45 その日はずっと青空だった(4)
コーヒーはお代わり分としていくつかのパックを使って直接ポットにつくって入れた。うん。この方が冷めにくそうだしいいアイディア。
準備しながら少しゆっくり話してたから、みんなのところに戻ったら、シュークリームの箱を持ったアリスさんももう着いてた。アリスさん本当は、有澤佳那美さんっていう名前なんだって。見た感じ、平島さんやドロシーさんより少し若いかな。千鶴さんぐらい? 千鶴さんよりももう少し若い? 20代後半ぐらい? フチなしメガネを掛けた顔は細面で切れ長の目に薄い唇。ちょっと厳格そうで、学校の先生みたいな雰囲気。ショートヘアで、背が高くて、やっぱり秋色でまとめたコーデだけど、こちらはパンツスタイル。ハイカットのスニーカーを履いて、ちょっと山ガールっぽいファッション。
平島さんはアリスさんのこともきっちり褒めてた。マメだね、この人。ゲイだっていうし女の人には下心一切ないはずだけど、賞賛の手は抜かない。
ドロシーさんとアリスさんは上司と部下。っていうよりドロシーさんは専務理事さんだそう。経営陣の一人。むしろもう副社長さんみたいな立場らしい。今回は宇都宮支部の支部長も臨時で兼任しているそう。もう少し方向性が定まったら正式に新しい支部長を任命する予定なんだって。
「カナミとうまくいくコツは直属の部下にしないことです。普段からやってることが全然別だから、あたしはカナミの業務内容に一切タッチしない。ていっていま一時的に平っちにこっちに呼ばれて手伝ってるから同じ部門で、はっきり言ってやりにくいよね、お互い。早く分けたい。もっとスタッフ入れて細分化したい」
裕希くんからの質問に、ドロシーさんはそんな風に答えてた。職場が同じで住む場所も同じで上司と部下って聞いたら、つい質問してみたくなったみたい。
「私はそうでもないですけどね」
とアリスさん。
「社長も常務も基本的に任せてくれる人だし大体報告だけですから」
「いやいまそれだけだと回らないじゃん。人事に関してもカナミのアドバイスもらってるし」
「現場目線で要求はさせていただきますけど幹部の方たちの決定には口は出しませんよ」
うまく行ってるのかそうでないのかこの会話からだけじゃわかんないなあ。
「あっ、仕事の愚痴は互いに言えないよね? そこが窮屈っていえば窮屈?」
「プライベートでは仕事の話はあえて避けますね。ただ、私は企画担当なので、日常生活からヒントを得ることが多いので、完全に分けて考えるのは難しいですけど」
「まあ仕事に関してはそんぐらいで、あとは一緒に料理をつくったりとか……」
「たまに大物洗濯一緒にやったりもしますかね? 私たち、趣味が別々なんで」
「映画の好みも合わないよね。あたしはカナミが観たくないやつは平っちにつきあってもらったりしてる。あたしはほかのだれと行ってもいいんだけどさー、カナミは結構やきもち焼くから」
「私は一人で行きます。そもそも好きな映画観るのにだれかと一緒じゃなきゃ駄目っておかしくないですか?」
「えーだって感想言いあったり着眼点が違うと2度楽しいじゃん」
「映画に付随するそういう時間をドリちゃんがだれかと共有するのが嫌なんです」
この会話、放っとくと喧嘩になりそうだ。
「まあまあまあまあ」
平島さんが割って入った。
「ドロシーが観たいのでアリスちゃんが観れないやつなら、僕はまたいつでもつきあうからね」
「平っちは内容に関する感想はあまりなくて、SFXの出来だとか映像面の話とかばっかだから、あたしには物足りないんだけどね。視点が偏ってるっていうのか」
「僕は観ちゃうとそれでもう満足しちゃうからねえ。内容に関してのアウトプットがあんまり必要ないんだよね」
最初に質問した裕希くんは、ちょっと気圧された様子で、3人の会話を黙って聞いてた。
アリスさんが親に結婚させられそうになったエピソードもついでに聞いた。アリスさん、大学のときにつきあってた女の人が、たまたま父さんの会社の上役というか、幹部クラスの人の娘さんだったんだって。彼女さんの親は、アリスさんと彼女さんが別れるだけでは納得できなくて、アリスさんに結婚してもらって遠くに引っ越してもらうように要求してきたんだって。見合いの相手も連れてきたそう。でなきゃお父さんに会社を辞めてもらうって。
