34 シンクロニシティ(3)
梓が言ったのは、多分莫さんのことだ。司くんがあたしにつきあって、って言ったように、梓は莫さんにつきあってほしいって伝えているのだもの。あたしは黙って梓の次の言葉を待つ。
「水曜日に司と再会したあと、私、どうしても小宮山さんのことが気になって、後でもう一度訪ねて行ったのよ。いろいろお話ししたいことがあるって言ったら小宮山さん、お店が終わった後、自宅に招いてくれて」
その先を聞きたいような、どこか処刑を待つ死刑囚のような、そんな矛盾した気持ちであたし、梓の次の言葉を待った。
「私の知らない司のことをいろいろ聞けると思って、おうちにお邪魔して。小宮山さんは以前私が訪ねていったときに追い返してしまったことを後悔していたみたいで、あのときは本当にすまなかったねってもう一度謝ってきたの。
私が最初に小宮山さんの家を訪ねていった日、私が行ってしまってから、ローティーンの女の子の声だったことに思い至って、そのとき確認もせずに追い返してしまったことがずっと気にかかってたのですって。何気ない選択がほかのだれかの運命を左右してしまうことがあるってことは分かってたはずなんだが、うかつだったよ、みたいに言われて謝られて。
だから、私はこの人の罪悪感につけ込むようで少し悪いなとは思ったのだけど、いろいろとぶしつけな質問をしたわ」
「質問?」
「司のこととか、菅生のことも。ほかの家のいざこざに巻き込まれて不名誉な噂流されて仕事もダメになって、恨んでたりしなかったのって」
うん。それはなかなか直球ドストレートだ。
「そうしたら小宮山さん、そこに──目の前に分岐点があってね、って、言うの。司と出会っている道と、出会ってなくてただ平穏無事に続いてる道の2つあったとして、そのうちの、司に出会った方の道を選んでこられたのは自分にとって幸運だったと思ってる、って、そんな風に言うの。けど、司のことはともかく菅生ともかかわって、きっと菅生には散々嫌な思いをさせられてきたはずでしょう? だから菅生のこともなんとも思ってないんですかって聞いたのよ」
それに対しても莫さん、そこまでじゃないよって答えたんだって。
菅生さん本人はすごく大変そうに見えるし、司くんもお父さんのとばっちりで時々大変そうだけど、莫さん自身はだれかとかかわるのは基本的には楽しいし、司くんのお父さんとかかわるのもトータルでは楽しいと思えることの方が多かったよっていう返事だったんだって。あと、仕事のことも、どこにいっても何をやっても生きていくだけならどうとでもなると思ってやってきて、いまは結構満ち足りているよ、って答えだったそう。
「私、自分の中の棘が、小宮山さんにお話ししているうちに溶かされて、消えていくような気かがしたのよ。もっと、もうちょっと話をしていたいっていうか、新しい場所みたいなものが見えたっていうのか、世界の謎がわかるっていうほど大げさなものじゃないけど、何かが胸に落ちてきたの。すごく深刻だと思っていたことが、そうでもないと思える見方っていうか感じ方があるんじゃないかっていうのかしら」
確かに、菅生さん自身がすごく大変そうに見える、っていう視点は、梓には持ちようのなかったものだと思う。
「何かうまく理由をつけて、この人ともっと一緒にいたいなあって。そしてちょっとだけ、司のことをずるいって思っちゃった。私より先にこの人に出会えたなんて、ずるいって。その分司の方が大変な思いをしているのにね」
「そんなこと。梓だって大変な思いをしてるじゃない。命にかかわるような大きな病気をして、大手術して……」
「だってそれはだれかが私を抑圧したっていうわけではないもの」
そうなんだろうか? 本当に? 梓はだれにも抑圧されていないの? ちらりと疑問が頭をかすめる。だって、もうすこし莫さんと一緒にいたいって言ってる梓は、莫さんと話をすることで何かの抑圧から解放された気がしたって風に聞こえたんだもの。だれかが現在進行形で梓を抑圧してるっていうわけではなくて、梓の生い立ちが影響した結果的なものかもしれないけど。ただ、それに関して何か問い返せるほどには考えがまとまらないね。あたしは黙って梓の話の続きを聞いた。
「そこまで聞いたら、小宮山さんがどうしてそこまで司のことを気にかけてきてくれたのかが知りたくなっちゃって。だから聞いたわ。司のことをどう思ってるんですかって」
「莫さん、なんて答えたの?」
「小宮山さんのこと、鞠乃は莫さんって呼んでるの?」
「うん。だって司くんもお京さんもお店に来るほかの人たちも、みんな莫さん、莫さんって言ってるから移っちゃった」
梓、ふふっと笑って言い方を変えた。
