臥待月の衛士。二
梅お婆さまにはうるさいよと追い返されそうになりました。上での話をして、せめて助言をいただこうと問いましたところ。
「ふん、あの猫の言っていることは間違ってないよ。修行をつけてもらいな」
「ええ、その言っていることが正しいのは分かっているのですが……」
お顔がよろしくてですね。とも言えません。どうしたものかと思っていると、両の肩を掴まれます。音も気配もなく背後に立った書生姿のヒスイに捕まったのです。
「では連れていくぞ」
「あえー」
私は持ち上げられるように上へと連れ戻されるのでした。ヒスイは言います。
「まあ、僕がちょっと触れたくらいで集中を乱すようではだめだな」
「そんなこと言われても……」
私がもじもじと目を逸らすと、ヒスイは私の顎にそっと触れて持ち上げます。
「こういうのが好みかい?」
そうして悪戯げな笑みを浮かべながら瞳をじっと見つめてきます。
私は金縛りにあったように動けなくなり、湧き上がる霊力が乱れ散っていくのが分かります。
くくく、と忍び笑いを漏らされました。
「初心なものだ」
「そ、そういうの良くないです! 不純です!」
「仕方あるまい。僕は美形である」
むう、自信満々にそう言われても困るのですが。はっ、と気づきます。
「そういう能力があるってこと? 傾城?」
「そうだな。流石に国まで傾けるほどではないがな」
「あ、悪妖であれば討伐しなければなりませんよ」
ヒスイは肩を竦めます。くっ、そんな仕草すら様になるのです。
「そうは言うが、人を誑かす妖なぞごまんといよう」
まあ、確かにその通りです。神にせよ妖にせよ、それを信じる者の心に最も強く働きかけるものですから。
今日はここまでにしよう。そう言うとヒスイは猫の姿に戻って、籐籠に潜り込んだのでした。
さて、翌日はもちろん師範学校です。
ヒスイにご飯をあげてからいつも通りに向かいます。
「ごきげんよう、みなさん」
「ごきげんよう、茉莉さん」
そういえば、先日書生姿のヒスイとミルクホールに行った姿は、幸いにも友人たちには目撃されていませんでした。
しかしどうやら私の知らない先輩に目撃されていたようで、それが私だとバレるのも時間の問題である気もします。
ただ、今日は話題の中心は別なようで。
「千代さん、昨日の火事は大丈夫でした?」
「ええ、ご心配ありがとうございます。こうして元気ですわ」
同級生から問われた千代ちゃんは、力こぶを作るような仕草で元気さをあらわします。
「火事があったのですか!?」
心配げにみながそちらに注目します。
「いえ、もちろん家ではなくてよ?」
言われてみればそれは当然ですね。昨日に自宅で火事などあったら、小火であったとしても、きょう学校にくることはできないでしょう。
「私の家は新宿の方なのだけれども、近くの神社で夜遅くに火事があったのよ。すぐに消し止められて被害はなかったのですよ。ちょっと煙とかは流れてきて恐ろしくは感じたのですけどね」
「まあまあ、それは大変でしたのね」
「ねえ。夜に火の手が上がっていて、心配してましたのよ」
みなさん、口々に文子さんにお声を掛けられます。神田からは火の手は見えませんでし、消防の鐘の音も聞こえませんでした。もちろん寝ていたためというのもあるでしょうけど。
新宿から比較的近くに住むお友達は知っていたようで、千代ちゃんに無事を尋ねたのでしょう。
しかし……。何やら嫌な予感がします。私は彼女に近づきました。
「千代ちゃん、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんよ」
私は彼女の手を取って、意識を鎮めて触れ合う手に意識を集中させます。こういうのは得意ではないのですが……。
「茉莉さん?」
霊障を探っているのです。千代ちゃんの身体に宿る五行が火と隠の気に傾いています。火事ですから火の気は当然、不安に思われれば隠に偏るのも道理ではあるのですが、自然なそれとは違うようにも思います。
私は千代ちゃんの手のひらに星を描いて、霊力を込めました。
隠の気が霧散していきます。
「おまじない? ……あら、本当に疲れが飛んだみたいね」
「良かったです」
その後の授業中も、ずっと気になっていました。
夜の神社に普通火の手はありません。もちろん放火する不埒者がいないとも限りませんけども、寺社仏閣での火災は稀な筈です。
そして私は火にして隠の気の持ち主を良く知っています。
私の拙い探査でも、千代ちゃんに残っていた気配とそれは似ていたのではないか。そんな予感がするのです。そう思うと居ても立ってもいられなくなり……。
「すいません、先生!」
「どうしました栗橋さん」
「早退させてください!」
「……理由は」
「たっ、体調不良です!」
先生はじろりと私を睨みつけました。自分で言っていてなんですが、どうみても体調不良ではない。
ですが、先生は頷いてくださいました。
「栗橋さんは欠席もしている。あまり多いと後に困るよ」
「はい、ご忠告ありがとうございます!」
そうして私は急いで鞄を掴み、先生と唖然としている友たちに一礼して教室を後にしました。
しかし、結果的にはその判断は遅かったのです。
校門には煤汚れた巫女服を羽織り、どこか虚な瞳の桐花ちゃんがいたのですから。




