42 その日はずっと青空だった(1)
何に驚いたかって、宇都宮に着いたらそこにお京さんがいたことだった。
事務所の社長室みたいなところのソファに優雅に足を組んで座って、クッキー食べてコーヒーを啜ってた。
「やっほータオ、元気だったあ?」
「今朝ぶりで元気だったもなんもねえだろ」
すかさず司くんがツッコミを入れる。
「何やってんだよお京さん、莫さんのところに残るんじゃなかったのかよ。どうしてここにいるんだよ」
「だってタオが心配だったんだもーん」
お京さん、明るくきゃらきゃらと笑って、平島さんの方を向く。
「だってねえ、平島さんがタオを口説くからさ」
「京ちゃん、やってもないことを先回りして言わないでくれるかな?」
「やーね、牽制してんのよ。わかってるくせに」
「京ちゃん、あなたタオに対してちょっと過保護過ぎじゃないの? タオもたまにはこのお小言の多い口うるさい保護者の手を離れてハメを外したいって思うよね?」
「どうも、平島さん。夕べは夜中に相談に乗ってもらってありがとうございました」
司くん、平島さんの言葉を華麗にスルーして、そう挨拶した。
平島さんは一見した感じ、とても普通の人、という印象。えーと、平凡という意味ではないの。多分顔立ちは整っている方。
ただ、お京さんみたいなフェミニンな感じでもなく、莫さんみたいなバーテンダー風でもなく、山岡さんみたいなスーツの下に拳銃隠し持ってる風でもなく、国原さんみたいなモード系でもなく、ごく一般的な会社員風。髪は長すぎず短すぎずきちんとカットされた無難なヘアスタイルで、目立たないベーシックなタイプのメガネを掛けて、ごく淡いブルーのストライプの入ったワイシャツにアイビー柄のネクタイ、上品な紺のスラックスに手入れの行き届いた黒の革靴。
街ですれ違ったら多分顔を覚えていない。
と思ったら一瞬、まっすぐこちらに視線を向けた。さっくり上から下まで一瞥された感じ。平島さんは、あたしの隣の梓と司くんを挟んで反対側にいる裕希くんにも視線を走らせる。あ、意外と油断ならない人かもこの人。なんだろう、視線に何か、値踏みされるような感覚を覚えたの。静かで色のない、感情もわからない透明な視線。
そう思ったとたん平島さん、もう一度あたしの方を見て、ふっと口元を緩めてかすかに笑った。
視線が合ったのは一瞬で、次にはもう平島さんは司くんと裕希くんを見比べるように見てる。
「君がタオの話してたヒロくんだね。美容師だって聞いたけど、個性的なスタイルでなかなかよいね。自分の長所を知っていてちゃんと生かせているファッションだ。他の人のファッションを考えたりアレンジしたりする仕事はどうかね? 僕はセレモニーホールをいくつか運営していて、多岐にわたって活躍できるスタッフを随時募集しているんだ。言ってみればウェディングプランナーをサポートするような仕事だね。アイディアを青写真にしていくつかピックアップして一緒に形にしていってくれる人を探していてね……」
「待って、平島さん」
立て板に水のように話し始めた平島さんを、司くんが慌てて止めた。
「だからちょっと気が早いってば。電話でも話したけど別に今日は仕事のあっせんをしてもらいにきたんじゃなくて、ヒロの当座の避難場所になってもらえないかの相談に来ただけだから」
「いやいや僕がヒロくんを一目見たいから来てもらったんだよ。単にどこかの部屋を貸すだけならわざわざ顔を合わせる必要はないからね。来てもらってよかったよ。いろいろとイメージがわいてきた。イベントの司会進行役なんかもいいね。見た目が華やかだから映えると思うな。ヒロくん身長はいくらあるの? 結構高身長だよね?」
「ひゃ、177cmです」
「おっ、いいね。レンタルのタキシードのモデルでもいけそうだ」
「あの、俺、ウェディングプランナーとかイベントの司会とか、そんな仕事ができるような能力はとてもじゃないけど……」
「気にしないで気にしないで。すぐにどうこうって話じゃないからね。ゆっくりでいいし気が向いたらでいいんだからね。なんならちょっとした受付のバイトや雑用のバイトとかもあるよ。どちらにしてもゆっくりでいいからね。それにもし気が向いて僕の計画していることを手伝ってもらうことになったらちゃんと研修するから大丈夫だよ。プロの役者さんも使ってるトレーナーの人を呼んで接客の研修をするからね。発声練習の基礎の基礎からやるから自信がなくても全然大丈夫。ほかにも何人か新人がいるよ。そうだ。昨日面接に来てもらったばかりの子で、採用しようと思っている子がいるんだ。気が合うかもしれないから今度ね、紹介するよ」
