上弦の月は地平に嗤う。五
私は誠二様の言葉について考え、尋ねます。
「……将来、というのは私が師範学校を卒業したら、ということでしょうか」
「いや、自分と桐花さんが結婚したら、ということだ」
っ……、それはつまり。
「式を挙げるのは来春を予定している」
私と誠二様の結婚は本来ならば、今年の春に予定されていました。しかし、私が倉橋を追放され、桐花ちゃんが継ぐことに決まったのが昨年末。
さすがに次期当主の交代ですから各所に連絡を取らねばなりません。倉橋は同じ安倍晴明を祖とする土御門家の庶流ですし、京に居を構えるかの家との会談もあったことでしょう。となれば今春に結婚というのは難しく、一方で誠二様を未婚のまま放置する訳にもいかない。
となれば来年の春に、というのは自然な流れです。ですが……!
「私に限った話ではありませんが、誠二様が女性たちの世話をするというのは当然あり得る話でしょう。しかし、結婚と同時に他の女性を囲うというのはさすがに外聞が悪いのでは?」
「ふむ、心配してくれてありがとう。だが問題ない」
誠二様はその辺りの質問は織り込み済みであるというように落ち着いていらっしゃいます。そして私の言葉に答える前に手を軽く挙げて給仕を呼ばれました。
「君、すまないが卓上の食事を下げてくれたまえ。それと珈琲を。茉莉さんは?」
「大丈夫です」
「では紅茶を淹れてくれたまえ」
給仕の方が皿を下げて席を離れると、誠二様は仰います。
「そもそも世話をするとはそう公になることではない。もちろん、噂は立つだろうが、それとて九条・倉橋の両家にとって大した問題になるとは思えない」
華族としての家は盤石であり、醜聞にはなり得ない、それは確かにそうでしょうけども。誠二様は言葉を続けます。
「それに、そもそもだね。あー、言い方は悪くなってしまうが気を害さないでくれよ。これは外から見てどうかということなので」
「はい」
「不出来で家を継げなかった元婚約者を援助している、妹もそれを積極的に助けている。そういう話に持っていけばそれは醜聞ではなく美談だ。だから、なんなら結婚前からこちらにきてもらっても全く構わないよ」
目の前が暗くなるような衝撃を受けました。
そう、そうなのでしょうね。世の中の人はそう見るでしょう。
私の表情が優れないことに気づかれたのでしょう。誠二様は言葉を続けます。
「もちろん、自分が茉莉さんを不出来だと思っている訳ではない」
「ええ……」
「君が辛く感じるのはわかる。倉橋の当主となるべく育てられて、それが潰え、今は日陰の身となることを提案されているのだから。だが、自分も桐花さんも、君をそうは扱わない。それを誓おう。金銭的に不自由はさせないし、自由に過ごしてもらって構わない」
私が沈黙していると、給仕の方が誠二様の前に珈琲を、私の前に紅茶を供し、卓上に砂糖壷やミルクなどを置いていかれました。
「ゆっくり考えておくれ。別に結論は今日じゃなくても構わないよ」
誠二様は珈琲を口にされました。
紅茶の水面が僅かに揺れて、天井の灯りを歪んで映しています。
誠二様が飲み物を口にされ、私から視線を外したのは私に圧力を与えないようにというご配慮でしょう。実際、この場では持ち帰って後日、正式に回答するというのが正しいのだと思います。
いや、誠二様ご自身、そうなるだろうと考えていたはず。なぜなら彼は食後にこの話を切り出すつもりだったから。
ですが私の内なる声は、今、答えを出すべきだと。最低限、受けるにせよ断るにせよ、この場で方向性を固めて置かねばならぬと警鐘を鳴らします。
意地を通せば窮屈だなどと最近読んだ小説にありましたが、ここで意思を通さねばただ流されるだけだと。
「いただきます」
私は紅茶を手に取りました。強張っていた手が茶器を無様に揺らしますが、それを無視して口に運べば、芳醇な香りと適度な渋みが意識を落ち着かせ、視野を広げます。
なるほど、確かに家を追放されて、今こそお婆さまのところに下宿させていただいてますが、その先の私の人生に寄る辺はありません。男なら裸一貫などと申しまして身一つで成り上がることもあり得ましょうが、女にそれは難しい。苦界に身をやつす、などという言葉がありますが、最終的に身を売るようになる話などどこにでも転がっています。
それを思えば誠二様の申し出は、まさに天佑神助とでも言うべきなのかもしれません。
「……それがなんだと言うのでしょう」
「何か言ったかい?」
「いえ」
思わず言葉が小さく漏れました。
いや。うん、そう。それが私の本音でしょう。
今、この時。私の魂は自らを定めました。
私は手にした紅茶を一息に飲み干して、誠二様を見据えます。
「誠二様」
「うん」
誠二様は表情に驚きを浮かべています。私がこんな無作法をしでかすとは思っていなかったのでしょう。
「お断りします」




