27 夜更けにみんなで晩ご飯(3)
「だけ、ってことはないでしょ」
即座にお京さんが、そう否定した。
「だって国原はヒロくんのこと異様に執着してるもの。ただね、いまひとつヒロくんを意志とか感情とか持った別の人間だって理解できてなくて、理解できてないっていうかそんなこと気にしたことすらなくて、とにかく自分のものだから自分の自由にしていいって考えてるんじゃないの? 自分のものだから好き勝手に利用してもいいし、どれだけディスってもかまわないって風にさ」
お京さんは1つため息をついて言い加える。
「案外みんな、身内だとか身近な人をちょっと雑に扱ったりしてるところってあるじゃない? 国原の場合はそれが行き過ぎてるとこが、駄目なとこだとあたしは思うわけよ。他人にもてなすときにソーサーつきのカップでお茶だすところを、身内だったらマグカップで済ますってあるあるだと思うんだけど、国原の場合は身内には茶もカップも必要ないと思ってて水道の蛇口から直接水飲ませるみたいなそういう極端に雑な感じ? 従業員に対する接し方からしてそうだからね。まあ美容関係って業界全体がブラック寄りだから、仕事に関しては特別ってわけでもないのかもだけどさ」
「お京さんの例えはわかります。でも、例えにすると逆にささやかっていうか、なんだか問題の深刻さがぼやける気がするんですけど。蛇口から水を直飲みしても人は怪我しませんから」
「まあそうね、かおりちゃん。それはあんたのいう通りなんだけどさ」
お京さんはまたちょっと考え込むような顔になる。
うつむいてた裕希くんが、またゆっくりと口を開いた。
「けど俺、お京さんのいうこと、少しわかります。こっちのいうことをなんも聞いてもらえなくて素通りされる感じがなんかいたたまれなくて、それで俺、かおりさんのところに逃げてしまったんで……」
かおりちゃんが頷いた。
「うん、ヒロくんあのときもそんな風に言ってたものね。話をちゃんと聞いてもらえない。何を言っても否定されて駄目出してれて、まともに取り合ってもらえないって」
「付き合い始めたころは国原さん、全然そんなんじゃなかったんです。俺、最初のころは、国原さん経営者だし、カリスマで腕もいいし、スマートでやり手だしセンスよくて素敵だしで、すごい人と相思相愛になれたんだって舞い上がってたんです。けど、だんだん釣り合わないのが見えてきたっていうか、俺がぐずで仕事とかも国原さんが欲求するレベルにできなくて、俺の努力が足りなくて、俺が国原さんの望むような恋人になれなかったから──多分国原さんは俺のこと、途中から、大事にする価値のない相手みたいにどこかで思ったしまったんだと思います。そのうち俺が何をしても何を言っても国原さんをイライラさせるだけになってしまって、ケンカが絶えなくなってしまって……」
最初はぼそぼそと小さい声で話してた裕希くんだけど、途中から少し早口になる。いままでせき止められてた感情を吐露するような、そんな口調。そのあと裕希くんは顔を上げてかおりちゃんを見て、それから深々と頭を下げた。
「かおりさん、あのときはほんとに、ほんとにごめんなさい。あのとき、ほんとはかおりさんじゃなくて、外部の、もっと迷惑が掛からない人に相談しなきゃいけなかったんだと思います。けど、国原さん嫉妬がすごくて、ほかの男の人と口をきくだけで不機嫌になるし、女の人で知り合いなんて俺、外部にいなくて……。それに、まさかかおりさんとのことまで疑われるなんて思ってもなかったっていうか……」
「まあそうだわ、そうよね」
と、お京さんが頷いた。
「わかるわ。ヒロくん最初からとことん女の子に興味なかったものね」
「なんか、すみません……」
思いがけないお京さんの同意の言葉に裕希くん、ちょっと小さくなる。かおりちゃんが、とりなすように言った。
