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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第二章 日曜日
24/63

23 襲来者(2)

 莫さんが、あたしに奥に行くように目で合図する。


 玄関からまっすぐリビングに向かって伸びている廊下の左側に並ぶ2つのドアの手前側がたった今開いた浴室のドア、同じ並びの奥側がかおりちゃんとあたしの寝室にといって案内された洋室の入り口。

 廊下の右側には他の部屋に通じるドアはなくて、お手洗いと物置の開き戸だけがある。裕希くんとかおりちゃんが通されている書斎には、一度リビングを通り抜けてから、入るような構造になっているみたい。フローリングの床を静かに、けれども急ぎ足でリビングまで突っ切った。

 通りすがりにキッチンの脇のインターフォンの上に液晶モニターがあるのに、ふと気づいた。さっきの書斎のインターフォンにはついてなかったけど、ここからだったら玄関を訪れた人の姿を見ることができる。ちらちらと画像が動いているのがわかった。


 なんでそんなことをしてしまったのか、わからない。

 梓のことを聞いたあとのあたしは、まだどこかぼんやりしてたんだと思う。

 書斎のドアを叩いて、かおりちゃんに鍵を開けてもらうように頼む代わりに、気づいたら、インターフォンのそばで、玄関の様子を映す画面を覗き込んでしまっていた。半分は怖いもの見たさもあって、もう半分は、怖いとか、見つかったら大変なことになるとか、そういった判断力がどこか麻痺していたの。


 ああ、外はやっぱり激しい雨と風。照明をつけた玄関先に立っているその人物の、秋物の薄手のコートがはたはたとはためいている様子が見て取れた。横殴りの雨がコートの裾にバラバラと降りかかっている。

 見た感じ、拍子抜けするほど普通の人。パートナーに暴力を振るうぐらいだから、もっと粗野で凶暴そうな人を想像してたのに。思ったよりずっと若い(20代後半ぐらい)し、むしろハンサムといってもいい。メッシュに染めた長い髪を、後ろで無造作にひとまとめにしていて、ミュージシャンとか、フリーライターとかにいるような、いかにも自由人といった雰囲気で。ただ、インターフォン越しだからはっきりとはわからないものの、かなり背の高い人のような印象は受ける。

 玄関のドアが開く重い音がしたと思ったら、画面の端に、莫さんのものらしき腕がちらちらと映った。


「中へどうぞ」


 液晶モニターの下のスピーカーが、莫さんの声を拾って、くぐもった音声を発する。

 あっ、やばい。まずい。あっちの部屋に隠れなきゃ。

 我に返ったときは遅かった。

 扉が閉まる音がして、話し声とともに、廊下を近づいてくる人の気配がする。間に合わない。

 けど、今ここにあたしがいるのはとても不自然だ。だって莫さんが、あたしの傘と靴と荷物を国原さんの目の届かないところに隠してしまっているのに。

 とっさにあたし、対面式のキッチンカウンターの奥の隅っこに小さくしゃがみ込んで、身を隠した。お客さんがキッチンの内側に勝手に入ってくることは、多分ない。ないと信じたい。


