欠けぬ望月などありはしない。
「なによ、お姉ちゃんのくせに!」
私は家に戻ると、両親や使用人らを遠ざけて、自分の部屋で叫ぶ。
「なによ、あの男!」
どこのどいつか知らないけどお姉ちゃんの肩を抱いて、しかも恋人だなんて!
そんな奴がいるから、お姉ちゃんを誠二さんの妾として囲っておくのが断られたじゃない!
私は枕や本を壁に投げつけ、叩く。そんなもので私の怒りが収まろうはずもない。
「ああっ、イライラするわ……!」
私は爪をぎりりと噛んだ。
お姉ちゃんの全部は私のものなのに……!
『この娘に寄生するな、蛭女よ』
あの男が最後に耳元で呟いた言葉が脳裏に残る。
何様のつもりよ!
「……はぁ」
だめ、冷静にならないと。
あの男は私を蛭と呼んだ。寄生するなとも。つまり、あいつは私の術が吸収であるということを調べ上げたのか、見破ったということ。私が秘密にしていて、誰にも伝えていない能力の本質を。
警察や探偵なんかが調べられるようなことではあり得ないけど……。最上位の術者、土御門の本家筋や伊勢、比叡、あるいは海外の魔術師や司祭、彼らならそれすらも看破する術を持っているのかもしれない。
あんな男、界隈で見たことはないけど……、でも梅お婆さまがあの男を知っていたのだ。何かの意図があってお姉ちゃんに近づき、私に警告したと考えるべきでしょう。
「ああ、もうっ!」
お姉ちゃんが妾になるのを承諾していればそんな横槍など入れられないのに。
ただ、これでしばらくはお姉ちゃんに近寄れない。これだけは確かだった。
そうして、あの日からはしばらく経ったわ。
お姉ちゃんから霊力を補充できなかったし、その後も様子を見ようと式を飛ばして覗こうとしたけど……。神田のあの家、そもそも梅お婆さまの領域で、術が使いづらいのよね。
それとよくわからないけど、猫の霊だかなんかに式が喰われたし。なんなのよもう!
でも、私の調子の良し悪しにかかわらず、御役目はまわってくる。
東京とその近郊の霊障や妖に関しては、全て倉橋にも情報が伝わるわ。そしてその量は全国でも最も多いの。当然よね、人が集まるところには霊も生まれるのですもの。
もちろん、その大半は倉橋が出張るまでもない雑魚の案件が大半よ。でも。
「桐花さんは最近、積極的に御役目を勤めていらっしゃいますね」
お母さまは言う。
「ええ」
「修行も以前より熱心なご様子。とても素晴らしいことだわ。でもあまりお疲れの出ないようにね」
「はい」
私を大切に、心配してくれているのは間違いないわ。
「あまり簡単な案件に出ていっては倉橋の名が軽く思われてもしまいますし」
……何も知らずに。
「滅しなさい!」
私の手が中位の妖を貫く。今日の相手が鬼だったか狐だったか、それはもう私の頭の中には残っていない。
流石は倉橋の次期当主だなどと騒ぐ声が聞こえる。
「……薄いわ」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、なんでもありませんわ」
なんでもないわけないでしょ!
薄い! 不味い! 量が足りない!
妖や霊を討伐し、その力を吸って存在を滅する。だけど、それで手に入る霊力など微々たるものよ。
そもそも、妖を討つのに霊力を使う。そして妖の力は妖力だから、人間の術者が扱う霊力とは似て非なるもの。変換はできるけども、それでさらに目減りする。収支的には増えていても効率が悪すぎる。
実際、霊力は多少増えても、疲労が溜まれば全力を出せるはずもない。
その点お姉ちゃんは良かった。豊かな霊力、姉妹だからか私の身体にもその力はよく馴染んだ。たまに吸えばそれだけで万全であったのに。
「……悪しき霊は滅しました」
周囲からの称賛と感嘆の声。
「素晴らしいな」
「最近は真面目にやっておられるし、これは倉橋も安泰だな」
「以前は若いせいか少々高慢な言動も目立ったが、落ち着かれたようだしな」
そんな声が漏れ聞こえる中、私はさっさと現場を後にする。
御役目の回数を増やしているから、評判が上向いているらしい。冗談じゃないわ。御役目に人の評価など、なんの役に立つというの。
「最近は騰蛇様に頼られる機会も減ったようだ」
式神の騰蛇は秩父の時以来、呼んでいない。アレを呼べば楽だから使っていたけど、別に私が戦えないなんて訳ではないの。それに、あいつを使役するには大量の霊力がいる。呼べない、制御できないとまでは思わないけど、前みたいに使っていたら霊力はすぐに枯渇しちゃうでしょう。
「はぁ」
あの日から溜め息は増えた。
夜道、天を見上げれば二十日ごろの欠けた月。妖は夜に活性化するから御役目も夜更けになることが多い。それは疲れも溜まるというものよね。
ああ、つい先日までは順風満帆で、なんの問題もなかったというのに。
いまや段々細りゆくあの月のよう。
「お姉ちゃんを取り戻さないと……、あの男を排除しないと……」
結局、考えはそこに戻るしかなかった。