「ヒロくん学生のときとか、ちょっと女子にモテてたでしょ。そういうのがうっとうしいっていうか、面倒だから極力近づかないようにしてたんじゃないの? だってホラ、あたしやサトミにはとことんそっけなかったけど、年配のスズキさんとかハシモトさんとかには普通に話してたじゃない?」
「いやほんと、かおりさんにもすみません」
かおりちゃんのフォローがいまいちフォローになってなくて、裕希くん、ますます小さくなる。
「だからねえ」
と、お京さん。
「ヒロくんとそのへんの女の子がどうにかなるって考える方が不自然だと、あたしは思うんだけどねえ」
「俺も、ゼッタイそんなことはないから、ありえないからって否定したんです。なのに国原さん、俺の言うことはもう何一つ信じられないって言って、どんなに無実だって、何もなかったんだって訴えても、ますます怒り出して……なんかもう、家出する前よりも全然話が通じない人になってしまったみたいで、話しても、話そうとしても伝わらなくて、どうやっても何も届かなくて……。俺、ほんとにもうどうしたらいいのかわからなくなってしまって……」
つっかえつっかえ、裕希くんは話した。
「……もうそれで国原さん、俺が本当は裏切っているのに嘘ばかりで不誠実だって言って責めて、なじって、本当のことを言わないおまえが悪い、言わないから許さないって言い続けるんです。国原さん、ここのところ殴る蹴るとか物を投げて来るとかも確かにあったんですけど、本当は殴られたりベルトでぶたれたりすることよりもすごい勢いで罵ってくることの方が、俺、ほんとにキツくて、むしろ殴られてた方が楽だっていうか、なんも考えなくて済むからまだマシっていうか、そういう状態で……。誤解が解けたらもとに戻れるかもと思ったり、でももうどうにもならないんじゃないかって考えたり、ここのところずっとぐるぐるしてたんですけど、その、ついきのう──」
そこで裕希くん、何か言いかけて、突然黙ってしまう。
あたしたち、顔を見合わせたけれども、誰もせかしたりしなかった。みんな黙って裕希くんの次の言葉を待つ。
あたし、ベルトでぶたれたっていう言葉をさりげなく聞き流すのは怖すぎると思ったんだけど、突っ込んで聞くような空気でもないのでやっぱり黙ってた。いや、殴る蹴るも十分怖いんだけれども。
「俺──」
小さな声で裕希くん、絞り出すように言った。
「かおりさんに対して、すごく申し訳ないことをしました──」
それだけ言うと、裕希くんは再び黙り込んだ。
かおりちゃん、何も心当たりがないって顔で裕希くんを見て、ちょっとしてから聞き返す。
「きのう……って?」
「きのう、国原さんどうしても俺に自白させたかったみたいで、浮気したことをいいかげん認めろって強要してきて……。こっちが怒っても泣いても拒否しても絶対違うってどんなに言っても許してくれなくて……。最初はいつもみたいに国原さんがキレて暴力振るってくるからもう黙って時間が過ぎるのをやり過ごそうと思ってたんだけど、きのうは国原さんベッドの中でもしつこくて、俺を抱きながらめちゃくちゃ追及してきて、俺、途中でわけがわからなくなってしまって、多分……認めてしまったと思うんです。その、かおりさんとのこと……。裏切ってごめんなさいって言えって要求されて、裏切りました、浮気しました、ごめんなさいって。本当は浮気なんで絶対してないのに……。かおりさん、ただ親切で助けてくれただけなのに……」
「そんなこと……そんなのヒロくんのせいじゃないし……」
かおりちゃんは、何をどう答えていいかわからなかったみたいで、口ごもると、助けを求めるようにお京さんを見た。
お京さんはかおりちゃんに軽くうなずきかけると、立ち上がって裕希くんに手を伸ばし、いたわるようにそっと肩をさすった。
「ねえ、ヒロくん、話しにくいことを話してくれてよかったわ。情報が多い方が対策も立てやすいからね。もう一度聞くけど、アイツのところに戻る気はないのよね? もう、みんなに迷惑かかるとか遠慮してる場合じゃないわよ。とにかく一刻も早く、ちゃんとしっかり逃げなきゃ」
