43 その日はずっと青空だった(2)
さっきまで立て板に水って感じでしゃべり続けてた平島さん、ちょうどいま黙ってる。司くん、話しかけるなら、そして誤解を解くならいまじゃないかな。
「コーヒーとりあえず6人分だけ用意するけど、ドロシーさんとアリスさんの分は到着したら改めて用意するでいいかな?」
「ああ、彼女たち来たら自分でやると思うし、そのままにしておいて」
「これ運ぶのに、大き目のトレイある?」
「どこだっけ?」
司くんに聞かれて平島さんがあちこちの引き出しをあてどなく開けてみたりしてるから、あたしも何となくトレーがありそうな気のする低い場所の引き出しを開けてみた。あった。
「マリリンすごいね。秘書に雇いたい」
トレーが出てきて平島さん喜んでるけど、多分普段お茶出しとか自分でやらないからわからなかっただけだよね? この人、一般的な生活能力がちょっと低そうだ。天才肌の人にはよくいるって言われてるタイブ。満遍なく能力があるんじゃなくて、どっか一部ひどく欠けていたり足りなかったりするっていうやつ。
一旦下準備ができたら、お湯が沸騰するまでは手持無沙汰だ。
司くん、そこでさっきの話を切り出した。
「平島さんが誤解してるみたいだからいうけど、別に俺、莫さんに片思いしてるってわけじゃないからね」
「あれ? そうなの? だけどタオは莫ちゃんのこと好きでしょう?」
平島さん、ちょっと目を丸くして首をひねったけど、すぐにそう切り返してくる。
「いやまあ好きだけど、別に恋愛的に好きなわけじゃないから」
「恋愛的とかそうじゃないとかそんな区別意味ある? だって莫ちゃんのこと、とにかくめちゃくちゃ特別に好きでしょう? 見てたらわかるからね」
「いやそこは一応区別必要だと思ってるけど」
「区別って何のために?」
「なんのためって混乱しないため?」
「だって相手のことものすごくものすごく好きだったら、そういう分類とか意味なくならない? 例えばだけど莫ちゃんにつきあってって言われたらタオはつきあうでしょう?」
「いや、それ絶対あり得ないから」
「起こり得ないってわかってて聞いてるんだよ」
ないって即答するかと思ったんだけど、司くんはすぐには返事をしないでちょっと考え込んでる。
「とりあえずその答えは保留で。ただ、平島さんの質問の意味は分かったと思う。俺、多分莫さんに対しては基本的にはNGがないと思う。OKとNGの線引きをどこかでするとしたらだけど、こんなこと絶対頼まれないしできっこないってわかってて例えるけど、万一国会議事堂を爆破してくれって頼まれたら、多分断る。管制塔をハッキングして旅客機を墜落させてって頼まれても断る。けど、多分線引きのラインってそんぐらいの感覚?」
そこは司くん、多分断るじゃなくて、絶対断るってとこじゃないの?
「またまたぶっ飛んだ例えを持ち出してきたね。どうして保留なのか聞きたいけど、興味深いからもう少し別のことを聞いてみていい? じゃあ例えばだけど、2丁目に行って不特定多数を相手にウリをしてって莫ちゃんに頼まれたらどうする? なにかのっぴきならない理由があったとしてだけど」
「ウリって売春? あー男同士って犯罪にならないんだっけか?」
「多分だけどね。法的な問題はあなたの方が詳しいんじゃないの?」
莫さんは絶対司くんにそんなことは頼まないって言いたかったけど、そもそも最初に絶対あり得ない例を持ち出してきたのは司くんの方だし、これはツッコミ入れようがない。
それにしても平島さん、なんかいきなりエグいことを聞いてくるなあ。
2丁目がどうのって夕べお京さんが星野さんのことを心配して言ってた2丁目だよね。ゲイの人たちが集まる場所だって聞いたことがあるけど、よくわかんないけどすごい怖いところって認識でよいの?
