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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
最終章 その後
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54 それすらも君と過ごすかけがえのない日々(3)

 金曜日の晩、東京に出てきた雪佳さんに連れられて、梓は自分のアパートに戻った。

 その翌々日の日曜日に、もう一度菅生さんは東京に出てきた。伯母さんの立ち合いでパパと梓は再会したんだって。ママはまだ入院中だけど、ママの住んでいるアパートに菅生さんを招くとママは嫌がるだろうからって、莫さんの喫茶店に集合した。莫さんはやっぱり出てきてなくて、その日もお店を切り回していたのはお京さんだったそう。

 菅生さんは梓に謝罪したんだって。

「長い間連絡もなく放っておいて済まなかった」って。

 お互いに連絡なしになったのは、実は梓ママがシャットアウトしていたせいだったんだけどね。そのことについて指摘したら、そんなの梓自身には関係ないことだからって言われて、重ねて「申し訳なかったって」頭を下げてきたんだって。それで菅生さん、

「謝罪の機会をくれてありがとう」とも言ってたって。

「今更父親面されるのも不愉快かもしれないが、それでも何かできることがあれば、なんでもさせてほしい」

っていうのと、

「大学進学についてもできるだけサポートしたいから、ぜひ真剣に考えてみてほしい」

って言葉もあったそう。


「将来大人になった君が、父親の手も母親の手も借りずに自分で生きていけるようになるための、あと少しだけ残っている準備期間を、どうか俺にもかかわらせてもらえないだろうか」


 そんな風に菅生さんは梓に申し出たんだって。

 梓は一旦返事を保留にしておいて、菅生さんにひとつ質問をしていいか聞いたの。菅生さん、答えられることならなんでも答えるよって言ったから、梓は、自分が覚えている5歳ぐらいだったときのことを教えてほしいって言ったの。


「あなたがママを殴って、ママがあなたに怯えていたころのことを聞きたいんです。何をどう考えて、あなたはママに手を上げていたんでしょうか?」


 そしたら菅生さん、こう答えたんだって。


「当時考えていたことはいろいろある。だが、何をどう説明しても、それは言い訳になってしまうからね」

「あの、言い訳でもいいんです。あなたが当時何を思っていたのかを、知りたいの」


 梓は食い下がって聞いたけど、殴るのに正当な理由なんて存在しないからね。なんて菅生さんは答えたそう。


「では質問を変えます。あの、菅生さん、あなたは再婚してますよね。再婚相手の人に手を上げたことはあるんですか?」

「ない。いや、ないと思う。彼女に改めて確認しなければ断言はできないが」

「再婚相手の人に手を上げなかったのは、どうしてですか?」


 菅生さんは言葉に詰まって、考え込むような顔で、腕組みをした。


「あなたの思い浮かんだ言葉でいいです。私に配慮した言葉でなくていいので、教えてもらえませんか? あなたが再婚相手の人に手を上げなかったのはなぜ?」

「手を上げるような出来事が、何もなかったから、としか言えないんだが」

「喧嘩はしなかったんですか? 言い合いとかも?」

「いや……彼女ははっきり自分の意見を述べる方だし、言い合いはあるよ」

「腹を立てたことはないんですか?」

「腹を立てたことぐらいはある」

「ではなぜ、あなたはその人のことは殴らなかったの?」

「多分だが、俺の方に気持ちの余裕があったんだよ。環境のせいもあったし、お互いの相性もあったんだろう」

「ママといたときは気持ちに余裕が持てなかった?」

「そういうことになるのだろうな」

「もう一度質問を変えます。もしもいまの菅生さんの状況や社会的な立ち位置で、ママと出会っていたとしたら、殴らずに暮らしていけてたと思いますか?」


 菅生さん、また黙り込んでしまったんだって。ずっと考えて、それからゆっくりと首を振って答えたんだって。


「いまの俺にとっても、君のお母さんからは逃げ出すことだけが、唯一できる、最善の方法だったとしか思えない。ただ、君を連れて出たかったことは本当なんだ」


 菅生さん、言葉を区切ってもう一度言った。


「5歳の君を連れて、家を出ていきたかった」


 菅生さんと別れて莫さんのお店を出て、2人で家に向かう道すがら、雪佳伯母さんは言った。


「菅生さんは男の人だからね。自分が傷つけられたって思ったっていうのは、言いづらかったんじゃないかしらね。あなたのお母さんは、人を傷つけるようなことを故意に言う人だったのだもの。男の人って──特に昔の男の人は、自分が弱かったり情けなかったりを、許せなかったり認められなかったりするものだからね」

「菅生さんは、昔の男の人?」

「そりゃ、あなたたちより20年以上前に生まれてるんだから。いまよりも、男らしさ、女らしさなんていうものが価値があるみたいに思われてた時代だし、LGBTなんて言葉もまだなかった時代なのよ。それはともかく梓ちゃん、あなた、菅生さんのことをお父さんとは呼んであげないの?」

「私の記憶の中のあの人は、鬼のような形相でママの前に仁王立ちになって、こぶしを振り上げて司を殴り飛ばしてる姿だけなんです。きょう再会してみて、記憶と全然違い過ぎて、なんだかうまくつながらない……」


