39 梓の進路とママとの事情(1)
山岡さんは一言でいうととても大柄な人だった。身長が莫さんとほぼ同じくらいあるのに加えて、横幅が2倍ぐらい。お京さんがしみじみと「山岡さんって渋くていい男」とか言ってたのを聞いてたから、莫さんに似たタイプのダンディな男性をイメージしてたんだけど、想像していたのよりずっと厳つい。目つきが鋭くて、短めに刈った髪にスーツ姿は頭脳労働をする弁護士さんというより、その筋の人だとか逆に警察関係とか自衛官とかのような雰囲気。繰り返すけどめちゃくちゃ厳つい。
お京さんの好みってこんな格闘家みたいな超厳つい人なんだろうか?
テーブルと椅子のある談話室みたいなところに案内されて、座るように促された。茶碗蒸しつきのちょっと豪華な幕の内を用意してもらっていた。あたしたちは恐縮したけど、平日に従業員と一緒に頼む仕出し屋さんのだから遠慮しないで、って言われた。
きょうは祝日だから本来は事務所はお休みだけど、普段は事務の人や司法書士の人も含めて何人かで働いているんだって。お休みのところ都合つけてもらってすいません……なんて裕希くんがかしこまったら山岡さん、いつものことだからって笑った。きょうはもう一件午後から相談が入っているそう。
裕希くんとの面談の時間は1時ちょうどからってことでいいかな、って確認されて、それまではみんなでランチタイムにしようと提案された。面談のときには裕希くんと2人で事務室のデスクの方に移動するから、その間あたしたちはこの部屋でくつろいでくれてたらいいんだって。別に4人で話をするわけではなかったね。
山岡さんは司くんとは気安い間柄みたいで、すぐに近況を報告しあってた。大学受かっておめでとうと、お子さん生まれておめでとうのやりとり。山岡さんはにこにこして、定期入れに入れてるお子さんの写真を司くんに見せてた。あたしも横から覗き込んで見せてもらった。生後3か月ということだけど、大きくて厳つくて目つきなんか山岡さんにそっくりだ。女の子で、若葉ちゃんっていう名前なんだって。わーお。
司くんは高校のころからずっと山岡さんに、電話とかで進路の相談に乗ってもらってたんだって。何かの法律相談かと思ってたら、もっとプライベートな相談だったね。
なんでも司くん、高校2年のときから毎年司法試験の予備試験というものを受けてて、今年で3度目になるんだって。大学受験の年に再トライしてまた落ちて、今年も受けたけど今年はまだ2次試験の結果待ちなんだって。もしもここで受かってたら11月にもう1回試験があるらしい。それに受かればその次の年は正式な司法試験を受けることができる。もしも大学卒業までに予備試験に受からなければ、法科大学院というところに進学することになるんだって。大学受かっても試験に次ぐ試験だなんて、大変そう。思わずそう感想を漏らしたら、
「好きでやってることだから」
山岡さんと司くんの返事がハモった。そんなものなんだろうか。あたしはテストはできればなるべくパスしたい。運転免許は18歳になったら取ろうと思ってるけどね。
大柄な山岡さんは、あっというまに自分の分のお弁当を平らげてしまって、あたしたちにお茶のお代わりを注いでくれた。
司くんは食べながら昨日起こった裕希くんにまつわる出来事を山岡さんに説明する。ついでに裕希くんの置かれている状況も。
裕希くんが働いているカットサロンのオーナーが恋人で、しかも一緒に住んでいたこと。相手の暴力が激しくて耐えきれなくなってついきのう、逃げ出してきたこと。相手が追いかけてきて連れ戻そうとしていること。
以前あったかおりちゃんを巡ってのいざこざについても説明する。オーナーは裕希くんとかおりちゃんが浮気をしたと疑っているけれどもそういった事実はないこと。
ゆうべ莫さんのところにみんなで避難して、このあと宇都宮にいる知り合いに頼っていく予定にしていること。
