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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第四章 土曜日
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47 迷路の中で(2)

 自分の眉間にしわが寄りすぎてコイルみたいになってる心地する。しきりにあたしは指の先で眉間を抑えて伸ばした。

 以前より梓から聞いていた話と、菅生さんたちの話の間に、あまりにも食い違う点が多すぎるんだもの。

 1つめの相違点は、菅生家の引っ越しに関する話。菅生さんたちは司くんが中学に進学する年の初めに東京から離れ、茨城県に移り住んだ。そのときに梓がママから聞いた話によると、行く先を告げずに姿をくらましたってことだったの。

 でも菅生さんたちは、梓のママには連絡先を渡したし、ほかにもたくさんの人にハガキで転居をお知らせしたそう。


「間違いないよ。引っ越して茨城の病院に転勤したときも、何年か後に独立したときも、それぞれ連絡だけはさせてもらってる。パパはずっと勤務で手が離せなかったし、独立してからも経営を軌道に乗せるのに必死だったから、ハガキつくったり宛名書いたりは全部あたしがやったんだもの」


 千鶴さんがそう説明する。


「開業時のお知らせは事務のリコちゃんにも手伝ってもらったし、ほんと絶対知らせたから」


 どういうこどたろう。梓のママが何か勘違いしてるってこと?


「もう連絡してくるな、とはそれ以前に言われてたんだけどね。それでも何かあったときのために一応連絡先だけは伝えておいた方がいいだろうと思ってさ」

「連絡してくるなっていうのは、梓のママが言ったんですか?」

「そうだよ。それに、引っ越しをする少し前の、司がパパと大喧嘩して行方不明になったときも、ひょっとしてそっちに行ってないかと思って連絡入れたらすげー塩対応でさ。そのときも、司のことはもう私たちには一切関係ないですからそんなこといちいち聞いてこないでください、なんて言われて電話切られた」

「俺の母親、ひょっとして俺に関心ない?」

「ていうよりもあたしが思うに、美咲さんは司のことはパパの付属物みたいにしか思ってないんじゃないかな。ニコイチでしか考えられないっていうか、あんたがパパとは別の人間だっていう認識がいまいち薄いっていうかさ」

「なんで?」

「さあ?」


 千鶴さんは首をひねる。


「でもそういう人って意外にいるじゃん。その人を個人で見れずに属性で見てまとめて敵意持ったり断罪したりさ。それぞれ一人一人が、その人だけの理念や感情やその他もろもろのものを内側に持ちながら行動してるってのが理解できてない人。けど自分の産んだ息子なのに、逆にどうやったらそんな風に割り切れるのかが、あたしにもいまいちわからんけどな」


 千鶴さん、きょうは言葉遣いがちょっと乱暴だったりする。先週病院の寮の前であったときは、もう少しソフトな口調だったような気がするんだけど、こっちの方が地のしゃべり方かもね。司くんの口調って、莫さんとも違うし、お父さんとも違うみたいだし、もしかしたら千鶴さんの影響なのかな?


 そのあと話は、司くんが6歳になるかならないかぐらいの頃にまで遡る。

 司くんが保育園の年長さんだったとき、千鶴さんのお母さんが心理療法士としてやっていたメンタルクリニックに、菅生さんは司くんを連れて訪れた。菅生さんが美咲さんと離婚してから、司くんはすっかりふさぎ込んでしまって、まったくしゃべらなくなってしまったんだって。もともと口数の少ない無口な子だったのが、必要なことすら何一つ言わなくなって、転園したばかりだった保育園でもずっと無言なんだって。

 最初は新しい環境に慣れないせいかと思ってた保育士さんたちも、これはなんかおかしいから絶対に専門家に見せた方がいいと菅生さんに進言した。菅生さんは大きな病院の精神科から紹介してもらって、千鶴さんのママが開業していた心理療法クリニックを訪ねた。

 いろんなテストの結果、知能には特に問題もなく、高機能自閉症というわけでもなく、こちらのいうことは完全に理解してある程度の対応もできていて、ただ、言葉を口にする能動性のようなものが皆無になってしまっているということがわかった。何か大きなショックを受けた子どもがそんな状態になってしまうこともあるということで、やはり両親の離婚が原因だろうというところに一旦は落ち着いたのだけれど、治療の過程を通じて次第に意思の疎通ができるようになったところで、司くんの思わぬ思い込みが明るみになる。

 司くん、ママと梓ちゃんが死んでしまったと思い込んでた。

 ママと梓と一緒に暮らしていた頃、ことあるごとにママから懇々と言って聞かされていたらしい。

「ママと梓ちゃんは女の子だから弱いんだから、司がしっかり守ってくれなきゃ死んじゃうんだからね」って。

 小さい子って死の意味がよくわかってなかったりすることが多いんだけど、司くんは早熟だったのか、それともお父さんがお医者さんだから何かのきっかけに認識する機会があったせいなのか、とにかく死の概念をはっきりと理解していたみたいだったそう。