「具体的にどうのっぴきならない状況っていうのが起こり得るのか全く想像もつかないんだけど、もしもそういう何かが起こるとすれば、そこはYESの範疇かな? 莫さんに何か変な被害が及ばないとしてだけど」
「献身的だね」
「そういう話だっけ? てかこれ、あくまでも仮定の話だし、国会議事堂爆破と同じぐらいリアリティないよね? 現実はもっとずっとささやかなことですら莫さんの方から俺に何か頼んでくるってないから。俺がたまに頼まれるのってせいぜいがとこ店の入り口のモップがけぐらい?」
「ああ、喜んでモップ掛けてる君の姿が目に浮かぶよ。要するにタオは莫ちゃんが頼むことだったらどんなことでも喜んで請け負いたいと思うんでしょう? というよりももっと頼ってほしくて役に立ちたくていつも一生懸命だよね? できることをいつも捜してるし、莫ちゃんに断られてもめげないし」
いや、モップ掛けなら適当にちゃっちゃと片づけてるよ、って司くんの返事は例によって平島さんのしゃべる声にかき消されてしまう。平島さん、お京さんじゃないけど声が大き目だししかも早口だ。
それでも司くんがいつも莫さんの役に立ちたいと思って行動してるのは、割と的を射てるというか、あたしの目からみてもそう映る。きのうだって、忙しくなりそうな莫さんの代わりの店番を申し出て断られて、しょんぼりだったんだものね。
このやり取りでちょっとわかってきたのが平島さんのことで、この人は自分の目で見たものを判断の拠り所にしているから、他の人の意見に割と左右されにくいのだと思う。実はあたしにもちょっとだけそういうところがあるから、そこはシンパシー。だけど見るって変なフィルターかかることが割と多いから、やっぱり時には人の話にも耳を傾けた方がよいと思うの。って、17歳が30代の人の処世術に物申すほどの経験値も説得力もないから言わないけど。この人見たところいわゆる成功者だし、人の話を聞かないことでこの人自身が何か損をしてるってわけではないから、助言とか必要としてなさそうでもあるし。
「それでどうしてつきあってって言われたら保留なの?」
「その前に莫さんそんなこと言って来ないだろ」
「そんなことは百も承知だよ。莫ちゃんおぼこい相手は不得手だものね。多分だけどちょっとスレてるぐらいの方が気楽だと思ってるんだよね。ちなみに僕は初心な子の方が好きなんだけどね」
「平島さん、莫さんと俺が出会ったいきさつ知ってる?」
司くんは平島さんの質問に答える代わりに、別の質問で切り返す。
「それは聞いたことないけど、莫ちゃんとつきあえない理由があるってこと?」
そのタイミングでお湯がしゅんしゅんと音を立てて沸き始める。
司くんは続きを保留にしておいて、コーヒーを入れ始めた。司くんがコーヒーを入れてるところを見るのはこれで3度目だ。夕べは角度的に司くんの手元は見えなかったけど、きょうはよく見える。一度お湯で蒸らしておいてそれが落ち着いてから、もう一度ゆっくりとお湯を注いでいく。手慣れてるなあ。蒸らしに必要な時間とかお湯を足すのに最適なタイミングとかはあたしにはよくわからないから、代わるよとはちょっといえないよね。
「マリリンは知ってるの? タオと莫ちゃんが出会ったいきさつって」
平島さんも眺めてるだけなので、同じく眺めてるだけのあたしに声を掛けてきた。
「はい、聞いて知ってます」
「マリリン僕にはタメ口でいいってば」
そう言われても初対面の大人の人にタメ口は利きにくいよ。かおりちゃんやヒロくんはまだ兄貴ぐらいの歳だけど、平島さんはどちらかというと両親の年齢に近いんだもの。
「すぐには無理でも慣れたらでいいから考えておいてね。それでタオと莫ちゃんの出会いってどういった話なの?」
「えーと、家出した司くんをたまたま莫さんが拾って、それで司くんが莫さんちに居座っちゃって、その間に司くんのおうちの人が警察に届け出を出して、刑事事件になってしまって、それで莫さん失業しました」
事実を簡潔に正確に。だけど、お父さんのことは何をどう話したらいいんだろう。
「何年ぐらい前の話?」
「7年前だそうです」
「それは莫ちゃん大人げなかったね。けど、子どものタオはさぞ可愛らしかったんだろうね。ついお持ち帰りしたくなっちゃったのかなあ」
「そのときの司くん、顔の形が変わるほど殴られてて、全然可愛いとかじゃなかったそうです」
夕べの莫さんが言ってた言葉を思い出してあたし、そう言い加えた。フランケンシュタインとか、ボロ負けしたボクサーとか言ってたんだもの。どんだけって感じだよね?
