張子の月に火は灯る。一
あのあともう一度横になりました。まだ夜中ですし、体力は万全ではありませんでしたから、半日寝ていたとはいえ、またすぐに眠れました。
「逃げちゃだめよ。おやすみ」
そんなことを言いながら、猫の姿に戻ったヒスイを抱えて眠りについた。そのはずだったのです。
なんとなく人の気配を感じて朝の光の中、ゆっくりと瞳をあければ、そこにいたのは黒猫ではなく男性で……!
書生姿ではなく、夜着であろうゆったりとした黒に近い藍の浴衣に身を包んだヒスイです。私の真横で片肘をついて横たわり、私の寝顔を覗き込んでいたのです。
「おはよう」
朝からひぇぇぇ、と悲鳴をあげるはめになりました。
「顔が良いのがよくないです」
「顔が良いならいいじゃないか」
「寝顔を覗き込まれているの心臓に悪いです」
「それは顔の良さ関係なくないかね?」
そんな言い合いをしながら、朝の支度をし、私はヒスイを伴って階下へおります。お婆さまの部屋に。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
お婆さまは先に起きており、呪符をしたためていらっしゃいました。
文机に置かれた煙管の薄荷と、墨の匂いが鼻をくすぐります。
「キリの良いとこまでやるから座って待ってな」
お婆さまは除霊や討伐などの現場に立たれることはありませんが、その符は術士たちの間でも人気の品と聞きます。
はい、と答え座布団を用意して、お婆さまの机の向かいにヒスイと並んで座りました。
少し待てばお婆さまが筆を置かれて煙管を手にされたので、私は頭を下げます。
「お食事、ありがとうございました」
「食べられたのかい?」
私は頷きました。
「体調も、霊力も問題ありません」
「そうかね」
お婆さまは気のない言葉を返してきました。
これがお婆さまの在り方と今なら分かります。本心も真実も、全てを手の内に隠していらっしゃる。
私は居住まいを正して尋ねました。
「梅お婆さま、質問があります」
「なにさね、改まって」
「お婆さまは私の霊力を、桐花ちゃんが吸っていることを最初から知っていらした」
お婆さまは何もおっしゃいません。
当然であるからです。お婆さまは今年の正月にお会いしたその日のうちに、私を桶に喩え、大きな穴が空いていると言っていたのですから。
「今となってはなぜ私が気づけなかったのか不思議なくらいですが……」
「そういう力だからだ」
私の隣でヒスイが呟きます。
私が思わず、えっ、と問い掛ければ、ヒスイは窓の外を眺めています。代わりにお婆さまがおっしゃいます。
「蛭っているだろう。血を吸う」
「はい」
「あれに噛まれても、なかなか気づけないものさね。いつのまにかたっぷり血を飲まれている」
なるほど、寄生するような力を持つ能力者は、寄生されている側がそうと気づかれないようにする力を有すると。
「西方の吸血鬼は血を吸う相手に魅了をかけるという。そうでなくとも単に悪霊に取り憑かれていたとて、取り憑かれた本人は気づけぬものだ。だいたい周囲が先に異変に気づく」
ヒスイが具体例を出してくれました。
取り憑かれてひどく痩せているのに本人は不調に気づかないとかありますものね。私もその状態であったということですか……。
「自分で気づけとおっしゃっていたのは」
お婆さまはふん、と鼻を鳴らします。
「当然だろう?」
「はい」
私は頷きます。
「自分が霊力を奪われてることにも気づけないなら、術士として危うすぎるのですよね。それこそ敵対的な妖に寄生されたり、悪霊に取り憑かれていることに気づけないということですから」
お婆さまは煙管を咥えて一服なさいます。
薄荷の香りが強く漂いました。世の中の誰しもが煙草を喫する中、お婆さまが薄荷を吸われるのは術具が煙で汚れないようにするためとおっしゃっていました。そのあたりの繊細さもお婆さまの符が人気の所以なのでしょう。
私は言葉を続けます。
「しかし、それは私が術士になる場合の話ではありませんか? お婆さまは凪の巫女、私の霊力を失わせるのが目的であるはず」
ひひひ、とお婆さまは笑いながら煙管の先端をヒスイに向けました。
「茉莉よ。あんたの霊力を失わせるなら、猫又なんぞ拾ってくるのを許すものかよ」
あー……。それは確かに。実際、先ほどもヒスイから霊力の供給を受けていたわけですし。
「猫又じゃないぞー」
「あいにく、自己紹介されてないもんでね」
ヒスイが不満げに口にしましたが、お婆さまにあしらわれています。
「お婆さまは私の霊力を奪う気はなかった?」
「ふん、井戸の水を桶で汲み上げ切れるものかね」
井戸に溜まっている水は汲み出せても、水脈から水は流れてくるものです。私の霊力が回復しているのだから、霊力を失わせようとしても意味がないということでしょうか。
「水量が少なきゃあたしの術で堰き止めることもできるがね。あんたなんかは無理だよ」
「ではなぜ、私を預かったのですか。父……ご当主様から金子もいただいているのですよね?」
「あんたの親父も婿入りだからねぇ。こっちの世界を学んじゃいるが、本質的には理解しておらん。まあ、騙しているといえばそうかもしれんが、望みの本質は叶えていると思っているよ」
「本質……」
「あんたを保護することさ」
視界がぼんやりと滲みます。私は目をぎゅっと瞑ってから開けました。
「お父様は、私を護ろうとしてくださっていた」
「あたしからすれば遅すぎるとも思うし、不器用にすぎるがね」
まあ、それもその通りであるのかもしれません。私を倉橋の家から逃すならもっと早く出すことも可能であったはずですし、あくまでもお母様の意向の中でという動きでしかなかったのかもしれません。でも全く愛がなかったわけではない。そう思っておくことにしましょう。
そしてそもそも誰から護るかとなれば……。
「お母様と桐花ちゃんから……」