 ママと梓がすごく怖い怖い目に遭って、砕けて壊れていなくなってしまったんだとか、そういうイメージで理解していたらしい。そして、ママと梓が死んでしまった理由は一つにはパパが原因で、もう一つは自分が守れなかったせいだと思っていて、司くん、パパに対してどう接していいのかまるでわからなくなってしまったのもあって、全然しゃべることができなくなってしまっていたらしい。


 司くんが全緘黙(ぜんかんもく)の状態になっていることがわかってすぐに、菅生さんは代理人を通じて、司くんの病状の改善のために美咲さんに協力をお願いして、そのときに一度断られていた。だけど原因らしきものがわかってきたことから、菅生さんはもう一度美咲さんにお願いしたんだって。一度だけでいいから司くんに会ってもらって、美咲さんと梓が元気でいることを納得させてくれないか、というお願いだったんだけど、それも美咲さんに断られたんだって。

 美咲さんからの返答は短いもので、お互いに一切干渉しないことだけを望みます、だけだった。司くんのことには一言も触れられてなかった。


 その辺の経緯は当時菅生さんと交際していた千鶴さんはほぼ最初から知っていて、歯がゆく思いながら見守っていたそう。ていうかこれらの話はほとんど千鶴さんがメインでしゃべって教えてくれたの。菅生さんはあんまりしゃべんなくて、相槌うったり頷いたり、ちょっと訂正を入れたりだけだった。


 ちなみに千鶴さんのママのクリニックから、司くんは一度、違う別の診療所に転院してるんだって。理由は娘さんの千鶴さんと菅生さんが交際するようになったため。千鶴さんのママは2人の交際に猛反対で、これ以上もううちでは司くんのことは診れないってなった。

 千鶴さんのママは立場上、菅生家の事情を知ってたからね。菅生さんが美咲さんに暴力をふるって離婚したことも、司くんが心的外傷によって全緘黙になってしまっていることも。千鶴さんは最初全然事情を知らなくて、たまたま話をして菅生さんに惹かれて近づいて。でもママは千鶴さんの行動を危惧するあまり、本来だったら守秘義務があるはずだった菅生さんの事情を千鶴さんに暴露してしまったんだって。それもあって、自分ではもう冷静に対応できないからほかの診療所へ行ってくれ、ってことになったんだって。


「やー、あたしはもうパパにのぼせあがっちまってたからねえ、自分で言うのもなんだけどさ。パパが遊び人だったりとかでなくて、良かったよ」


 千鶴さんはそんな風に言って、菅生さんに、馬鹿抜かせ、なんて悪態つかれてたけど、言葉が話せなくなってしまった幼児を抱えて医者をやってるバツイチとか、そもそも遊び人でいられる要素は皆無ではないかな。菅生さんは当時、育児を手伝ってくれる人がだれもいなくて、保育園やシッターや夜間預かり所などを駆使しながらなんとか凌いでいたらしい。当時は病床保育みたいなシステムもいまほど定着してなくて、すごく困っていたところに千鶴さんが押しかけていって、半ば強引に司くんの面倒を見始めたっていうのが、千鶴さんと菅生さんの馴れ初めだそう。


「美咲さんと離婚する前のことはあたしは詳しく聞いたわけじゃないけど、パパは本当は梓ちゃんも引き取りたかったんだよね。だけど梓ちゃんのことは、美咲さんが手放さなかったんだって。話し合いのときに、裁判起こせばあなたは負けるでしょう?っていう風に言われて、それで美咲さんは司には執着がなかったみたいだから、せめて司だけでも手元に置くことができるのならと思って、梓ちゃんのことはあきらめたって聞いてる。あと、美咲さんは司のことはともかく、梓ちゃんのことはすごい可愛がってたみたいだったから、向こうに育てられるのも幸せかもって思い直したんだって。とはいえ本当に2人一緒に引き取ってやっていけてたかは別だと思うけどさ。1人でもすごく大変そうだった」

「親父がすげー大変だったのって、俺がなんかやっかいな病気になっちまってたからだよな? てかそのころのこと、俺、記憶になくて、全然知らなかったんだけど」

「まあね、司、けっこうすぐにあたしに懐いてくれて、半年ぐらいで言葉も戻ったんだ。しゃべり始めた当初は言葉そのものもすごい拙くてさ、年齢逆行っていうの? このまま年相応に戻らないんじゃないかってすごい心配したけど、それもだんだんに解消された。ただ、言葉が増えるにつれ、梓ちゃんと美咲さんのことは忘れ去られていったんだよね。ある種の防衛反応だったのかもしれないけどさ。忘れてるならもう忘れてるでいーかって、あたしたちも昔のこと話さなかったからね。向こうさんは全然会ってくれる気がないし、だったらいっそ忘れたままの方が幸せなんじゃないかとも思ったし」