「そうよ、ヒロくん。お願いだから、逃げて。お願いだから」
かおりちゃん、必死な顔で、お願いだからと繰り返した。
裕希くんはすぐには返事をしなかった。一度目を閉じて深呼吸をして、目を開けてまばたきして、それからゆっくりと、しぼりだすような声で言った。
「そう……ですね。俺、国原さんのところには、もう戻れません。いま、わかりました。戻っても逃げてもどのみちみんなに迷惑かけるなら、俺はもう国原さんとは一緒に居ない方がいいんだと思います」
さっきまで組んでいた両手をほどいてこぶしを握って膝の上に置いて、少し硬い表情で裕希くんは、まるで自分に言い聞かせるように言った。
「俺がもっと自分をしっかり持って、国原さんが俺のことを信じなくても、信じない方が悪いんだぐらいの気持ちで立ち向かうことができるならって思うけど、でもきっと、もう無理なんです。国原さんが何を思って、俺が裏切ったと言い続けているのか、本当にそう思っているのか、それとも思い込もうとしているだけなのか、正直俺にはわかりません。けど、俺はきっと、楽な方に流れてしまう。たとえ事実と違っていても、そういうことにしておいた方が国原さんにとっていいのなら、その方が波風立たないのなら、もうそれでもいいやって気持ちが心のどこかにあって……。悪いことをしたと認めろと言われたら、心当たりがなくても、きっと俺はうなずいてしまう。それが、助けてくれた人や親切にしてくれた人を踏みにじることになってしまっても、関係なくなってしまう」
もしかしたらだけど、裕希くんはまだ、国原さんのことが好きなのかもしれない。そのときの裕希くんの言葉を聞きながら、あたしはそう思ってしまう。
「国原さんがそうした方がいいっていうのなら、俺自身はどんな人でなしになってしまっても、もう構わないって、どこかで思ってしまっているんです。けど、そんな自分は醜くて汚くてどうしようもないと思う。だからもう、国原さんから俺は、離れなくちゃいけないと思う。自分を守るためにも。周りの人たちをないがしろにしないためにも。けど、俺、いま、国原さんから離れるのがすごい怖いんです。離れたらもう、立ってすらいられないんじゃないかって、うずくまって、はいつくばって、二度と起き上がれなくなってしまうようで、ここのこの足元から崩れていくような感じがして、怖くて、怖くて──」
言葉を詰まらせる裕希くんに、お京さんが言い添えた。
「それでも別れるって決心したって思っていいのよね?」
今度は裕希くん、無言でうなずいた。
思い詰めたようなその表情は、国原さんからどうしたって逃げられないって言っておびえてたときよりももっとずっと暗くて、つらそうで……。
そうしてあたしは確信する。裕希くんはやっぱり国原さんのことが好きなんだ。
暴力をふるう人でも、自分のことを認めてくれなくて貶し続ける人でも、周りの人たちに悪口を言って回って孤立させようとしてくる人でも、それでもそばに居たいし、言いたいことも全部黙って飲み込んで、殴られても蹴られても我慢して、そうやってどうにかやってきた。
けれども国原さんが強要したことが、裕希くんの許せる範囲を超えてしまったから。助けてくれた人の好意を踏みつけにするようなことを言うように、国原さんが裕希くんに強いたから。だから裕希くんは、どんなにつらくても国原さんから離れなきゃいけないんだってことに、気づいてしまった。裕希くんが衝動的に手首を切ってしまった本当の理由は、国原さんから逃げられないことに絶望したんじゃなくて、もう一緒に居られないことに絶望したんじゃないのかな。
ぐるっと見回しても、そんな裕希くんの気持ちに対して同情的な人はいない気がした。とんでもない男に引っかかった裕希くん自体には同情してても、莫さんにも、お京さんにも、かおりちゃんにも、それでも相手のことが好きだっていう裕希くんの気持ちはきっとわからない。
司くんは?
司くんはどうなんだろう?