「あと、裕希が暴行されたことに対して警察に被害届を出そうとしたんだけど、今朝は受けつけてもらえなかった。病院の診断書を用意してからもう一度来てって言われたから、明日もう一度裕希連れてく必要があるかなあ、と思ってて。だからきょうは一旦東京に連れて帰るつもり」
「きょうは何時ごろ戻ってくる予定にしてるの?」
「多分夕方から夜にかけて? 道が空いてたらもうちょっと早く戻れるかも」
「だったら僕も夕方以降は空いてるから僕がそっちに向かうから、管轄の警察署の前で待ち合わせて被害届そのものはきょう受け取ってもらうようにしよう。診断書は後で提出するといいよ。窓口で担当してくれた警察の人の名前は聞いてる?」
「ああ。聞いてメモしてる」
「あっ、春日くんが正式に依頼してくれたら、の話だけどね。春日くん、詳しい話はこのあとでね」
警察の人って忙しいから、相手によって対応が違うことがままあるんだって。ほんとはあってはいけないことなんだけど、弁護士さんが間に入るだけで割と対応が変わるものらしい。
「少し早いけど、そろそろ移動しようか」
裕希くんがお弁当を食べ終えて一息ついたのを見て取って、山岡さんはそう言った。
そのあと梓とあたしはまだお弁当を食べてたけど、司くんはもう食べ終わって、しきりに誰かとメールをしているようだった。
と思ったら電話がかかってきた。
「ごめん、ちょっと電話取っていいかな?」
あたしたちがコクコク頷くと、司くんは立ち上がりながら携帯の通話ボタンを押した。
「ちづちゃん今日昼間は寝てたんじゃなかったの? あっ、ちょっと待って。場所変えてこっちからかける。一旦切るよ」
司くんはそれだけ言うと携帯を片手に部屋を出て行ってしまう。遠くでさらにドアが開いて閉まる気配がしたから、そのまま事務所の外に出ていってしまったようだった。
梓が問いかけるみたいにこちらを見たから、あたし説明した。
「千鶴さんって司くんのお母さんの名前なの。司くんはお母さんのこと、ちづちゃんって呼んでるから」
「つまり菅生の再婚相手ってこと?」
あたしは黙ってうなずいた。司くんのパパと千鶴さんが、司くんが中学生のときに離婚したって話はプライバシーだし、あたしの口からは話さなくてもいいよね?
「鞠乃はきのう会ったんだっけ? その千鶴さんに」
「うん。司くんのバイクで横浜まで連れて行ってもらうときに、千鶴さんのところに寄ってヘルメット借りたの。千鶴さん、あの図書館の近くの病院に研修医として働いてるんだって」
「若い人なの? 菅生とは一緒に暮らしてないのね?」
「研修期間は病院の女子寮にいるって聞いたよ。夜勤もあるし結構忙しいんだって。歳は司くんと──梓ともだけど、13歳違うって言ってたと思う」
「それだと菅生よりも一回り以上若いのね。なんだってそんな若い人がコブつきの中年男に引っかかったのかしら?」
それはあたしも知らないけど、梓もあたしに質問したわけでは別になさそう。
司くんが電話を掛けに出て行ったままなかなか戻ってこないから、ついでに昨日起こったことの続きを梓に説明する。
梓は黙ってあたしの説明を聞いていて、一区切りついたところで聞いてきた。
「ヒロくんが自殺未遂ってどういうこと?」
「お酒飲んだ勢いで手首切ってしまったんだって」
「それってさっき司は山岡さんに説明してなかったよね」
「本人の前で司くん、言いづらかったんじゃないかなあ」
「ヒロくんちゃんと自分で説明できてたらいいんだけど。ヒロくんちょっとおっとりというか引っ込み思案な感じするから……」
初対面の人に対して割と引っ込み思案な梓が、自分のことを棚に上げていうと変な感じ。
「それって重要かな?」
あたしがそう聞くと、
「より正確な状況把握って大事だと思う。あと、殴られた怪我だけに気を取られてるみたいだけどメンタルクリニックにも行って診断書もらった方がよくないかしら?」
