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【書籍化】三日月の綺麗な或る宵の一幕  作者: ただのぎょー


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上弦の月は地平に嗤う。二

 文子さんの語り口には力がこもります。


「距離が遠くて、茉莉さんたちの言葉までは聞くことができませんでしたの。でもあの様子からわかりますわ。『安心するがいい、茉莉。君は俺が守ろう』『ああ、あなた』」


 級友たちはきゃあきゃあとはしゃぎますが、私は首を横に振ります。


「いやいやいや。そもそも初対面で互いの名も知りませんでしたし」

「まー、初対面の女性の危機に手を差し伸べられましたの?」

「紳士的だわ! ジェントルマンというものね!」


 何を言っても皆さん盛り上がってしまいます。結局、私はあの場での出来事を詳しく説明させられたのでした。

 ふうむ、と千代さんが桃色の唇に手を当てて考える仕草。


「どうかいたしまして?」

「三馬鹿の筆頭は拳闘をやっているとか」

「まあ、野蛮だわ」


 文子さんが頬に手を当て、お顔をちょっとしかめて言います。

 拳闘、ボクシングとも言われるアメリカの武術です。なるほど、拳を握ったあの構えは見慣れないものでしたが、それだったのですね。


「そうね、それで大人たちでも手を焼いているというのに。それを涼しい顔で片手であしらうだなんて」

「まー、すごいわ」

「まー、すてきね」


 うんうん、と級友たちが頷きます。

 ですが、千代さんはいぶかしげなお顔。


「それほどに強く、また眉目秀麗な殿方を、ここにいる誰も知らないというのが不思議と思ったのよ」

「それはそうですけど……最近越してこられたとか?」


 ここが小さな村というのであるならともかく、帝都は広く、また地方から上京してくる方も日々いらっしゃるのです。


「確かにそれもそうね」


 千代さんは納得行かれたのか、うんと頷かれ、にやりと笑みを浮かべられました。


「それにしても羨ましいわねえ、茉莉さん。そんな方とお近づきになれて」

「お、お近づきと言っても名前も知らないのですよ!」


 私は反論しますが、級友たちからは非難の声。


「それでも助けていただいたのでしょう?」

「私たちは見てもいないのですよ」

「次にあったらお食事の約束までして!」


 そ、それはそうかもしれませんけど、お礼ですしぃ……。

 私が困惑していると、千代さんが皆さんを宥めるように手で押さえるような仕草をします。


「まあいいではありませんか。浮いた話もない茉莉さんと、謎めいた素敵な書生さんとの出会いなのです」


 実のところ、ここにいる級友たちには将来を約した殿方がいらっしゃる人も多いのです。いや、私も本来はそうだったのですけどね。


「私たちは茉莉さんを応援して差し上げねば」

「ありがとうございます?」

「そして、その話を面白く聞かせていただかねば」


 級友たちは声を上げて笑いました。もー……。


「私のところにもマッツ様のように素敵な殿方が来てくれないかしら」

「マッツ様?」

「マッツ様?」


 どなたかしら、外人の方?

 私の知らないお名前ですが級友たちも存じあげない様子で。千代さんは呆れたような口調でおっしゃいます。


尾上松之助おのえまつのすけ様に決まっているでしょう」

「あー」

「どなたかしら?」


 そう言われても私はまだわからないのですが、級友たちは幾人かわかったご様子。話を聞くに、関西を中心に活動されているの歌舞伎役者の方で、最近は活動写真、シネマトグラフに出演されるようになったとか。

 千代さんは活動写真がお好きですし、お父様のお仕事の関係で数年ほど上方、大阪の方に住んでいたとおっしゃるので、そちらの役者の方にもお詳しいのでしょう。


「東京でも活動写真は人気でしょう。いずれ娯楽の王様になりましてよ。浅草の電気館、神田なら錦輝館きんきかんは行かれまして? 大きな銀幕で活動写真が見られて素敵よ」


 私は首を横に振ります。

 倉橋の家にいた頃は活動写真なんて見に連れて行ってもらえることなどありませんでしたし、そもそも私自身が遊びに行くことなど考えもしませんでした。そういった芸能や遊興にはどうも詳しくないのです。

 今年になって梅お婆さまのところに下宿するようになり、生活の制限は無くなりました。お婆さまからはお駄賃もいただいています。しかしそれだってほとんど使わずに溜め込んでしまうだけ。金魚掬いは久しぶりの出費でした。


「御免なさいね、そういうの詳しくなくて」

「いいじゃない、マッツ様の魅力をこれから知られるなんて素敵なことだわ」


 話も合わぬ私なんて、同級生の皆さんから見ればつまらぬ女でしょう。

 でも千代さんはそう言ってくださる。皆さんもそれに頷いてくれるのです。これはとても得難い関係なのだとわかります。


「ふふ、でも茉莉さんにはマッツ様より気になる書生さんがいらっしゃるものね」


 どうなんでしょう、あの方にまた会えるのかしら。

 授業が始まっても、話の余韻が私の頭には残っています。そして自分が会えるといい、それを期待していることに気づき、教科書に顔を隠すのでした。



ξ˚⊿˚)ξ注:松之助は実在の人物ですが、一般的にマッツ様とは呼ばれていないw

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― 新着の感想 ―
帝都と言われると加藤さんか歌劇団かな。
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