55 君の幸せな笑顔が見たい(1)
夕方、電車を乗り継いで、莫さんのマンションに向かった。
玄関でインターフォンを押すと、出てきた莫さんの声が、いまちょうど来客中だから、少し待っててもらえないか、っていうものだった。
モニターに映らない角度で後方で待っている梓に目配せしながら、再度通話状態になるのをかしこまった姿勢で待っていると、カチャリとドアが開いた。
「どうぞ。菅生さんが、鞠乃さんにも上がってもらっていいって言ってるから……」
言いながら莫さん、あたしの肩越しに梓を見つけて、目を丸くした。
あたしはあたしで驚いてる。
菅生さん? 司くんのパパが先週に続けてきょうも莫さんちに来てるの?
莫さんは無精ひげを伸ばしてて、髪もボサボサだった。白の綿シャツとスラックスで、服装は割ときちんとしてたけど、全体的にくたびれてて、なんだかゲッソリと痩せた感じがする。忙しかったというのは本当みたいだ。
リビングに入るとソファのところに、菅生さんと千鶴さんと雪佳さんが居た。
これ一体どういう顔ぶれ?
びっくりして入口で足を止めたあたしたちに莫さん、とりあえずって感じでキッチンカウンターのところのスツールを勧めてくれる。
「ええと?」
固まってしまった梓の代わりになんか言わなきゃと思ってあたし、口を開く。
「きょうって月曜日ですよね? お仕事とか、みなさんどうされてるんですか?」
「もともと私は月曜は定休日だからね」
「あたしはちょうど非番なんだ」
「お2人がお休みの日と聞いたので、合わせました。きょうは午前中だけ出勤して、新幹線でもう一度こちらに来たのよ」
「同じく。午後の診療をバイトに頼んで出てきた」
答えたのは莫さん、千鶴さん、雪佳さん、菅生さんの順。
「それで、ええと、どうして集まってるんですか?」
どうしてこの組み合わせなのかがいまいち理解できなくて、思わずそう聞いてしまった。
「梓ちゃんの身の振り方をみんなで相談していたの」
雪佳さんが答えてくれた。
「ええとね、梓ちゃん。結論から言うとね、いまのお家を出て、司くんと一緒に住みなさいな」
「雪佳さん、ねえ、待ってよ」
千鶴さんが横から口をはさむ。
「結論はそうだけど、どうやって梓ちゃんに伝えるかは、まだこれから話そうっていってたんじゃないの? それに、それが最善だろうってのはここで勝手に言ってるだけで、当の司にだってまだ相談してないのに」
「だって本人が来てしまったのですもの。あのね、梓ちゃん、聞いてちょうだい。あなたのママは、もうあなたとは住めないって言っているの」
「ママが? どうしてそんなことを?」
「あなたのお母さんは、あなたに刺されて怪我をしたのだという考えに固執しているのよ。理由はどうしてだか私にもわからない。聞いても、あなたのことが怖くなったから、もう一緒に住めないとしか言わないのですもの」
今度は梓、何も返事をせずに黙った。
「もしも梓ちゃんがいいなら、一緒に静岡に来てもらっても構わないのだけど。息子たちが使っていた部屋が空いてるから、どちらでも好きな方の部屋を選んで使ってもらえるから。ただ、それだと転校することになるし、これからのことを考えるなら県外に出るのは梓ちゃんにとって少し負担かなと思ったのよ」
「うちに来てくれてもいいんだ」
雪佳さんにかぶせるようにして、菅生さんも口を開く。
「いまは独り暮らしだから雪佳さんのところほど行き届かないが、それでもよければ、その……伯母さんの家よりは気兼ねなく住んではもらえるとは思う。ただ、いまの高校に通い続けたいなら、やはりちょっと遠すぎるのが難点だが」
「梓さんが東京を拠点にしたいなら、さしあたってうちに下宿してもらってもいいかと思っていたんだが……」
「いや、それは駄目だろう」
言いかけた莫さんを、菅生さんが遮った。
「親族でもない一人暮らしの独身男性のところに、年頃の娘を下宿させられるわけがない」
「菅生さん、私はどんな女性に対しても、一切手を出すことはありませんよ」
「しかし、外聞というものがあるだろう」
「おっしゃることはわかりますが、外聞が悪かろうと、非常識であろうと、梓さんはあなたと住むよりは幾分マシではないかと私は思ったのですが」
「なんだと?」
「あなたは中学生の頃の息子さんと折り合いが悪くなったのをお忘れですか? それまでずっと一緒に暮らしてきた相手だったのにも関わらずうまく行かなくなってしまったのでは? そんなあなたが娘さんと適切な距離を測りながらやっていけるんですか?」
えっと?
いま何が起こってるの?