「そういえば国原さん、夕べヒロくんを取り戻そうと莫さんちに訪ねてきて言ってたんだよね。身体の傷も全部ヒロくんが自傷してつけた傷だって」
「その国原って人がちょっとアレな人だっていうのもうまく伝えられたらいいんだけど」
「山岡さん、莫さんから聞いてるかも。莫さんきのう山岡さんに電話かけて結構話し込んでたみたいだから」
「うーん、でもそういう具体的な話って本人の許可なく勝手にはしないんじゃないかしら? 私、あとでヒロくんに確認してみるね」
そこであたし、夕べの梓の電話について思い出す。
「ねえ、そういえばだけど、きのう梓、電話で何か話があるみたいに言ってたでしょ? なんの話だったの?」
そうしたら、梓の返事は少々歯切れが悪かった。
「ちょっと相談っていうか、報告したいことがあって……電話したの。ほんとはその、先週の水曜日に言うつもりだったのだけれど……」
「相談ってなあに?」
「あのね鞠乃」
と、梓の声が小さくなる。
「司じゃないけど私も、この11月に1つ試験を受けようと思っているの」
「え? 梓も? 司法試験の予備試験を?」
きょとんと見返すあたしに、梓はまさか、と返して微笑んだ。
「私今年、高卒認定試験を受けようと思ってるの。それでこの前願書を出したところなのだけど……」
「高卒認定試験?」
「ええ。今度11月に試験があるの。それに受かれば大学受験資格が得られて、来春には受験と進学が可能になるの」
急に言われていまいち理解できないでいるあたしに、梓はゆっくりかみ砕いて説明してくれた。高卒認定試験というのは何らかの事情で高校に行けなかった人が高校卒業と同等の資格を取れる試験のことで、去年までは高校在学中の人には受験資格はなかったんだけど、今年ルールが改正されて、高校に通いながら受験することが可能になったそう。
だからもしも試験に落ちてもそのまま聖優学園に通いつづけて卒業することも可能だけれど、もしも合格できたら、梓は今年度大学を受験して、そのまま大学進学するつもりなんだって。
「えーと、高校3年生をやらずに来年の春、大学生になるってこと?」
「ええ。それを目指そうと思っているの」
あたし、やや混乱した頭で梓を見返した。大学に受かったら、来年の4月からは梓はもう聖優学園からはいなくなるってことだよね? 梓はもうあたしと一緒に居たくなくてそんなことを言い出したんだろうか? もしかして、あたしが告白したから?
「だって鞠乃、考えてほしいのだけれど、このまま普通に進学したら、卒業は再来年の3月になるのよ。私、来年の9月には20歳になるのだもの。そこから4年制の学部に行っても卒業時は24歳で、大学院に進んだり6年が必要な学部を選んだりしたら、このままだと26歳まで学生をやらなければならなくなってしまうのよ。1年短くできるならその方がいいと思ったの」
ゆっくりと理解が追いついてきた。梓がこの話をしようとしてたのは先週の水曜日だから、そのときにはもう決めてたってことになる。梓の一大決心についてすぐに聞いて相談に乗ってあげられなかったのは、あのときあたしがあたし自身の言いたいことを優先してしまったせい。
翌日の木曜日とその次の金曜日、あたしたちは何事もなかったかのように学校で一緒に過ごした。その間も本当はずっと、梓はこの話をしたかったのかもしれない。
「理由はもう1つあるの。ママのお姉さんに雪佳さんって人がいるのだけれど、その人が夏に訪ねてきてくれて、そのときにたくさん話をしたの。雪佳伯母さんが言うには、私は少しでも早くママから距離を置いた方がいいんじゃないかって」
どういうこと?
「ママがいつも仕事で夜遅いの、鞠乃は知っているでしょう? あれは私と顔を合わせたくないせいだと思うの。私は以前からなんとなく気づいていだけど、おばさんもそうじゃないかってずっと思ってたって……。ママは私が菅生に似てきたから会いたくないのだと思うの。だから1年早く大学進学をして家を出ようと思っているの」