司くんは今回あんまり言葉を発していない。
司くんのお父さんは、会話してたら突然キレて殴ってくるような人みたいだけど、それでもどこかで司くんはお父さんのこと許してるような印象なんだよね。司くんなら、裕希くんの気持ちが少しはわかるんだろうか? 親子の関係と恋人同士って関係性がかなり違うから、置き換えて考えるのは難しいかもしれないけど。
あたしはどうなんだろう。あたしの周りには、理不尽なことを言ったりしたりする人はいない。だけど、例えば梓があたしの告白を受け入れてくれていたとして、両想いになれたと思ってあたしが喜んでいたら、どんどんヒドいことをしてくるようになったら。
そこまで考えてあたし、自分の想像力の限界に気づいた。梓があたしに対してしてくるヒドいことなんて、何一つ、みじんにも思いつかない。だってあたしの梓に対する好きって気持ちの根底には、梓に対する絶対の信頼感のようなものがあるんだもの。あたしは梓のことを知ってる。梓はどっちかっていうと感情の揺れを隠そうとするけど、あたしにはある程度それが見えるし、ときには予想がつくことすらある。(もちろん予想と違うこともあるけどね) 梓は人を殴ったりしないし、人を苛めて楽しむような性格でもない。梓の中にはどっか人を寄せつけない壁みたいなものがあるけど、それは人にヒドいことをするっていうこととは違うし、そんなこと全然望んだこともないと思う。
国原さんのような人を好きでい続ける気持ちは、結局あたしにもよくわからない。とりあえず頭ごなしに否定だけはしたくないとは思うけど、何の接点もない裕希くんにどんなふうに声をかけたらいいのかもわからないし、結局あたしは終始黙ってみんなの話を聞いているしかない。
いつの間にか話題は、明日のことになっていた。
明日、裕希くんは病院に行って診断書をもらって、警察にいって被害届を出して、できれば引っ越し先かを決めて、って、そういう具体的で現実的な相談。
多分裕希くんは話題の切り替えに、気持ちがまだついていってないだろうと思うけど、それは仕方ないよね。明日はやってくるし、裕希くんには居場所が必要だもの。
「まずは診断書だね」
と、莫さん。
「国原さんの暴力に関して、とにかく一度、被害届を出しておいた方がいい。それと、逃げ場所の確保だが……」
「ねえ莫、そのことだけど、このまましばらくあんたの所においてもらって守ってもらうわけにはいかないの?」
「いや」
莫さんは首を振った。
「ここは国原さんに場所も知られてるし、出入りのときに待ち伏せされる危険があるよ。裕希くんも、ずっと閉じこもっているわけにはいかないだろうから、物理的にももっと遠い場所の方が安全だろう。東京から別の県に出てしまうとかね」
「ヒロくん実家は? ご家族には頼れないの?」
「福島に兄夫婦がいますが、頼れません」
お京さんの言葉に、裕希くんはうなだれたまま小さな声で答える。
「俺、兄からは毛虫かなんかみたいにすごい嫌われてて、もう何年も会ってないので、いまさら連絡しても、助けてもらえないと思います」
「まあねえ、こういう場合、ほんとは家族が盾になってくれるのが一番よいのだけれどねえ。家族の理解がなくて断絶したままってのは、あたしたちゲイにはあるあるなのよねえ」
お京さんはあたしの隣にもういちど腰を下ろしながら、考えをまとめてるみたいにつぶやいた。
「それでも病気のときなんかは無理やりにでも頼った方がベターな場合もあるんだけど、今回はヒロくん仕事絡みでもあるし、いろいろと自信喪失してる状況だから、そうなると、理解のない家族ってホントに害にしかならないのよね。あいつら、あたしたちの存在自体を力いっぱい否定してくるから、一緒にいると、自尊心、破壊されちゃうのよねえ」
お京さんの独白は結構ヘビィ。パートナーだった星野さんのことかな。それともお京さん自身が実家で経験したことなのかな。
「DVシェルターで、同性のパートナー同士の暴力に対応してるところってないのかしら。ねえ、莫」
「いや、ないだろう。少なくとも私は知らない。改めて調べてはみるが、多分見つけるのは難しいだろう」
話を振られて莫さん、そう否定した。