アリスさんの両親もアリスさんに対してカンカンで、言われるとおりに結婚するか、出ていくか2つに1つだって言われて、でもまだ学生だったしお金もなかったしで途方にくれてたら、たまたま誘われて訪ねた莫さんの店に来てた平島さんに声を掛けられて、だったらウチに来る?って話になったそう。大学はそのまま中退したのだそう。5年ぐらい前の話だって。
幹部の人に言われた相手との結婚を蹴った形になったけど、結果的にお父さんはまだ会社に在籍できているとのことだった。ただしアリスさん自身は、もう親とは一切連絡を取ってなくて、弟を介してたまに様子を聞いているだけなんだって。
当時彼女さんだった人は大学を卒業したあと、両親の決めた人と結婚したらしいとのことだった。
「父親は、もしも私が許してくれっていってきてもウチの敷居はまたがせん、とか言っているらしいですが、そもそも私の方が両親を全然許せてないので、和解は無理です」
「カナミにしてみたら、好きな人と一緒になる未来を奪われたわけだからね? けどカナミの親の側はそんなことには思い至ってなくて、迷惑かけられたとしか考えてないよね? 認識がまるで嚙み合ってないからどのみち和解は無理だと思うんだ。けどカナミ、うちの両親とはうまくやってくれてる」
「私にとって親と呼べるのは、いまはドリちゃんの両親だけだから……」
「カムアウトしてるんですか?」
裕希くんの質問に、ドロシーさんはこう答えた。
「あたしはもうずっと昔に母親に打ち明けてた。いずれ同性のパートナーを連れて来ると思うから覚悟しておいてよって。ビアンってゲイと違って自分のセクシュアリティが最初からはっきりしてる人は少ないから、こういうのなかなか難しいとは思うんだけどね。あたしはまあまあ早くから自覚してたから」
「お母さんはなんて?」
「最初すごくびっくりして、少し考えさせてって言われた。それで2、3日経ってからこう言われた。人間どう生きてもいずれは死ぬんだから、できることをやって、好きなように生きなさいって」
お母さん、達観してる。もしもあたしが同性の恋人を連れてきたら、うちの両親だったらどうするんだろう。ちょっと想像できない。兄貴には普通にディスられそうだ。かわいそうな子扱いとかされそうだ。
「母親がいうには、早く法改正されて同性婚が認められるようになって、あたしとカナミが里親とかにもなれるようになったらいいねって。そうしたら養子をもらって2人で育てられるでしょうって。いつになるかわからないけどね」
いまの法律だと、ドロシーさんかアリスさんのどちらか1人の養子をもらうことは可能でも、2人にとっての養子っていうのはできないんだって。世の中のしくみが動くまでにはいろいろなハードルがあって、一朝一夕ってわけにはいかないだろうって、ドロシーさんは言った。
いまの時代、同性愛者が夫婦に一番近い関係になるためには、いわゆるゲイ婚っていって、当人同士が養子縁組するやり方が一般的なんだけど、ドロシーさんの両親が、アリスさんと養子縁組するって案も浮上してるんだって。けど、今後起こり得る事態を想定していろいろ考えて、まだ二の足踏んでる状態なんだって。
ドロシーさんとアリスさんが、裕希くんをマンションに案内するというので、あたしたちはそれに合わせて平島さんの事務所をあとにした。裕希くんがドロシーさんたちの車に乗って、お京さんがこっちに乗ってきた。
平島さんはお京さんに、タオを連れていかないでよ、なんて言ってたけど、お京さんはそれに対してとってもいい笑顔で、グッドラック、なんて答えてた。
「いい人じゃね? 平島さん」
「どーだか。それよりあんた、本気で平島さんとツーリングに行くつもりなの?」
「ええ? ツーリングだぜ? 別に問題なくね?」
「あんた自分が乗せられやすいって自覚あるの?」
