な表情でアイスクリームを口に運び、ストローでソーダを飲んでいきます。
「気に入りましたか?」
「うん、おかわりしてやっても良い」
「おかわりはなしです」
「残念」
ヒスイさんの頭に、存在しない耳がぱたんと倒れたのが見えたような気がします。
思わずこう言ってました。
「私の分を食べますか?」
「いいのか?」
嬉しそうなヒスイさんにスプーンでアイスクリームを上げていると、嬉しそうな様子に笑みが浮かびます。
しかしこれは……。
周囲のお客さんたちから視線が寄せられているのが感じとれます。
ひょっとして、とてもはしたないのでは!
いけません、どうもヒスイさんは猫でもあるせいか、なにやらそのあたりの距離感がおかしくなっている気がします。
これはなんとかしないと……。そう思った矢先でした。
「茉莉さん?」
聞き覚えのある声がかけられました。
「まー、茉莉さん、なんてお熱いのかしら」
お友達の千代ちゃんです。
「違うんです!」
「何が違うものですが、一部始終、見てましてよ」
「知り合いか?」
ヒスイさんが問います。
「ええ、素敵な書生さん。茉莉さんのお友達で、千代と申しますわ」
「そうか。ヒスイという。よろしく」
「ヒスイさんね、初めまして。どちらの方か伺っても?」
「播磨の出身だ」
そういえば千代ちゃんは見たことのない男性ということを気にしていましたからね。
「千代ちゃん、ちょっといいかしら」
「あら、なあに?」
「ヒスイさんの家名についてはちょっと秘密にしてもらってもいい?」
「もちろん構わないわ。でもなぜか聞いても良くって?」
本来の理由は、千代ちゃんなら調べてしまえるし、調べそうだからです。そして調べられたら嘘だと、そんな人間はいないということがバレてしまうためです。
だからここは千代ちゃんが好む方向に誘導すれば良い。
「ここだけの秘密よ」
そう言って耳打ちすれば、いそいそと身を寄せてきます。
「千代ちゃんには前にお伝えしたけど、私の実家あるでしょう」
「ええ」
「彼はちょっとそこと対立している家の方なの。だから、ね?」
そう言えば千代ちゃんは、きらきらと瞳を輝かせてうなずきました。
「まー、ロミオとジュリエットじゃない!」
私は見たことはないですが、それでも名前くらいは存じているシェイクスピアの戯曲の名を挙げられました。演芸に詳しい千代ちゃんのことです。やはり食いついてきました。
一方、知るよしもないヒスイさんは訝しげに首を傾げました。
「ろみ男? 百合江?」
多分違うと思います。
千代ちゃんは私の手を両手で握りました。
「応援しているわ!」
「ふふ、ありがとう」
「でもあれよ、心中なんてしちゃ嫌よ」
来世で結ばれることを信じて共に死ぬ、なんて心中騒ぎは定期的に流行りますからね。
千代ちゃんは真剣な表情で私を見つめたかと思うと、すぐに力を抜きました。
「ま、でも大丈夫ね」
「もちろん大丈夫だけど、どうして?」
「今の茉莉って、出会った頃よりずっと魅力的だもの」
そうかしら。でもそうであったら嬉しい。そう思います。
「ヒスイさん、茉莉さんをよろしくお願いしますね」
「うむ、任された。なんと言っても茉莉は僕の主だからな」
ヒスイさんは真面目な顔をしてとんでもないことを言います。
確かにヒスイが式神であるということは、契約者の私が主かもしれないけど!
「まっ、倒錯的!?」
千代ちゃんは仰け反って驚きをあらわにし、私の顔を見つめました。私はふるふると首を横に振ります。
千代ちゃんは溜め息を一つ。そして私たちから離れました。
「まあ、私は行きますわ」
「あら」
「逢瀬を邪魔してはいけないでしょう?」
「逢瀬だなんて」
「今度、学校で教えなさいよね。詳しく。ではヒスイさんもご機嫌よう」
「うむ、また」
千代ちゃんは資生堂を後にし、私は絶対秘密にならないわよね、と頭を抱えたのでした。
ξ˚⊿˚)ξクライマックス前の章終了。次章が最終です。明日は休んで明後日からラストまでは連続更新でー。