平島さん、ほんっとうに一方的に畳みかけるようにしゃべる人だった。お京さんや莫さんが人の話を聞かない人だって言ってたのは、こういうことだったのか。見た目は没個性的だけど、中身は超個性的だ。
「平島さん、先に言っとくけどきょうは一旦ヒロ連れて帰る。ちょっときょう夕方弁護士さんに同行してもらって警察署に被害届出して、ヒロの働いてた美容院と退職の話し合いをすることになったから」
司くん、会話の隙間に急いで滑り込むようにやっとそれだけ口をはさんだ。新春カルタ取りみたいな謎の緊張感が漂う。
「じゃあ、部屋だけでも早めに案内したほうがいいね。僕が見た感じだとね、ヒロくん協調性ありそうだからシェアハウスOKだと思うんだ。いま女子寮に空きがあってね。3LDKのマンションの個室に鍵をつけてリビング部分を共用にしてるんだけどね。冷蔵庫と電子レンジは各部屋につけてね。ビアンのカップルが1部屋ずつ使ってて1部屋余ってるんだけど、ノンケ女子を入れるのもどうかと思ってたところから、ヒロくんとりあえずそこに住んでくれないかな? 2人ともバイの傾向はないからトラブルの心配要らないよ。町田で最初に事業展開してたときからのスタッフで今回こっちに来てもらったメンバーだから、気心が知れてるんだ。ねえ、京ちゃん、ヒロくんもバイじゃないんだよね? いやバイでも別に構わないんだけどね。トラブルにさえならなければ。え? 違うって? よかっただったらなお安心だ。2人に紹介しよう。居心地悪かったりなにかうまくいかないと感じたら早めに相談してくれたらまたアレンジし直すからね。ただ男子寮の方はなぜかノンケばかりなんだよね。まあ、たまたまなんだけどね。採用担当のスタッフの陰謀ってことも考えられるけど、多分たまたまだね」
それだけ一気にしゃべりながら平島さん、もうどこかに向かって電話を掛け始めてる。
平島さんが話してる途中、お京さんが平島さんに、ヒロくんバイじゃないよって返事する間にももう次の言葉をしゃべり続けてたからね。
「ああ、ドロシー? あなたたちのフロアにもう1人入れたいんだけどいいかな? いや。ゲイ男子であなたたちより一回り年下のシャイボーイだよ。アリスちゃんそこにいる?」
ドロシー? アリス??? そのビアンカップルって外人なんだろうか?
通話先にアリスちゃんが出たらしく、平島さんはドロシーさんに言ったのと同じセリフをもう一度繰り返す。
「休日に悪いんだけど、いまから連れて行くからちょっとだけ時間をもらえるかな。きょうはまだ入居しないから顔合わせだけ。いまから大丈夫? それともどっか出かける? ええ? いいよいいよ、そんなオフの日に悪いし。えっ、そうなの? だったらお願いするかな」
電話を切った平島さん、さらに早口でしゃべり始める。
「いま2人で外に出てるっていうかたまたまこのすぐ近くにいるらしいから5分で顔出すって。ていうかとりあえず座ってよ。コーヒー淹れるから。あとクッキー食べる? いま持ってくるから座って座って」
いまさらのように平島さん、あたしたちに椅子をすすめてくれる。
そしたらお京さんが口を開いた。
「平島さん、言いたかないけどこのコーヒー不味いわ。あんたが淹れるんじゃなくてちょっとだけ待ってスタッフの人に淹れてもらったほうがマシだと思うけど。いまから来るんでしょ?」
「そうなの? 不味い? 僕コーヒーの味よくわかんないんだよね。淹れ方の説明書よく読んでなかったのがマズかったのかな?」
「なんならあたしが淹れましょうか? ちょっと厨房借りていいかしら?」
「いやいや5分で彼女たち来るからできれば待ってて。お客さん働かせてるところドロシーに見つかったら、僕、叱られる。あっ、ここには厨房はなくてあるのはただの給湯室だけどね」
「別に客じゃないでしょ。勝手に押しかけてきただけだし」
立ち上がろうとしたお京さんを、平島さんは押しとどめる。と思ったら平島さんがさっき通話を終えてデスクに置いたばかりの電話が鳴る。