「そーだっけ? あっ、平島さんにヒロに手を出すなって言い損ねた。しゃーねーな。もいっかい連れて来るとき言おう」
「またあんたがヒロくん連れてくる気なの? 今度は莫かあたしにまかせてよ。あんたはいい加減大学行かなきゃ」
「それよりお京さんさー、莫さんとこに残っててって頼んだのに、なんでこっち来てんだよ」
「莫なら大丈夫よ。今朝あんたたちがド派手に家を出たもんだから、オーナーあんたたちを追っかけてったきり戻ってこなかったもの」
「休日の早朝カーチェイスをする羽目になるとは想像もしてなかった。人生なにがあるかわかんねー」
「あいつ、ヒロくんに会えさえすれば連れ戻せるって素で考えてるっぽいとこが腹立つのよね」
「時間が経過するほどに洗脳が解ける可能性出て来るから、急いでるんじゃね?」
お京さんたちの会話を聞きながら、あたし、窓の外を向いて、ドロシーさんとアリスさんのことについて考えてた。
ていうより、あたしは具体的な将来のことなんて、何一つイメージしてなかったんだな、って実感した。梓に告白して、もしも受け入れてもらっていたとしても、その先のことは何一つとしてビジョンになかった。恋人同士になって手をつないで歩いたりするとかいうこともイメージになかったし、ましてや将来どこかに一緒に住んで、一緒に料理したり買い物に行ったりするかもとか、お互いの両親のことを考えたり、養子をもらって一緒に育てるとか、そういういろんな可能性について模索したり、2人が一緒にいるためにする、そういうこと全般。
あたしはただ壊れそうな梓の世界に触れていたくて、それを見ていたくて、それに少しでも近づきたくて、そんなただの気持ちだけでこの手を伸ばしてしまった。何の覚悟もないし、いまだってない。もっとつきつめていえば、梓に何かしてほしいわけですらないのかもしれない。梓に、ただ梓でいてほしい。変わってほしくない。居なくなってほしくない。
ううん。きょう、一つだけ決めたことがあったね。何があってもあたしは梓を応援する。たとえあたしの気持ちを殺すことになったとしても。梓は大学の受験資格を手に入れるための試験を受けて、遠くにある大学を目指して受験をして、卒業を待たずに進学する。うまくいけばいい。でもうまくいかなきゃいい。ああ、でもうまくいってほしい。気が変わって、東京の大学を目指したりなんてないかなあ。けど梓の目的のひとつに、梓ママと距離を置くことも含まれてるとしたら、梓が東京の大学に進学してもあんまり意味がない気がする。
あたしが梓を追いかけて、同じ大学を受験するとかは? これもあんまり現実的じゃない。あたしはアート系の進路を考えてるの。いくつか芸大を受けて、どれにも受かんなかったら専門学校も視野に入れて。アホの兄貴がお金のかかる私立の大学に入ったから、あたしにも同じだけ出してくれるってパパとママが言ってくれた。芸大はめちゃくちゃ倍率高いから、正直運ゲーの側面もある。専門学校でそれなりに就職の実績を持ってるとこは、やっぱり東京に集中してるんだよね。あたしは多分、東京から出られない。
さっきの給湯室でのことだけど、あのあと司くんともう少し話をした。
梓が言ってた言葉で、引っかかってることがもう一つあるって言われたの。
司くんのパパは、梓を置き去りにして、司くんだけを連れて逃げた。そのときのことについて、2人の離婚時、司くんのパパは梓のママに、裁判すればお前が負ける、といっていたのだと梓は言った。
だけどそれって理屈に合わないんだって。双子の子育ての期間中ずっと、司くんのパパは病院で研修医をしていてめちゃくちゃ忙しかったから、赤ん坊の世話とかは多分ほとんどできてなくて、育児の実績は圧倒的にママにあったはず。でなくてももともと女の人の方が親権を取りやすいんだって。梓ママは薬剤師の資格も持ってるし、再就職の当てもあった。司くんと梓2人分の親権もしくは最低でも監護権を、争えば確実に取れてたはずなんだって。
パパが事実と違うことを脅して言ったって可能性もあるけど、いまは情報社会だからそういうのはわりとすぐバレる。だれかがちょっとアドバイスしさえすれば、梓ママはパパの手元から司くんを取り返すことができてたはず。
