上弦の月は地平に嗤う。桐花・前
ξ˚⊿˚)ξ三章です。今話と次話は妹のターン。それ終わったら一日休みいれて、また茉莉に戻ります。
「ったぁ……!」
がたんごとんと馬車が大きく揺れてお尻を打ったわ。馬車が行くのは東京の整備された道ではなく、傾いて、石なんかも転がってる山道。これだから田舎は嫌よと舌打ちが出そうになったけど、さすがにそれははしたないので代わりにため息を一つ。
「はーっ……めんど。なんでこんな遠くまで駆り出されなきゃならないのかしら」
「本当にねえ」
ここは秩父。埼玉県の西の奥の方で、ここまで汽車と車と馬車を乗り継いでやってきたの。向かいに座るお母様も私の言葉に同調するようにため息を落とす。
「根津財閥がここまで鉄道を敷きたいという噂は聞いたけど、いつになるやらね」
「川越までは便利だったけど、そこからが長すぎるわ」
川越までは汽車があったけどそこからはねぇ。結局、移動に一日がかりよ。
「長瀞の宿はとってあります。御役目を果たしたら、渓流の景観が素敵と聞きますし、数日羽を伸ばしましょうね」
お母様は私のやる気をあげようとしてか、御役目の後の話をするわ。景観、景観ねぇ。シチーガールの私はそういうのってあんまり興味ないんだけど、かといって妖を討伐してすぐまた一日がかりで東京に戻るのも嫌よね。
疲れたとでも言って宿でごろごろしてれば文句もないでしょ。
そうして夕刻、馬車はようやく秩父へと着いたわ。
季節は初夏で、東京は暖かかったけど、ここは山の中だからかそれとも妖気のせいか。ぶるりと、寒さに身が震えたの。
降りたのは町の広場。平屋が並ぶいかにも田舎町って感じ。夕方で本来なら家に帰る人とかで賑わってる時間帯のはずだけど、人払いがされているのか一般人の姿はなくて、この場にいるのは装束を纏った神職や御役目のことを知ってる特別な警官や役人だけ。その中から白衣に紫の袴姿の、四十前後の男が馬車から降りた私たちに頭を下げたわ。
「倉橋桐花様でいらっしゃいますね」
「ええ、そうよ」
「本日はこのような遠方までお越しいただきありがとうございます」
「全くね」
ぎょっと周囲の巫女なんかが驚いたような表情を浮かべたわ。私が『とんでもない』とかへりくだるかと思っていたのかもしれないけど、そんなわけないじゃない。
男は小さく咳払いをして言う。
「ご説明は」
「簡単にね」
「はい。一週間前、菅谷村の鬼鎮神社に祀られていた鬼が覚醒し、荒ぶる御魂となって周辺を破壊しました。鎮めの儀式を行いましたが抵抗され逃亡、捜索と山狩りの末、ここ秩父へと向かっています」
私は頷く。
「分かったわ。要はここで待ってれば来るということね」
「はい。祓いの儀式の準備はできております」
男は真顔で馬鹿げたことを言う。
「はぁ? 何言ってんの?」
「何を言ってるとは……?」
「もう鎮めとかはあんたたちがやって結果が出なかったんでしょうが。これ以上やっても時間と霊力の無駄よ。私は鬼の討伐に来てるの」
「しかし……あの鬼は村の祀り神で」
菅谷村の神社についてはお母さまから来る途中に聞いたけど平安末期の創建だとか。そりゃ御魂を無事に取り戻したいって気持ちはわからなくはないわ。でもそれを私に求められても困るのよ。
お母さまがずいっと前に出る。妖を討伐する御役目は私がやるの。じゃあなんでお母さまがついてきたかっていえば、いくら私が倉橋の次期当主っていっても若くて舐められるってこと。交渉役ね。
「桐花さんの言うとおりです。あなたたちは既に自身たちでも、その上に神職会の応援も得て、払い清め鎮めの儀式を行なって失敗しているのでしょう」
「はい」
そう、だから倉橋家が、私が呼ばれたってわけ。
事態が発生してから一週間経ってるのよ。その間に神職会、つまり神社に務める者たちの組織だけど、そこに所属する近隣の術者が集まって鬼を抑えようとしていたはず。それに失敗したからこそうちに話がきているのよ。
「しかし、浄化を試してからでも……」
「それによる霊力の消費により、討伐が失敗したらどなたが責任を取るのです?」
神職の男は諦めきれずに言うけど、そんなの通るわけないわ。
がくりと項垂れて了承する男に、私は言葉をかける。
「ごめんね、おじさん。私、そういう儀式って苦手でさ」
「いえ、こちらこそ無理を申しました」
「ま、その代わりっちゃなんだけど、御役目はしっかりこなすからさ。安心してていいよ」
それから半刻ほど。私は白衣に緋袴、その上から千早を羽織った、いわゆる巫女装束に着替えて鬼を待つ。面倒だけど、御役目の正装というやつね。
秩父の山中には、ぽつぽつと灯りが動いているのが見えるわ。カンテラや松明を持った術者たちが山狩りをして、鬼をこちらに向けて追い詰めているということ。
煌々とたかれた篝火に照らされた広場。太陽はまさに山間に沈もうとし、天には上弦の月。逢魔が刻よ。
「っ……!」
山から駆けてくる男、鬼の到着を知らせにきたのでしょう。だけど、そんなのはもう言われなくても分かる。身の丈が男の倍はあろう、青い肌の巨人がその背後に迫っているのが見えるのだから。
鬼よ。
周囲の術者たちが手にした呪符や幣を構える。
私は手を横に払って叫んだ。
「手出しは無用よ!」




