月一つない闇夜に押さえつけられて。三
流石に離れでの話が衝撃であったせいか、そもそも体調を崩し気味であったせいか。翌日は寝込んでしまいました。
お母さまが小言を言いにきたり、桐花ちゃんが様子を見にきてくれたり、あるいは女中が『また迷惑をかけて』などと文句を言いながら水差しや粥などを枕元に置いていったりしたのはなんとなく覚えています。
……誠二様。
許婚の、いや、許婚であった方のことが、朦朧とする意識の中で巡ります。
『まつりかちゃん、よろしくね!』
『はい、せーじさま!』
私たちの婚約が結ばれたのは私がまだ五歳か六歳の頃。
初めてお会いした誠二様は私より一つ上であったこともあり、とても素敵なお兄様であるように感じられたものでした。特に幼い頃の一つの歳の差はとても大きく感じられるものですから。
『まつりかちゃんは、すごいおんみょーじになるんだよね』
『そうなるよう、しょーじんします』
『ねえ、おんみょーじって、どんなことができるの?』
家業に興味を持ってくださいましたし……。
『きゅーきゅーにょりっりょー! きんしょーすいのことわり!』
『わあ、シヤボンだまみたい! まつりかちゃんすごいねえ!』
手にした白銅貨から水の泡が生み出されるだけの拙い術を、心から喜んでいただけたのです。
「……うっ」
枕が湿ります。
私たちの仲は睦まじく……ですがそれも私の霊力の衰えと共に、陰りを見せるのでした。
誠二様ご本人がどう思われていたかは分かりません。恐ろしくて、そのお心を窺うことも叶いませんでした。ですが、彼や私の両親や家門の者たちから、私の能力が弱まっていること、妹の桐花ちゃんより劣っていること、……そして倉橋を継げない可能性が高いこと。
『誠二君、あの娘はダメだ』
そう仰っていたのは誰だったでしょうか。
いつしか、誠二様が私に向ける視線には、冷たいものが混じるようになったのでした。
……倉橋は特殊な家です。それ故に幼い頃からここに婿入りして表向きの当主となるという話で四条家の方々と約束していたのに、それが反故にされるとあらば納得はしかねるでしょう。
安倍晴明を開祖とする土御門家と、その庶流である倉橋家には霊力を強く宿した子が生まれやすい。ですが安倍晴明の男系の血脈はどちらの家でも、およそ百年前に途絶えてしまいました。
そして今残っているのが女系の血脈であるからか、霊力を強く有するのは女性が多いのです。通常の華族家であれば家を継ぐのは男子に限られますが、護国の御役目のために、両家は婿をとって表向きの当主とし、御役目を妻が行う。そして強い霊力の子を将来に残すということが秘密裏に認められているのです。
「ぐすっ……申し訳ありません……」
鼻を啜ります。
お母さまが私に辛く当たるのもわかるのです。私が霊力を失っていったため、それも幼い頃であったために。土御門家の陰陽師や、寺社の法力僧など、この国を霊的に守護する御役目を負った方々から強く責められたと聞きます。
「茉莉花、起きているか」
お父さまの声です。お父さまが私の部屋にいらっしゃるだなんて!
「はっ、はい!」
私は布団から身を起こそうとし、入ってきたお父さまにとどめられました。
「そのまま。寝たままでよいから話を聞け」
「はい……」
お父さまは私の枕元に腰をおろして話し始めます。体調について問われ、明日には起きられますと、そう答えた後でした。
「茉莉花……お前は倉橋の家を離れよ」
「っ! ……それは! それは、私を勘当するというお話ですか!」
「……そうだ」
そこまで、そこまで、私はお役に立てませんか。
私の瞳から涙が溢れますが、父はそれには触れず言葉を続けます。
「霊力が弱く、あるいは失ったものは霊障を受けやすい」
私は返事ができず、頷きを返しました。
「茉莉花が体調を崩しやすくなったのも、その影響が強いかもしれん」
私が倒れているのは風邪や病ではないようなのです。お医者様に見せても理由は分からず、それ故にお母さまや女中たちからは仮病であるなどとも言われてしまうのです。
一方で倉橋の家は悪しき霊への備えは万全であるはずでもあるのですが……、原因不明である故にその可能性も捨てきれぬということでしょう。
「神田の梅婆を覚えているか」
「……はい……梅お婆さま」
お婆さまとは言いますが、梅お婆さまはお父さまの大叔母に当たる人物です。倉橋の一族でも最も年嵩ですが、今も神田の町に住み、矍鑠とされています。そしてお婆さまは……。
「梅婆は鎮めの巫女だ。下宿して力を落としてもらいなさい」
鎮めの巫女。梅お婆さまはそこに在るだけで、霊的な力を良いものも悪いものも、鎮め、凪いでしまう力を持っているのです。
つまりお父さまは、私の霊力を完全に失わせようとしている。
「春からは高等師範学校に通え」
「っ……!」
来春、女学校を卒業したら夏前には誠二様と結婚の式を挙げる予定でした。ですがそれも流れてしまうのです。
その先の身の振り方を考えてくださったのでしょう。師範学校とは先生になるための教育を受ける学校です。
昌平坂にある東京女子高等師範学校は、神田の梅お婆さまの家から近く、数年はそこから師範学校に通って完全に霊力を落とせと。
その後は女教師として身を立てろとお父さまは仰っているのです。
「よいな」
「はい」
私が頷くとお父さまは立ち上がり、部屋を出ていかれました。
私は横になりながら、指先に力を込めます。しかし僅かに集まった霊力は何も為すことなくすぐに霧散しました。
夕暮れの橙に染まる部屋の中、逢魔時に布団の中で目を凝らしても、小鬼ひとつ横切るのも見えないのです。