「俺たちの母親? 美咲さんっていえばいいのかな? 彼女の言うことが俺、なんか少し不穏な気がするの。これもうかつにアズちゃんには言えねーけど。ほんとただの憶測だし。俺はどうしたって親父サイドに偏ってものを見てしまってるわけだし」
さっきの平島さんの事務所の給湯室で、司くんはそんな風に言っていたの。
窓の外の景色は流れていく、宇都宮の市街地。栃木も東京と変わらず良いお天気だ。
運転する司くんの隣でシートにもたれてる梓は、お京さんと司くんの会話には口を挟まない。ていうよりお京さんの乱入で、梓は再び置物化してるって言った方がいい。さっきの平島さんたちに対してもあんまり打ち解けた風じゃなかったよね。裕希くんのほうがずっと場に馴染んでた。
車に乗ってすぐに、司くんとあたしが席を外してた間の談話室での会話を、お京さんが教えてくれた。
平島さんが言ってたんだって。
「ヒロくんにタキシード着せて、アズちゃんにウェディングドレス着せて、ペアで写真を撮りたいね」って。
標準的なウェディングモデルのペアだと男性が黒髪で女性は茶髪でってなりがちなんだけど、梓が黒髪で裕希くんの髪が明るい色なのが意外性があってインパクトになるとかなんとか言って。
「黒髪の花嫁さん、清楚でいいよねえ」なんて言う平島さんに梓、
「私は胸に大きな傷跡があるから、胸元の開いたウェディングドレスは着れません」と答えたらしい。
「そうなの? 事故かなにか?」って平島さんが聞いて、
「手術です。でももし胸に傷跡がなかったとしても、私は特にウェディングドレスを着たいとは思いませんから」って返したんだって。
「なんでなんで?」って聞き返す平島さんを、お京さんが横から混ぜっ返したんだって。
「そうよねえ。女の子だってドレスよりかタキシード着たい子だっているわよねえ。ねえ、ドリちゃんとアリスちゃんは結婚式上げるなら、2人ともドレス? それともどっちかがタキシード着たりしたい?」
「ドレス同士でもいいですけど、ドレス姿はきっとドリちゃんの方が映えるから、私がタキシードを着てもいいと思ってます」
そんな風にアリスさんが答えて、そっから同性カップルの結婚式の話に移行したらしい。ちなみにお京さんと星野さんは、式もなんにも挙げなかったんだって。もしも式を挙げてたらお京さん、ウエディングドレス着て、お色直しもちゃんとやりたかったって。
いま、司くんの運転する車はJRの駅に向かっている。お京さんを駅に下ろしたあと、ドロシーさんとアリスさんの住むマンションに、裕希くんを迎えに行って、往路と同じメンバーで東京に戻る。車は5人乗りだからお京さんも乗れるんだけど、もう復路のチケットを買ってるんだって。
「連休の最終日だから帰りは渋滞を覚悟しときなさいよ。それか、あたしと一緒に電車で帰らない?」
そんな風に誘われたけど、電車の旅も楽しそうだってちょっとだけ思ったけど、荷物が多いし人見知りの梓がお京さんに同行するっていうとは思えないしで、断った。だったらその代わり、今度一緒に旅行に行きましょうよって誘われた。候補地として箱根か江ノ島か高尾山って提案される。江ノ島と高尾山だったらあたしも行ったことある。けど、お京さん、高尾山は歩くところだし江ノ島だって結構歩くよ? ハイヒールじゃ出かけられないよ?
なんだかバタバタとお京さんを見送って、カーナビに入力した住所を頼りにドロシーさんたちのマンションに向かう。駐車場に着いて連絡したら、裕希くんたちすぐに降りてきた。あたしたち、ドロシーさんとアリスさんにお礼を言って出発する。2人は並んで手を振って見送ってくれた。やっぱり彼女たち普通に仲良さそう。
あたし、後ろを向いて、車の中から手を振り返した。一期一会なんて言葉が頭に浮かぶ。司くんや裕希くんはまたここに来るのかもしれないけど、あたしがドロシーさんたちに会いに来る機会は多分もうない。もっと時間があったらいろんな話が聞けたかもとか、アドレス交換してくださいって言えばよかったかもとか考えた。