新聞の記事を読んでいたあたしが、莫さんがゲイだと知って最初に考えたのが、司くんがすごく可愛くて目立つからさらわれたんじゃないかってことだった。いまの平島さんみたいな反応をする人は多分、多かったんじゃないかと思う。というよりあたし、もっと端的にいうと性犯罪を連想した。
あたしが思うに司くんは、折に触れ機会に触れ、事件を知る人のそういった誤解を解いていく作業を地味に続けてきた。きっと、7年の間ずっと。莫さんはあまりそういうのに積極的じゃなさそうだから、多分司くんが一人で苛立って、違うって言い続けて。
多分いまよりも、時間をさかのぼるほどに余裕のなかった司くんが想像できる。目の前の平島さんは、たまたま偶然だか何かで、莫さんのために必死になってる司くんを見たのかもしれないね。
あたしの説明を聞いて固まってた平島さん、ちょっと首を振って、ため息とともに言った。
「……僕、暴力とか絶対無理なんだけど。一体だれにそんな殴られてたの?」
「お父さんです、司くんの」
「なるほど。だったらタオがうちに帰りたくなくて当然だね。だけど莫ちゃんはすぐに警察に連れて行けばそっちで対処してもらえてただろうに、なんで自分とこに連れて帰っちゃったんだろうね」
「司くんが警察も病院も嫌だって言い張ったんだそうです」
「なるほどねー。莫ちゃんの性格じゃ、それを強引に警察に連れては行けなかったんだろうね。大体の事情はわかったよ。サンキュー、マリリン。すごくわかりやすかった」
コーヒーを入れてる司くんが特にあたしたちの会話に口をさしはさまなかったから、おおむねあたしは的確に説明できてたんじゃないかと思う。
「だけどそのとき迷惑かけた負い目から莫ちゃんの役に立とうって頑張ってるわけじゃないんでしょう? ねえ、タオ、少なくとも僕にはそんな風には見えないんだけどな」
「うん。負い目もなくはないけど、そこは別にモチベーションじゃない。けど恋愛感情でもないよ。平島さんの目にどう映ってるのかわかんないけどさ」
「どういった感情なの?」
「好きだし大事だし守りたい。けど恋人でないとできないことには興味ないって感じ? だからつきあうかっていうと何か違うじゃん。同じ気持ちが返せないのはまずいでしょう。守りたいのに守れなくなってしまう。それじゃ駄目だと思ってる」
「守りたいと思ってるんだね」
「けどやっぱり恋愛感情じゃない。ただ、いままで考えたことが全くないかっていうと、考えたこともあんの。莫さん基本的にダメンズウォーカーだから。というかある意味ダメンズメーカーなのかも。甘やかして相手をロクデナシにしちゃう傾向があるみたいに見える。だから何年か前にちょっとは思ったことあったかも。あんなのだったら俺の方がマシじゃん、いっそ俺にしとけ、みたいな? さっき平島さん、莫さんはスレてるやつ方がいい、みたいに言ってたけど、スレてるの一言じゃ片付けられないようなトンデモなやつがいたんだよ。もちろんそんな人ばっかでもなかったけど」
「あ、やっぱそんな風に思ってたこともあったんだね。それだと、全くの僕の勘違いってわけでもなかったよね? 僕が知ってる莫ちゃんのカレシはねえ、僕あんまり知らないんだけど会ったことがあるのが、えーと、ヨシくん? 花村芳樹くん?」
「ヨシキさんは全然いい人だったよ。ちょっと、っていうかかなりぶっ飛んでたけど。なんか甘え上手で、莫さん大体和んでたから。ヨシキさん俺に対してはなんていうかちょっと威張ってて、そういうとこも腹立つ感じじゃなくて、とにかく可愛らしい人だった。料理とかスポーツとか、なんでもいろいろ教えてくれるんだけど、教えてくれるときに、すげー得意そうな顔すんの。スケボーとか、ぜってー真似できねー大技披露してさ。ドヤ顔で、誉められたいオーラ出してさ。このまま莫さんとうまく行きそうだって思ってたのに、なんか女の人と結婚するとか言って、突然去って行っちまったんだよね。ヒドくね?」
「あー、ヨシくんバイかー、そうかー。そりゃヒドいよねえ」
「つか、平島さん、コーヒー運ぶから続きは向こうでいい?」
「待ってよ待って。一時、俺にしとけって思ったことあるのが、どこからどうして恋愛感情じゃないって思うに至ったの?」
「俺、普通に冷静に判断してただけなんだよ。莫さんの歴代のカレシ頭の中で並べて比較したら、名前言わないけどそのロクデナシよか俺の方がマシだけど、莫さんにとってヨシキさんの方がもっといいなと冷静に思えたの。フツーにイチャつける方がいいっしょ。同じ熱量で同じ質の気持ちが返せる方がいいっていうか、そもそも俺にとって男性はそういう対象じゃない」
うわー司くん、身も蓋もないことを最後に言った。話の内容から、実は司くんにもちょっとゲイの傾向があるのかって流れからのこの着地点。これあたしの援護射撃必要ないんじゃないのかな?