 喫茶店で会った見知らぬ男の人をいきなり父親だと認識するのは、梓にとって、思いのほか難しかったんだって。話の内容から、少なくとも目の前のその男の人が真摯に梓に向き合おうとしてくれているのはわかったのだけれど、それなのに知らない人過ぎて自分の感情が動かないんだって。なんだかよくわからなくて、自分の周りに見えない膜ができたように思えて、どうしちゃったんだろうって焦るんだけど、それでも自分の気持ちはどうにも動かなくて。

 なんか自分の知ってる父親との接点を見つけたくて昔のことを質問してみたけれど、菅生さんは答えづらそうにしてて。そうしたら、どうして再婚相手の司くんのママのことは殴ったりしてないんだろうって、ふっと思って、いろいろ聞いてみたんだって。

 最後の菅生さんの「5歳の君を連れて、家を出ていきたかった」って言葉だけは、少しだけ伝わってくるものがあったって、梓は言った。まるでいまの菅生さんの向こうで、遠くから昔のお父さんが、そう呼び掛けてきたような気がしたんだって。


「なんかね、その言葉だけが、頭の中にまだ響いてる」


 翌日の月曜日。学校でのお昼休みだった。昨日のことを説明してくれたあと、梓はそう言った。


「菅生さんは何気なく言った言葉なのかもしれない。でも、私にとっては、ひょっとしたら、すごくすごく聞きたかった言葉だったのかもしれないって、思ってしまって。なんだろう、私、少し心が弱くなってるのかな。だけど、ママに見捨てられたからっていって、手を差し伸べてくれる人に手当たり次第にしがみつくのって、浅ましくて、ほんとにみっともないよね」


 その日梓は頭の中で、何度も菅生さんのその言葉を反芻してたんだって。まるで、凍えそうな真冬の夜に消えかかった1本のマッチに両手をかざして暖めるみたいな気持ちで。


「聞いて、梓。菅生さんは梓の実の父親なんだからね。それは手当たり次第っていわないと思う」

「どうなのかな。私にとって、菅生さん自身は割とどうでもいい存在な気がするの。それでも、いまの私が欲しいと思ってる都合のいい言葉をくれる人じゃないか、みたいな期待がどこかにあって、それがやっぱり自分でも浅ましいなって思うのよ」

 

 ああ、なんかこれはまずい。なんだかすごいこじらせてる。どうしてそこで『浅ましい』なんて否定的な表現になってしまうんだろう。これまで梓のパパが梓のことをどう思ってきたのかはともかく、梓のために何もしてこなかったのは事実なんだから、梓がパパのことをどうでもいい存在だと思っても、そこは罪悪感を覚える必要はないと思うのだけど。

 それに、ほんとは梓はお父さんのことをどうでもいいなんて思ってないよね? だってあたし、梓がずっと長い間お父さんにすごいこだわってきてるの知ってるんだよ?

 ただそれは梓にとって、ずっと忌まわしいものとして意識してきたものではあったのだろうとは思う。梓の半分を作っている、ママを苦しめてきた邪悪な存在としての父親。だけど梓はもしも菅生さんが赦されるなら自分も赦される気がしていたと思うの。つい、そう思ってしまうけれども、そう思うことにすら罪悪感を抱いて。

 いまの梓はその大前提そのものがよくわからなくなって混乱しているみたい。だけどなぜだか自己否定の檻には囚われたままみたい。

 どうやって返答しようとあたしが悩んでいたら、梓がぽつりと言った。


「莫さんに会いたいな」


 あたしじゃ駄目なの? 一瞬そんな言葉が頭をよぎるけど、多分あたしじゃ駄目なんだと思う。やっぱり梓は莫さんに、父親的な何かを投影しているのかもしれない。もしかしたら、母親的な何かも。

 それに、と、あたしは思い直す。会いたいなんて改めて思わなくてもいつでも会える存在だって思ってもらえるほうがいい。あたしの両手はいつでも梓に向かって差し伸べられてる。それを知っててもらえるなら、それでいい。


「ねえ、だったらきょう会いに行く? 月曜日は喫茶店お休みの日だって言ってたよね? 放課後すぐだったら、結構早い時間に行けるよ?」

「けど、いま副業で忙しくしてるって司が言ってたし、きのうもお店に来てなかったのよ。ほんとはきのう会えるかとちょっと楽しみにしてたのに」

「出向くだけ出向いて、もしも会ってもらえなかったらそれでよくない? そしたらファーストキッチンにでも寄って、ポテト食べて帰ろう」

「なんでファッキンのポテトなの?」

「気になるフレーバーがあるんだよ。駄目かな?」

「駄目じゃないけど、莫さんちに行って玄関先で追い返されたら私、立ち直れない気がする」

「インターフォンはあたしが押すよ。あたしが追い返されたらあきらめる、っていうのはどう? あたしは特に個人的に来ていいって言われてないし、追い返されてもあたしだったら別に傷つかないよ。梓は後ろで隠れてて」

「なんか卑怯な気がするけど、お願いしていい?」

「卑怯なんじゃなくてね、梓さん、あなたは憶病で繊細なだけなんです」


 やっぱり梓は莫さんのこと、普通に男の人として好きなのかなあ。だれしも好きな相手に対しては憶病になるものだもの。

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