莫さんが歯に衣着せぬっていうか、菅生さんに対してすごいずけずけ物を言ってる。
ちらりと隣の梓に目をやると、梓も目を真ん丸に見開いて、莫さんの方を見てる。
「しかも娘さんは長い間お互いに連絡すら取り合っていなかった相手ですよ。そんな相手と一から関係を積み上げていくことに対して、菅生さんは少しばかり見通しが甘いように思われますが」
「小宮山さんも、なかなか言うね」
そう答えたのは千鶴さん。
「千鶴さん、あなたが一緒にいる状態ならまだましだったろうと思います。ですがあなたが梓さんに合わせて菅生さんのところに今すぐ戻るわけにはいかないのでしょう?」
「いや、あたしがいたからって大して役にも立たないだろうけどね。実際司が中学の頃はあたしの仲裁なんて屁の突っ張りにもなんなかったしさ。けど梓ちゃんは中坊でなくてもうほぼ大人だし、同じ状況になるとは限んないんじゃないかね?」
「子どもは親に対して辛辣なことを考えたりつい口にしたりするものではないですか? 年齢は関係あるでしょうか? むしろ年を経るほどに言うことが辛口になったり相手の逃げ道をふさぐほど弁が立つ場合もあるのでは? 問題は菅生さんの方に、そういった不協和音や軋轢を受け入れて余裕が保てるかということなんですが、菅生さんはご自身についてどうお考えですか?」
「そんなことはあんたに言われんでもわかっている」
菅生さん、そういうとソファの背もたれに背中を預けて腕を組んだ。不機嫌そうではあるけど、反論する気はないらしい。気色ばんでる様子もないし落ち着いてるところ見ると、これはもしかして莫さんの平常運行?
「一応補足しておきますが、うまく行きっこないという意味で言ったわけではありません。ただ、関係がこじれた場合は子どもの側は傷を負う。実際私はあなたの息子さんが、自分が悪いんじゃないかとか、自分はどこかおかしいんじゃないか、子どもとして不適合なんじゃないかなどと考えて、さんざん思い悩むところを間近で見てきましたので」
こういった話をする莫さんの立ち位置は、子ども時代の司くんを見てきたというところにあるのはわかった。けど、梓の身の振り方を相談するというのが今回の集まりの主旨だと聞いたらやっぱり疑問が沸く。その集まりに莫さんが参加しているのはそもそもなぜなんだろう。
前回場所を提供した関係で、じゃあ今回もここで、って話になったのかな? でも先週の集まりではずっと黙ってて、何一つ口を出さなかったように記憶しているんだけど。
両腕を組んだままむすっとして聞いていた菅生さんだったけど、ちょっとして口を開いた。
「これでも私は──自分がどうしたいのかではなく、どうすることが娘にとって一番いいかで判断しようと思ってここに来たんだ。だから強引にこちらに梓を引っ張り込む気は毛頭ない。ただ、その──」
菅生さん、組んでいた腕をほどいて両手を自分の両ひざにつくと、梓に向き直った。
「こちらの気持ちとして、もしも君と一緒に暮らすことができたら私はとても嬉しいということだけは──どうしても伝えておきたかったんだ」
「あの……私……」
無意識にだか、梓はあたしの腕をぎゅっとつかんでいる。梓が戸惑っているのが伝わってくる。
梓はどうしようって顔であたしを見た。いや、ここで助けを求められてもあたしは口をはさめないよ。第一何を言ったらいいのかわからないよ。
もしもあたしがもう働いてて一人暮らししてたらうちに来てって言うよ。それはもう迷わず言うよ。だけど家族の了承もなくそんなこと言えないからね。
戸惑った様子のまま、梓は菅生さんを見て口を開く。
「私──は……。もしも私が菅生さんと暮らしたら、きっと、菅生さんを失望させてしまうと思います。私、司みたいに素直じゃないし──ひねくれてて意地悪なことばっかり考えてしまうし──きっと菅生さん、思ってたのと全然違うって……。莫さんがいま予防線を張ってくれたけど、もしもうまくいかなくなっても私のせいじゃないって意味のことを言ってくれたけど……でも、きっと……本当はやっぱり私のせいだって菅生さんは思うから……」
ちょっと勇気を振り絞ったのかな。梓にしては、きちんと本音で言い返せてる気がする。それはもう、ものすごくこじらせたままの梓だったけど。
「だからもう私は、だれかと一緒には暮らせません」
あっ、結論早い。
それはもうきっぱりと、梓はそう言い切った。
「私の監督権って、いまは菅生さんですか? それとも雪佳伯母さんですか? 私はできればいまの高校に通い続けたいとは思っています。ですが、司にも、莫さんにも迷惑を掛けたくないので、もしもできればですが、いまからでも女子寮に入寮できないか学園側に交渉してもらえないかと思うのですが」
女子寮。あった。そういえばあった。尼僧院に隣接してる、築何年かもわからないものすごく古い煉瓦の建物。蔦が絡まってて趣はあるんだけど、なんか幽霊とか出そうな感じのやつ。