「小宮山さん──莫さんが言うには、タオはとても大切な友人だよ、ですって。だから思わず私、恋愛感情はないんですか?って聞いたの」
確かにそれはあたしも気になってたけど、実際に聞いちゃうのはすごい。
「そうしたら莫さん、司のことは恋愛の相手としては考えてないって。莫さんに彼氏がいるときもいないときも司の莫さんに対する態度がずっと全く変わらないから、そういう恋愛とかかわりのないところでつきあえる相手は本当に得難いから、色恋沙汰に巻き込んでなくしてしまいたくないんですって」
梓の突っ込んだ質問に、莫さん結構がっつりホンネで答えてくれている。ただ、微妙にはぐらかされてる感があるといえばあるよね? だって梓は莫さんの気持ちを聞いたのに、莫さんは感情じゃなくてどうするつもりだっていう意志で答えてる。
「なんだかそういう風な答えだと、結局莫さんの気持ちっていうのはわからなかったんだけど、わからなかったから、ひょっとしたらって思ったわ。莫さんは、司のことが好きなのかしらって」
梓も同じことを思ったみたい。
水曜日に初めてみんなが顔を合わせたときに、梓は2人が恋人同士なんじゃないかって言った。それに関しては何がどうして梓がそう考えるに至ったのかあたし、まったく理解ができなかったのだけれど、きょうの話はあたしにもわかる。ていうか腑に落ちる。
だって莫さん自身が言ってたんだもの。話が合うっていうのが、うっかり恋心になってしまうことがあるって。恋に落ちるのは避けようと思って避けられるものでもないって。特に若いころは、なんて言い足してたけど。
けど、そう結論づけてしまうのはちょっと早計、って気もする。莫さんがずっと好きだった人に対して気持ちを隠すとしたら、例えばお京さんとかに対してもそうするだろうと思うから。お京さんはストレートじゃないけど、莫さんのことは完全に恋愛対象外って言ってたからね。もしもお京さんのことが好きだったら、完全な片思いだし。友人としてお互いに大事みたいだし。きっと隠すよね。
それに、もしも莫さんが司くんのことを好きなんだとしても、少なくとも莫さんが司くんとどうこうなる気は全くないっていうことだけは間違いないよね。深夜2人で話し込んでたときも、恋愛相談っぽいものをしていた司くんをあたしに向かってけしかけてた感もあるぐらいだもの。いやそこはけしかけられても困るんだけど。
「だから私、莫さんに、いまつきあっている人はいるんですかって聞いたの。そうしたら、いまはいないって。それを聞いて私、思わず言ってしまったの。だったら私とおつきあいしてもらえませんかって。莫さんに好きな人ができるまでの限定でかまわないからって」
えーと、梓の言ってることがちょっとよくわからない。ゲイの人に対してつきあってほしいって梓が思えた理由が、つきあってるひとがいないから? 莫さんが司くんのことを好きかもしれないから? だから? そのだからはどこつながりなの?
あたしが考え事してる間に、梓の話をどっか聞き飛ばしてた?
けげんそうなあたしの表情を見て取ったのか、梓はもう一度説明してくれる。
「もしもいまの莫さんが司のことを好きになったのだとしたら、そして当の司とつきあう気もないのなら、しばらくはだれかほかの人ともつきあったりせずに一人でいるのではないかしらと思ったのよ。つきあってる人がいないって莫さんが返事をしたから、その可能性があると思ったの。だから、だれかほかの人が現れるまでの、莫さんが1人でいるその間だけでもおつきあいしてもらえないかって思ったのよ。私とつきあうことが何かの障害になる状況ではないと思ったから、だめ元で聞いてみたの」
今度は理解できた。
途端に、だめ元でって言葉が胸に刺さる。ああ、あたしもだめ元で、って思ったんだっけなあ。
けど梓さん、仮定が大前提として間違ってることもあると思うんだけど。司くんかお京さんか山岡さんか、あるいはあたしたちの知らないそのへんのジャック・スミスか、とにかく可能性のない相手のことを莫さんが想っているっていうこと自体が、そもそも梓の思い込みかもしれないよね。単にいまこれだって思える人が周囲にいないだけかも。またはちょっと恋愛に疲れて一休みしようと思ってるとか?
ただ、どんな理由であれ、普通ならゲイの人が女の子からつきあってって言われてイエスというとは思えないんだよね。なのに、莫さんの返事はイエス寄りのイエスだった。多分。いつでもお家においで、っていうのはそういうことだよね?
なんで? 莫さんはどういうつもりなんだろう。
やっぱり梓が司くんのお姉さんだから? 司くんにそっくりだから?
それとも梓自身が気になるの?
梓の方はどうなの?
莫さんのこと、男の人として気になるの?
それともお父さんみたいに思ってるの?