 千鶴さん、半年ぐらいで司くんの言葉が戻ったってさらりと言ってるけど、自分の子どもが半年も何もしゃべらない状態が続いたときの菅生さんの焦りとか精神状態とか、半端なく追い詰められていたんじゃないかしら。その時期を千鶴さんが支えたってことだよね? すごいな。尊敬する。

 千鶴さんは菅生さんとつきあい始めたころはまだ高校卒業したばかりで、結婚には親の同意が必要だったから反対されてたし籍は入れられなくて、千鶴さんが20歳になるのを待って入籍したんだって。証人には当時千鶴さんが勤務していたバイクショップの店長夫妻がなってくれたそう。


「親父とちづちゃん、結婚式とかやんなかったの?」

「やったよ。近所の教会で信者じゃないけどいいですか?って聞いたら構わないって言われたから頼んで、礼服とかドレスとかなかったから普通にスーツで行って。ほんと式だけだけどね。だれも呼ばなかったし、写真も撮らなかったよねー。でも司、あんたは連れてったよ。ただ、司は普段着だったし、まあ近所に散歩に行ったぐらいにしか思ってなかったのかもな」

「覚えてねえ」


 ちょっと呆然とした顔で、司くんはつぶやいた。


「俺の脳みそポンコツ過ぎるだろ」


 千鶴さんの結婚式の話はともかく、菅生さんと美咲さんの離婚に際しての話し合いのエピソード。これが梓に聞いていた話と大きく食い違う点の2点目だった。

 梓のママが梓に話して聞かせていたエピソードでは、裁判するとおまえが負けると言い放ったのは菅生さんの方なんだけど、それが菅生さん自身の記憶によるとまるで食い違っていて、その言葉を口にしたのは美咲さんの方だったみたい。

 双方の記憶が食い違っている場合はどちらかか間違っていると思うんだけど、司くんがいうには、梓ママのいうことはやっぱりちょっとヘンだっていうか、理に合わないんだって。司くんはパパに殴り飛ばされて当時前歯が折れて、折れた歯を根元から抜く治療をしているから、そのときの記録が病院にあったはずだから、裁判をしたらパパには勝ち目はなかったって。(けど司くん、これに関してもなーんにも覚えてないんだって。痛かったとか、そういうことも一切合切)

 関係ないけど最近法律が変わって、児童虐待に関する通報義務というのが、処置に当たった病院に課せられるようになったそう。逆にいえば昔は、親に殴られて骨折して病院で治療を受けても、必ずしも警察に連絡が行くというわけではなかったらしい。

 世の中はほんの少しずつだけど、良い方に変わっていってると思っていいんだよね? もしも菅生さんと美咲さんの離婚がいまの時代だったら、梓と司くんの2人ともが美咲さんの方に引き取られていたのかもしれないね。そうしたら司くんは喪失感から心疾患を発症することもなかったのかもしれない。だけど、司くんに対して全然関心のないママってどうなんだろう。それを考えると、やっぱり司くんはパパに引き取られてよかったのかもしれない。なんだかよくわからない。

 梓はママに引き取られてよかったんだろうか。大事に育ててもらったって梓は言ってるけど、ママに進学について切り出せなくて迷ってる梓は、やっぱりママを信じ切れてないんだと思う。ほんとは梓とママにもここに来てもらって記憶のすり合わせをした方がいいんじゃないかとも思ったけど、ママも自分を殴ってた元夫には当然会いたくないだろうし、いま聞いた話だと、これまでもずっと拒否し続けてきたみたいだし、難しいね。


 こうなってくると、菅生さんたちが引っ越し先を伝えなかったっていうのもママの勘違いだとは考えにくい。ママが菅生さんに会いたくなくて梓とも会わせたくないあまりに梓に嘘をついて、司くんたちとは連絡が取れなくなってしまったと告げたって考えた方が腑に落ちる。だけどもしそうだったのだとしたら、やっぱり梓ママ、ちょっとやりすぎだったんじゃないかと、あたしは思う。中学生になろうとしている子どもの行動力を、梓ママは甘く見過ぎていたんじゃないのかなあ。

 あの頃だれにも相談せずに独りで司くんの消息を捜しまわっていた梓が、危ない目に遭わなくて済んで本当に良かったと思う。持病があってそのころは薬が欠かせなかった梓が、出かけた先の知り合いがだれも居ない場所で発作とか起こして倒れたりしなくて済んでよかったと思う。たった一人で梓が訪ねていった莫さんが、ヘンな下心を持っていたり子どもを略取するような人ではなく、善意の人で本当によかったと思う。


 梓の心臓疾患については、生まれたときに診断してくれた先生で、生後半年ぐらいに行った手術を担当してくれた心臓外科の先生によると、予後を見ながら生活していって、そのまま普通の生活に移行していけるだろうという所見だったんだって。ただ、その後の経過については美咲さんに任せてたから確認したことはなかったらしい。

 聞いてなかったのかよって司くんにツッコまれてたし、菅生さん自身も梓の病気についての認識が甘かったのは自分の落ち度だったと言ってた。

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