臥待月の衛士。四
「会計係なんぞの放つ剣気ではないな」
騰蛇がそう言います。
折れた棒を構える、藤田五郎と名乗った用務員のお爺さんは笑みを浮かべました。
「なに、若い頃は仲間とやんちゃしてただけよ。それよりあんた、人じゃないな?」
「ほう?」
「分かるのですか!?」
騰蛇が感嘆した様子を見せ、私は思わず口を挟みます。
妖としての本性、騰蛇で言えば燃える蛇の姿は、霊力を持たぬ人間からは不可知であることも多い。普通の人間は寺社仏閣に行って神秘性を感じることはあっても、神を知覚することは叶わない。それと同じです。
しかし今、彼は人型をとっています。それは人に化けている姿なのであって、当然ながら霊力を持たなくても見ることができます。
彼の燃えるような赤毛は異相ではありますが、人でないと言い切れるほどのものではないでしょう。
お爺さんはこちらに視線をやることなく、ふん、と鼻を鳴らしました。
「威圧感はあるのに隙だらけだ。そりゃあ俺なんぞ歯牙にもかけないほどの達人だってこともありえるが、そうじゃない。あんた、身体の中心が腹にないだろ」
霊力を操る術も武術も下腹、つまり丹田を意識しています。騰蛇は空を飛ぶ蛇の妖。身体のつくりそのものが違います。
「そうだ、人間」
「名乗れよ、妖怪」
「妖怪ではない。十二天将が一、騰蛇だ」
トウダ、トウダ……。と用務員さんは呟きます。
「なんだ」
「いや、ちゃんと覚えとかないとな、あの世で何斬ったか自慢できねえってだけよ」
「ほざけ」
騰蛇の妖気が濃くなりました。戦いの体勢に入ったということです。
用務員さんも身体の正面、正眼に剣を構えました。両手で剣を握る対応力の高い構え。
私は剣士ではありませんし、武術も体術を護身程度の嗜みしかありません。しかし退魔の技には剣を使うものもありますし、落武者の悪霊には槍を持つものもいるのです。
よって、武術に対する知識はそこらの男子学生以上にはあるでしょう。
故にわかります。
正眼の構えは初心者もまずはそう構える基本的な構えではあります。しかしその構えがあまりにも自然、何億万回剣を握ればその境地に至るのかと。
しかし私ははっとします。感心している場合ではない。
「無理です、お逃げください!」
「馬鹿言っちゃいけねえ。ここで引いたらよ、士道不覚悟だ。歳さんたちに殺されちまうわな」
士道不覚悟……歳さん……。
「新撰組!?」
なんで幕末の剣客集団が用務員やってるんですか!
そう続けようとしてその声を発することはできませんでした。
「ツェァ!」
「はっ!」
私の不用意な声に反応して二人が動き出してしまったからです。
と言ってもそれはあまりにも刹那の動きで、それを認識しきれなかったのですが。
地面を蹴る音と破裂するような音が響き、二人がチィと舌打ちします。
「そう動くのかよ……」
「今のを避けるか……」
互いに驚愕の表情。
最初の位置で動きが止まり、頭の中で二人の動きがやっと理解できます。
用務員さんの裂帛の気合い。その声に反して動きは静謐。動きの起こりが知覚できず、一瞬で間合いを詰めたように思います。そして放たれたのは諸手の突き。
騰蛇の反応は僅かに遅れた筈です。しかし、人ならざる身の彼はその動きが違う。蛇の速度を以って反撃に出たのです。騰蛇の腕は鞭のようにしなり、伸び、空気を破裂させるような音を響かせました。
その腕は歴戦の妖をもを吹き飛ばす速度と威力があるのを知っています。
しかし、驚くべきは用務員さんです。
手にした棒を僅かに腕に当てた。しかし人の身で騰蛇の腕を完全に逸らせるほどことはあり得ない。
棒を当ててできた極僅かな時間で、あるいは当てた力も利用して元の場所まで後退したのです。斬った速度よりさらに速く。
「すごい……」
「よし、じゃあもう一丁だ」
私の呟きが聞こえたのかどうか。用務員さんは再び棒を構えて前に出ます。
連続する破裂音。
用務員さんは棒一本と体捌きで騰蛇の両の腕を凌いでいます。
攻防は一瞬で切り替わり、ただ用務員さんが劣勢。腕がしなるのです。およそ真っ当な剣術で相手どる経験など積めぬ相手でしょう。
用務員さんの額に血が跳ね、作務衣が刻まれます。騰蛇の爪は蛇の牙。その鋭さで傷が増えていくのです。
私は慌てて鞄から隠し持っていた符を取り出しました。
「は! 茉莉! お前もかかってくるか!」
騰蛇が目ざとくそれを見つけて叫びます。
用務員さんとの戦いにそれだけ余裕があったのでしょう。しかし、その僅かな隙ともいえぬ隙こそ、用務員さんの待っていた機だったのです。
裂帛の気合い。
時間が引き延ばされるような感覚の中、用務員さんの突きが放たれ、騰蛇もまたそれを待ち構えていたように迎撃の拳を放ちます。
騰蛇の腕の方が速い。
しかし用務員さんの動きが途中から変わりました。さらに剣が伸びたのです。
諸手突きから移行して身体を捻っての片手突き。
それは騰蛇の腕の内側を滑るようにして、彼の喉に吸い込まれていきました。