年上の女友達?
いや、どう考えても女友達って感じではないよね? お京さん相手ならあり得るけど。
「梓は──莫さんのことが好きになったの?」
一番気になることだったからどうしても聞いておきたかったけど、さりげなく聞けたかどうかが今一つ自分でもわからない。あたしの声、裏返ったりしなかったよね?
あたしの言葉に、梓はもう一度立ち止まる。そして振り向いて、大きな黒い瞳でじっとあたしを見た。
「鞠乃の方が好きよ。好きかどうか──ってだけの話なら。けど莫さんはゲイだから、近づきすぎても安全だと思うから、私には気が楽なの。絶対に私のことを好きにならない人だってわかっているのだもの」
あたしの中で、気持ちが一度大きく跳ね上がって、そのあと迷路の中に落下した。梓のいうことはやっぱりあたしにはよくわからなかったんだけど、要するに好きにならない相手の方がいいっていうのは、好きになられたら困る、って、そういうことだよね?
そしたら梓は、なぜか途方に暮れたような顔で、あたしの顔に向かって手を伸ばしかけてやめて、そのまま手を下ろしてしまう。けれども目を見開いて、真剣な顔であたしの目を覗き込んできた。
「ごめんね鞠乃。私は人との距離感がわからなくて、うっかり近づきすぎてあなたを混乱させてしまったのだと思うの。私にはあなたのいうようなそういう好きって気持ちはよくわからないの。私は自分のことが嫌いだから、鞠乃に私のことは好きにならないでほしいと思ってしまうの。けど、何もなくて何一つ感情の動かない真っ白な世界の中に1人っきりにされるのも怖いの。私の中の矛盾した、いろいろな汚くて行き場のないぐちゃぐちゃを鞠乃には受け止めてもらって、なのにわがままだけど、それを好きって言われるのも怖いの。私は鞠乃が笑っているのを見ていたいし、できれば鞠乃が好きになって鞠乃のことを大好きになってくれるだれかと幸せに笑っていてほしいの。それが私と関係のないところでも全然かまわないの。全然関係のないところのほうがずっといいの」
「あたし、別に混乱してないよ。ただ梓のことが好きなだけなんだよ」
よくわからないけど、混乱しているのは梓の方のような気がした。好きだといわれるのが怖いといわれて、それでも好きといってしまうあたしは傲慢なのかもしれない。けどここで何も言わないのも違う気がした。同じ気持ちを返してほしいって意味の好きではなくて一方通行の好きがあってもいいよね?
あたし、やっぱり梓が好きだ。
あきらめるとか友達に戻るとか、そんな風にも考えたけど、やっぱり関係ない。
そんなあたしを振り切るように、梓は横を向いて歩き始める。
小走りで梓に追いつきながら、あたしはやっばりさっきから疑問に思っていたことを口にする。
「ねえ梓、梓のことを絶対に好きにならない人がいいっていったけど、好きにならない相手ならだれでもいいってわけじゃないんでしょ? 莫さんが気になる理由があるんでしょ? 莫さんが司くんを助けてくれたから? でもそれだけじゃないよね? 莫さんが何かの行動をしたから気になったんじゃなくて、実際に話をしてみて思ったことなんだよね? 棘が溶かされたみたいなことを梓は言ってたけど、そんな風に思った理由はなんだったの?」
考え込む顔で少しの間梓は黙って歩いたけど、やがて低い声で言った。
「あるけど言いたくない」
「お父さんのこと? 莫さんがお父さんのことをある意味許してるから?」
「……言いたくないって言ったんだけど」
ちょっとあてずっぽうだったんだけど、割と図星だったのかもしれない。。
梓はもう口をつぐんで、今度は少し速足で歩き始めた。
「ねえ、梓」
「なに」
ついて歩きながら声を掛けたら、ちょっとそっけない返事をされた。
「司くんのこと、出会ってすぐつきあってくれっていうのってナンパ師みたいだってさっき言ってなかった? けど梓──」
「私はいいの。だってずーっと前に一度、莫さんのことをストーカーみたいにつけ回してたことがあるんだもの」
「それってストーカーみたいじゃなくて、ストーカーそのものっていわない?」
「ほんとのストーカーのように自宅を張り込んでたらよかったのかも。そうしたらもっと早く司に会えたのに」
「ねえ、梓だけじゃなくて、司くんもお父さんの血を引いてるんだよ?」
「鞠乃しつこい。その話題は嫌なの」
「だって梓がどう思ってるか気になるよ」
なんだか梓、自分自身のことは汚いものみたいにどこかで思ってて、逆に司くんのことは聖域みたいに考えてるような気がしたから、それって違うんじゃないかとちょっと思ったの。うまくいえないけど自分は加害者で、司くんのことは被害者みたいに感じてしまってるような気がして。
「私は鞠乃が男の子とつきあうのは賛成だけど、弟はやめておいた方がいいと思う。だって、殴られながら育ったのに殴られてないって言い張る子だもの。そのうち、あいさつ代わりに鞠乃が吹っ飛ばされるようになるんじゃないかって気が気じゃないわ」
え? ちょっと待って? いま、そういう話をしてたんだっけ?