「どうしたのドロシー。なんか問題でも?……あっ、いいね。気が利くね。だったらエターニティーモンブランカフェの抹茶ケーキを頼んでいい? え? 今日休み?……いいよいいよ、そっちのやつでも全然。あっ、領収書もらってきてね。あて名は『株式会社オンリー企画宇都宮事業所』でお願いするよ。人数はあなたたちを入れて8人で。いやいやあなたもたまには甘いもの食べなさいよ。……だったらアリスちゃんが2個食べてもいいから、とにかく8個買ってきて。ゆっくりでいいからね」
エターニティーモンブランカフェってケーキ屋さんの名前かな? なんだかスゴい名前のスイーツ店だ。
電話を切った平島さん、今度はうって変わってお京さんにコーヒー淹れてくれるように言ってきた。
「彼女たちケーキ店に寄ってくるそうだから、5分で着かないから、京ちゃんいまのうちにコーヒー頼んでいい?」
「従業員におびえてる経営者ってどうなのよ。ま、従業員を殴る経営者よか全然マシだけどさ」
お京さんは立ち上がると、司くんに声を掛けた。
「タオ、一緒に来て手伝って」
「駄目駄目京ちゃん、タオを連れて行かないで。せっかく久しぶりに会えたんだから少し僕と話をさせてよ」
「あっ、じゃ、俺が……」
「いや、俺が行くよ。ヒロは座ってて。ていうか話がしたいなら平島さんが一緒に来たらいいじゃん。備品置いてる場所とかわかんねーことあるかもしれないし」
「わかった。そうするよ。備品はだれでもわかるようにしてあると思うから大丈夫なんだけどね」
「あっ、だったらあたしも……」
司くんは裕希くんを制して、いま座ったばかりの椅子から立ち上がった。平島さんも肘あてのあるいわゆる社長椅子から立ち上がる。あわててあたしも立ち上がる。
「じゃ、鞠乃ちゃんお願い。お京さんは待っててよ。平島さん案内頼みます」
あたし、小走りで2人のあとに続く。平島さんは一度振り返ってあたしを見て、さっきみたいにまた口元で笑った。
「あなた、何日か前にタオが莫ちゃんの店に連れてきてたって子だよね。さっき京ちゃんから聞いたよ。名前まりのちゃんっていうの?」
「文月鞠乃です」
あたし、軽く会釈する。
「あっ、僕に対してならタメ口でいいよ。まりのちゃんタオのこと好きなの? だったら僕とライバルだね。けどタオの本命はもうずっと前から莫ちゃんだからね。僕らの道は険しいよ。そういえばさっきから僕、鞠乃ちゃん何かに似てると思って見てたんだけど、いま思い出したんだよね。ロングフェイスジュモーっていうビスクドール知ってる? ジュモートリステとも言われてるんだけどね。似てるって言われたことない? 目が大きくておでこが大きくて鼻と口が小さくてね。柔和な顔でね。鞠乃ちゃん、目の色が少し淡くて灰色がかってるのもお人形さんっぽいよね」
そんなの言われたことないよ。それより司くんに少ししゃべらせてあげて。多分だけど、莫さんのこと勘違いしてるよって口をはさんだのだと思うけど、平島さんが怒涛の勢いでしゃべってるから聞こえない。
ていうか平島さん、あたしに話しかけてる中で、しれっと司くんのこと好きだって口にした。別に司くんからの返事が欲しい感じでもなくてそのまま話題が変わっていってしまってるけど。
「髪の色が亜麻色なのもね。それ地の色でしょう? ヘアカラーの色と違うものね。ああ、まりのちゃんって呼び方、ちょっと長くて言いにくいよね。マリちゃんっていうのもまるで別の名前みたいでイメージとなんか違うし、マリリンって呼んでいいかな。ビスクドールっぽいでしょ」
マリリンっていうとあたし、マリリン・マンソンしか知らないよ。音楽聞いたことないけどゴシック風のメイクしてる怖そうな人だよね? マリちゃんよりマリリンの方がもっと、全然違う名前だって思ったけど、口をさしはさむ隙もなく、平島さんはどんどんしゃべっていく。
「マリノって響きは中性的でよいね。マリアとかマリナよりも全然センスがいい。確か古代ギリシアの哲学者の名前だっけ?」
いや、地理学者だよ。と司くんがぼそりとツッコむ。これはあたしたちの耳に届いた。
