張子の月は光らない。後
「倉橋の家が……」
「もう一度言うがね、あんたの努力を否定はしないよ。そりゃあ素晴らしいもんだ」
茉莉はぎこちなく頷いた。
「でもね、視野が狭すぎるのさ」
「……そうでしょうか」
「思い出してみな。あんたの父はいつも仕事をしていたのかい? あんたの母はいつも御役目に出ていたかい?」
「お、御役目というのは毎日あるようなものでは」
ふん、と鼻を鳴らす。
「そうさね、じゃあそうでない時はいつも霊力を向上させようと努力し、精進潔斎していたかい?」
それは……と茉莉は目を逸らした。この子の母、あたしから見りゃ姪に当たる六花はもちろん優秀な術者ではあるが、倉橋の歴代当主と比べりゃ、ぱっとしない方だ。子供の頃から地味な修行を嫌がっていたのも知っているからね。
「そしてあんたの妹、桐花って言ったか。あれは毎日努力してたかい? そんなはずはなかろ」
「と、桐花ちゃんは妹で歳下です……!」
思わず立ち上がった彼女に、あたしは頷きを返した。そして身振りで座るよう促す。
「あんたが十歳の時と、桐花が十の時でどちらが勉強してたかってのは明らかさね。ただ、それは姉であるあんたが家を継ぐはずだからというのは間違いない。どうしても継嗣には厳しくなっちまうものさ」
「はい」
「でも、だ。妹が継ぐことはだいぶ前から決められていたはずじゃあないか。そうだろう?」
倉橋の後継者を変更するという話が公表されたのはつい最近のことさね。でも、一族ではずっと前からその話題は出ていたし、家庭内では何年も前からそれは検討されていたはず。
「だったら、妹はあんたよりもっと努力を始めてなきゃおかしいだろ。でもそうじゃあないんだ。つまり、本当は遊んだって休んだっていい」
長い沈黙があった。
実際、家族三人で仲睦まじく出かけたりしているのは知っているのだ。
「はい。でも、その……、私はなぜか幼い頃より霊力が減じていて、だから人より努力しないと」
あたしは肩を竦める。
「それが視野が狭いって言ってんのさ。井戸から水を汲もうとしてるとするだろう? 桶に穴があいてるのにそれを塞ぎもしないで、もっと頑張って何度も水を汲まなくちゃ。ってやってたらどう思うさね」
「……それが、私なんですね」
「ああ」
「ひょっとして、お婆さまはその穴がなにか知ってるのですか?」
「そうさね」
再び、茉莉が立ちあがりかけ、あたしはそれを留めた。
「なぜでしょうか」
「あたしの仕事を言ってみな」
「鎮めの……巫女」
頷きを返す。霊力を落とすのがあたしの仕事だ。取り戻させることじゃない。
「どうすれば、教えてくれますか」
指を三本立てた。それを折りながら伝える。
「諦めるか、あんたの父親より多くの金をあたしに払うか」
まあ、無理だね。社会に出てない小娘が払えるものではない。それは自分でも分かっているのだろう。
「もう一つは」
「簡単だね、自分で気づくことさ。ほれ、冷めちまうよ」
あたしは湯呑みを揺らす。茉莉はじっとこちらを見つめ、何も教えて貰えないと分かったのだろう。視線を落とした。
そして卓上に置かれた豆皿に気づいたようだ。茶色くて、崩れた粒状の塊。
「あの……これはなんでしょう」
「ふん、勉強ばかりしてるからさね。甘酒の飲み方すら知らん」
「すいません……」
「味噌だよ」
何味噌っていったかは忘れたが、この店では甘酒だけじゃなくて味噌も仕込んでいる。
「お味噌……甘酒に入れる?」
「違うよ。こいつを舐めながら飲むのさ」
あたしは味噌をちょいと摘まんで口に入れる。適度な塩気が口の奥をきゅっと刺激した。
茉莉も真似するように味噌を口に運び、そして甘酒を一口飲んだ。瞳が驚きに広がる。
「甘い……!」
「そいつは良かったね」
塩気が甘さを洗い流して、甘酒の甘味をより強く感じさせる。西瓜に塩かけると甘く感じるのと同じ、単純なことだ。
彼女はもう一度同じように甘酒を飲むと、俯いてぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「こんなことも自分は知らなかったんですね……」
鼻を鳴らし、小娘が泣くに任せたのだった。
あたしはそう頻繁に倉橋に顔を出している訳じゃあない。距離を置いているといってもいい。だが当主の娘が産まれて、それに会いに行かないってほど薄情でもない。
つまり彼女を生まれた頃から知ってはいる。そして、幼い頃の彼女はまさに満月のような少女だったのさ。
聡明で、明るい性格に、誰よりも豊かな霊力。皆が望む、まさに一族の望月。
だが、今の茉莉はまるで張子でできた月だった。見てくれは良くとも、内が空っぽってことさ。
そして季節が巡り、冬から春。茉莉は学校に通うようになり、友人もできたようで笑顔も増えた。
そして初夏。祭りに行って猫又の類を拾ってくるとは思わなんだが、かつての婚約者とやらと飯を食って帰ってきた時だった。
「妾になれと」
「それで?」
「訣れを告げてきました」
泣いて帰ってきたのが明らかな瞳で、だがじっとこちらを見据えてそう言ったのだった。
「その男を愛しているのかい?」
「愛していました」
なるほど、過去と、未練と決別したようだ。本質的なところで今、やっと小娘は前を向いたのだ。
「いい女の顔になったじゃないか」
あたしは鼻を鳴らしてそう言った。
そう。張子の月だって、魂に火が灯れば輝くってものさね。