平島さんは首をかしげて、
「嫉妬したりとかはなかったの?」
「ない。嫉妬されたことはあったけど。あっ、ヨシキさんじゃなくて別の人からだけど。ヨシキさんと莫さんはすげーラブラブだったし。傍から見てもなんで突然出て行ったのかワケわかんねえ」
「ヨシくんのことは僕はよく知らないけど、ゲイであることを周囲にオープンにしてない人もいるからね。両想いでも、そのあたりから温度差が出てきてしまうこともあるんだよね」
司くんは平島さんとの会話を続けながらも、カップとソーサーを載せたトレイを持ち上げて、もうドアに向かってる。せっかく淹れたコーヒーが冷めるのが嫌なんだろうな。
「鞠乃ちゃん、開けて」
言われてあたしは小走りに先回りして、ドアを開く。
「振られた莫ちゃんを慰めようとか思わなかったの?」
「思わなかった。莫さん普段から相談とかしてくれないし、そっとしておこう、ぐらい?」
「自分が代わりに、とも思わない?」
「思わない。てか最初出会ったときのこと、いま話したよね? 莫さんだれとつきあってもいいけど俺とだけはつきあっちゃ駄目でしょう。出会い方が出会い方だったからさ、疑われるじゃん。遡ってやっぱり本当は俺がガキのころから手を出してたんじゃないか、なんてさ。それだけは勘弁って思うから、ほかのヤツがいい。自分がガキのときは、そこまで思い至らなかったけど、時間が経つほどに、ほどけない枷なんだなって実感するのもあってさ……。それよりヨシキさんが戻ってきてくれたらなあ、なんてどっかで思うけど、ほんとに結婚したんだったらもう無理だよな。あーと、お京さんとかどうよ?ってちょっと思うけど、お京さんは莫さんのこと全然そういう対象じゃない、なんて言ってたし」
「京ちゃんが化粧落としてオネェ言葉やめたら、莫ちゃんにとっては十分射程範囲内だとは思うけどね」
そのとき廊下の向こう側のドアが開いて、お京さんが顔を出した。
「あたしが莫の射程範囲内に入って、あたしになんの得があるのよ」
タイミング的に会話の切れっ端がお京さんの耳に入ってた。
「遅いから心配になって様子見に来たんだけど、一体何の話よ」
「ごめんごめん。例えばの話だよ。ねっ、タオ。莫ちゃん最近振られたっていうから代わりにだれかつきあってくれる人いないかなって話をしてたんだよね」
お湯が沸くのにちょっと時間がかかったから遅くなった、っていう司くんの返事は、平島さんの声にかき消されたけど、平島さんが相槌を求めてきたので、司くんは再び口を開く。
「例えばっていうなら平島さんはどうよ?」
「え? 僕と莫ちゃん? やだよ。僕タチだからね。莫ちゃんもそうでしょ? それに僕があなたに惚れてるってわかっててそんなこと言う? ねえ、どうかな? もしあなたが僕とつきあってくれるなら、それで僕は十分嬉しいし、僕なら同じ熱量であなたから気持ちを返してもらえなくても大満足だよ」
平島さんが、僕タチだからね、といったところでお京さん、それは奇遇ね、あたしもタチだからって言ってたと思う。多分だけど。莫ちゃんもでしょ?のところで司くんが、そんなプライバシー知らね、って言ってたと思う。多分だけど。
「悪いけど平島さん、俺は……」
「じゃあね、僕が裕希くんを助けてあげる代わりって言っちゃなんだけど、一回だけつきあってくれるっていうのはどう? いやいやヘンな意味じゃないから安心してよ。Jリーグ観戦とかでもいいし、そうだ、ツーリングとかどうかな?」
平島さんの言葉に、司くんは目を丸くする。平島さん、バイク乗んの? っていう司くんの言葉をかき消すように、テンポよく平島さんはしゃべり続ける。
「僕、大型免許持ってるよ。いま乗っているクルマはね、ホンダのVFR1200Xっていってね……」
「すげー。デカいやつだ。見たい!」
司くん、バイクの話が出た途端に、目がキラキラしてる。ちょっとチョロいんじゃないかなあ。
「日光とか、那須高原とかどう? 箱根のターンパイクを走るのもいいね。房総半島に足を伸ばしてもいいし、千葉は走ったことある?」
「いや、ない。なんか神奈川県にはよく行くんだけど、千葉方面には知り合いがいないのもあって……」
「千葉は海も山も綺麗でいいよ。よかったら今度走ろうよ。日程はどうとでも、あなたの休みに合わせられるから。いいかな? OKだね。よかった。楽しみだ」
司くん、なんか押し切られて平島さんの提案を受け入れた感じになっちゃってる。ちょっとチョロ過ぎじゃないのかな?
「んもう、何乗せられてんのよ、タオ」
お京さんが、ぶつくさいいながら、司くんからコーヒーの載ったトレイをぶんどった。あたしはドアのところに回り込んで扉を抑える。
「鞠乃ちゃん、ありがと。気が利くわね。平島さん、ドリちゃん来たみたいよ?」
「え? もう?」
ドリちゃん? ドロシーさんのことかな?