ちょっと話の内容がいま擦り替わったよね?
「そういう話をしてるんじゃなくて……」
「そういう話なの。司はずっとあの人と一緒にいてたくさん影響を受けてしまっている。鞠乃に交際申し込むならちゃんとその影響下から抜け出せてからじゃなきゃ。10年早いっていうのよ」
てか梓さん、なぜに突然の小姑モード?
けどあたしが予想してたのと違った。梓はあたしの側に立って小姑モードを発動してる。告白して振られてからあたし、梓の世界に入れてもらってないような気がしてたけど、そうじゃなかった。だれよりも梓の近くにいたのはあたしで、いまだってそうだ。
それだけのことがあたし嬉しくて、地面からちょっと足が浮いちゃいそうな心地。ああ、ほんとにきょうはあたし、気分が乱高下してるなあ。
そういえばさっき梓は言ってたよね。梓と司くんとでお互いに、相手の一番近くにいた人が気になったんだって。シンクロニシティだって。
司くんは言った。好きな人を忘れるためでもいいからつきあってって。梓は言った。好きな人ができるまででいいからつきあってほしいって。あとなんだっけ。司くん、ゆうべ梓のことがうらやましいって言ってた気がする。いま、梓は司くんのことをズルいって言わなかったっけ?
確かに変なシンクロの仕方してるよね?
最初はあたし、お互いのきょうだいに告られたね、って話を振ったのだけど、兄貴のことは梓にとってはどうでもいいこととしてとうのとっくに忘れ去られてる。兄貴、ザマアミロ。
けど、兄貴は兄貴で梓に告ったことなんてそっちのけで、今度の休みにどうやってかおりちゃんを誘おうか、なんてのんきに考えてそうだけどね。
「あたし、司くんとはつきあわないよ」
「ええ、その方がいいと思うわ」
「でもね、それはそれとして司くん、多分ずっと考えてやってきた気がするよ。どうやったらお父さんの影響下から抜け出せるのか。何が正しいのか、どこへ向かえばいいのか。その中で、大きな指針の一つに莫さんがいたような気がする」
弁護士になる、って目標からしてそうだものね。本人は違うって言ってたけど、莫さんがやりたかったことを代わりにやるとか、そんな思いがあるのかもしれない。
あるいはお京さんもそうなのかもしれない。司くんにとって指針となる大人の一人。司くんはお京さんが墓荒らしをするなら手伝うよ、なんて言ってたけど、それってお京さんが心から望むことだったら犯罪に手を染めることすら厭わない、って決意表明だったと思うの。絶対的な信頼感のようなものがそこにあった。そんなこと望んでないよってお京さんは笑って、でも気持ちはありがたく受け取る、みたいな感じだったけどね。お京さんは司くんが莫さんに手放しで懐いてるみたいな言い方をしてたけど、お京さんに対してもおんなじだと思うの。
もしかしたら千鶴さんの影響もあるのかもしれない。あのバイク、多分だけど千鶴さんのお下がりだよね。ちゃんと手入れして大事に乗ってるみたいだけど、新しいバイクじゃなかった。(あたしん家の車庫の奥で眠ってる兄貴のバイクの方が多分型式は新しい) 千鶴さんはもっと大きいのに乗ってるって言ってたから、以前乗ってたのを譲り受けたんじゃないかって思ったの。あたしの勝手な想像だけどね。
「司くん、自分は周囲に恵まれてた、って言ってた。いろんな出会いがあったんだと思う。梓は直接司くんと話してみたらいいんじゃないかなあ」
「……そうね」
駅が目の前だった。階段を上り東口と西口をつなぐ連絡通路を通りぬけ、雑踏の中を反対側に向かう。
ああ、2人っきりの時間はもう終わりだ、なんてあたし、ちょっとだけ肩を落とした。でも水曜日の落ち込みよりは全然軽い。水曜日には遠く見えてた梓との距離が、なんだか今までと同じぐらいまでに戻ったような気がしたの。歩きながら話してたときに、ちょっとだけ梓の本音が見えたせいかもしれない。
ただ、梓だけじゃなくて司くんも菅生パパの血を引いてる、という話は結局スルーされた。梓の一番触れられたくない部分だってわかっててあたし、話を振った。だから当然といえば当然のリアクションだったんだけどね。