「そうだっけ? タオ、君はなかなか博識だね。とにかく古代の偉人の名前でもあるし、海を意味する言葉でもあるし、イメージ豊かでとてもよいよ。響きもいいよね。けど、あなたのことはマリリンと呼ばせてね。ああ、マリリン見てると横浜人形の家にビスクドール見に行きたくなってしまったよ。タオは興味ないかな? マリリンによく似たお人形がたくさん飾ってあるよ。そういえば知り合いにアンティークドールの収集家がいたかも。一体手元に置いておくのもよいなあ。彼が持っていたら頼んで譲ってもらうのもありだな。けどまたドロシーに軽蔑の眼で見られるんだろうな。あの人偏見がすごいんだよ。フィギュアなんかにも偏見あるんだよ。僕はただ美しいものが好きなだけなのに」
いつの間にかあたしはマリリンにされてしまった。ドロシーさんとアリスさんもそんな風に勝手につけられたニックネームなのかも。もしかしたら本名なのかもしれないけど。ドロシーはともかくアリスって名前の女の子は、日本人でもたまにいる印象。
平島さんが怒涛のようにしゃべっている横で、司くんは勝手にお湯を沸かして、給湯室の棚から勝手にカップを出して、パックごとに密封されてるドリップ式のコーヒーを出してセットしていく。フィルターのふちに紙のフックがついてて、ドリッパーが必要のないやつね。お京さんのカップは一旦下げてきてるから、新しいカップを8つ用意する。同じ種類のが8つはなくて、5個のセットと別の3個。あたしはカップを並べるのを手伝った。
「美しいものといえばタオのお姉さんだね。ほんとに京ちゃんの言う通り、あなたたち瓜二つだね。瓜二つっていうよりお姉さん、ちょうど2年ぐらい前のタオそのまんまだね。君が一番中性的だったころにそっくりだ。僕、女の子にグッとくることあまりないんだけどさ、お姉さんは別だね。ノーメークで自然な感じなのもすごくいい。お姉さん、女性にしたら背が高いよね。目元も凛々しいし、ほんと中性的だよね。お姉さん、何かスポーツやってるの? 陸上かなんかやってないの? スタイルよいし、走ると早そうに見えるんだけど」
「アズちゃんは大きな病気してるから、走ったりはできないと思う。学年2個遅れてるのも病気が原因だし」
「梓は部活やってないです。あたしもですけど」
「マリリンは梓ちゃんと友達なんだね? そういえばだけど梓ちゃんっていうのも言いにくい呼び方だよね。アズちゃんって呼び名はなかなかいいセンスだね。あなたがタオで全ての道の根源で、お姉さんはAZでそのまんま全てって意味合いになるからある意味シンメトリーだよね」
そうだったのか。司くんのタオってあだ名は道教の道から来てたのか。思ってたより壮大なニュアンスだった。そして梓のアズからfrom A to Zを連想してしまう平島さんすごい。この人の頭の中はどうなっているんだろう。
それはそうと、梓が2、3年前の司くんにそっくりでグッとくるって言ってる平島さん、司くんにグッとくるって言ってるも同然なんだけど、司くんは返事に困ってるのかあえてなのかまるっと黙殺してる。
平島さんはどっちかっていうと中性的なタイプが好みなのかな? 厳ついのが好きなお京さんとまるで逆だね。裕希くんの好みは聞いたわけじゃないけど多分わかりやすい。きっとイケメンでかっこいい人が好き。いわゆる面食いだ。莫さんはどういったタイプが好きなんだろう。よく知らないけど中身重視なのかもしれないね。
中身重視っていうのがどういった感じなのかあたしにはよくわからないけどね。例えばだけど、優しい人が好きとか楽しい人が好きとか、そういうのだよね。
司くんの好みは? 明るくもなく楽しくもなく多分優しいわけでもないあたしのことを好きだっていう司くんの好みってどうなんだろう? 見た目重視でないことは確かだ。面食いじゃないって自分でも言ってたし。
好みをどうこう考えても、結局平島さんは司くんのことが好きで、あたしは梓のことが好きで、あたしは梓の見た目で好きになったわけじゃないって主張してみても、似てる人を見ると気持ちが謎のバグを起こすってことだけは平島さんと同じだ。
だけど本家は別で特別で、段違いに気持ちを揺さぶる存在で。梓に会うたびに、言葉を交わすたびに、あたしはそれを改めて実感してしまってる。コーヒーシュガーやらミルクやらを用意してる司くんをじっと見つめてる平島さんに対して、少しの共感みたいなものを覚える反面、この人そこまで司くんの中身を知って好きなわけじゃないのかもって警戒だとか反発だとか不信感だとかそんなものも同時に感じてしまう。まあそれに関しては、ほんとはあたしが介入できる立場じゃないんだけど。