 国原さんは、リビングの入り口のところでいったん立ち止まったみたいだった。


「どうぞ、ソファへ」


 そう勧めた莫さんに、ためらいがちに尋ねる。


「あの……裕希はどこでしょうか?」


 ソフトで柔らかな調子の声。声も想像していたのと全然違う。


「隣の部屋で休んでいます。疲れているようすでしたので、もう眠ってしまっているのかもしれません。お座りください、どうぞ」


 莫さんは、もう一度お客さんにソファを勧めた。

 国原さんはようやく中に入ってきて、窓際の長椅子に腰を下ろした様子だった。


「うちの従業員がご迷惑をおかけして、まったく申し訳ありません」


 国原さんはそれだけ言うと、黙った。莫さんの出方を窺っているような、そんな沈黙。


「いえ」


 莫さんは、国原さんの言葉には短くそう答えただけで、ほかには何も返さない。


「コーヒーでよろしいですか?」

「いえ、ぞうぞ、おかまいなく」

「私も今飲もうと思っていたところですので」


 言いながら莫さんこちらへ向かってくる。

 あたしがこんなところにしゃがみ込んで盗み聞きしているのを見たら、驚くかな。でも、驚いてもうっかり声をあげるような人じゃなさそうだし、きっと大丈夫。

 そんなことを考えながら見つかるのを待っていたら、廊下に通じるドアがカチャリと開く音がした。

 司くんだ。シャワー浴びなかったのかな。


「タオ、シャワー浴びなかったのか」


 莫さんもあたしと同じ疑問を口にする。


「シャワーはいいや、あとで。泊まるかどうかまだ決めてないし。服だけこれ、借りたから」

「おいおい、この嵐の中をまたバイクで帰る気か?」

「莫さん、コーヒー俺が淹れるよ」


 莫さんの質問を聞き流して、司くんはそう言った。


「あんたは座ってお客さんと話をしててよ」

「小宮山さん、彼は?」


 立ち上がった様子の国原さんが聞いてくる。


「友人です」


 振り返って莫さんは答える。


「彼は法律家の卵で、裕希くんから話を聞くときに立ち会ってもらうために来てもらいました」

「どうも、菅生すごうです」


 どうやら頭を下げたらしい司くんの神妙な声。


「こんな格好で失礼します。着ていた服がこの雨でずぶ濡れになってしまったもんで……」

「こちらはカットハウス『カノン』のオーナーの国原さんだ」


 もう一度頭を下げた様子の司くんは、座っててよと莫さんに繰り返して、今度こそキッチンのほうに向かってきた。


「以前所属しておられた事務所の後輩ですか?」


 後ろで感心した様子の国原さんの声。


「それにしてもまた、ずいぶんと若く見えるが」


 莫さんは、そうだ、とも違う、とも答えない。


 キッチンに回ってきた司くんの口が、すみっこにうずくまるあたしの姿を見つけて、一瞬ぽかんと開く。

 司くんは滴をふき取っただけの雨に濡れた髪を無造作にかきあげ、サイズの全然合わない服を適当に身に着けている。トップは袖口を雑にたくし上げただぶだぶの黒の長袖Tシャツ、ボトムはブカブカの履きくたびれたカーキ色のデニムパンツで、半ばずり落ちてローウエストでどうにか止まっている。その裾はたわんで床に引きずっている。ママが見たらだらしないって顔をしかめそうな格好だけど、それなりに似合ってなくはないんじゃないかしら。ダサいような、カッコいいような、なんだかビミョーな感じ。どっかの下町あたりでストリートパフォーマンスをしているラッパーみたい。

 一瞬の妙な顔を平常心でもとにもどし、司くんは棚を開けてドリッパーとカップの用意を始めた。カップは3個。あたしの存在は当然黙殺。湿った裸足の足がフローリングを移動する度、ぺたぺたと小さな音を立てる。

 いつの間にか、さっきまでリビングに流れていた音楽は消されている。風の音ばかりがやけに耳をついた。外ではひっきりなしに風が吹き荒れている。窓枠がガタガタと音を立てるぐらいの強い風。それを聞いていたら、湿った外の空気の匂い、台風と雨の匂いを嗅いだような気がして、さっきまでふわふわと現実感のなかった心が、なぜかざわざわと波立ってくる。


「藤永に……ああ失礼、ご友人でしたね、藤永さんに裕希のことを頼まれたと聞きましたが……」


 用心深い口調で、国原さんが話を切り出した。


「その、あれは怪我をしているとか……どんな様子でしょう」

「手首を切ったという話ですが、命に別状はないそうです。病院で治療を受けてきたようでしたから、傷の方は大丈夫でしょう」

「その……迎えにきたことを、伝えていただけませんか。もしも眠っている様子でしたら、起こして伝えていただけるとありがたいのですが」

「今夜はもう起こさず、そのまま休ませてあげたほうがよいと思います」


 不安げな国原さんの声とは対照的な、低い、落ち着いた調子の莫さんの声。


「私のところに来たときには普通にしていましたが、昼間は取り乱していたといったことも聞きました。それに、何といっても怪我人ですし」

「しかしご迷惑でしょう」

「いえ、気兼ねのない一人暮らしですから」


 澱みのない莫さんの返答に、国原さんは困惑したように沈黙する。


「その……」


 ちょっとして、気をとりなおした様子で国原さん、口を開いた。


「もし裕希からなにか聞いていたら、何があったのか、教えていただけないでしょうか。わかる範囲で構いませんので。俺が出先から戻ってきたときに残っていた従業員に訊ねても、どうも要を得ないし、第一発見者だった女の子は用事があるとかで、そそくさと帰ってしまうしで……」

「裕希くんから直接聞いていることはありません。藤永から聞いたのは、浴室で手首を切って倒れているところを発見されたという話です」


 そこで莫さん、ちょっと言葉を切って、言い加えた。


「泥酔状態だったそうです」

「……どうも、その……」


 少しうろたえたような国原さんの声。


「身内の恥をさらすようで恐縮ですが、裕希は近頃少々その……酒が過ぎることが続いておりまして……」

「そのようですね」


 頷いた様子の莫さん。


「病院では手首の治療だけで戻ってきたようですが、午前中から泥酔するほど飲むのでしたら、ひょっとするとアルコール中毒の疑いがあるかもしれません。日を改めて、専門家を訪ねて診断してもらったほうがよいかもしれませんね」

「なんとも、とんだご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 国原さんは頭を下げた様子だった。


「これ以上、ご迷惑をおかけするわけにもいかないので、やはり連れて帰ろうと思います。呼んでいただけないでしょうか」

「国原さん、これは提案ですが……」


 そう前置きをして、莫さんは言った。


「何日か、裕希くんをここでお預かりしようと思うのですが、どうでしょう」

「いや……しかし……それは……」

「このごろあなたと裕希くんはうまくいっていないのではないですか。察するに、裕希くんが不安定になっているのは、あなたとの間がぎくしゃくしてきているのが原因ではないでしょうか。人が酒に溺れるのは、心が弱いためという側面もあるのでしょうが、しらふでいるのがいたたまれないような出来事があると、ますます飲酒も進むものだとも思います。彼の場合、職場もプライベートも同じ場所で、雇用主と恋人が同じ人物だ。そこで物事が思うように運ばなくなれば、逃げ場がどこにもなくなってしまう。それはまた、あなたにとっても同じことが言えると思います。どうでしょう。裕希くんの様子が落ち着くまで、ここでお預かりして、ここから昼間だけ職場であるカノンへ通うという方法をとってみたらいかがですか」


 しばらくの間、国原さんは黙っていた。莫さんの言葉を噛み砕いて、考えをまとめていたみたい。

 キッチンの隅にあたしを見つけた司くんは、すでに何事もなかったかのように落ち着いている。手際よくコーヒーを淹れて、砂糖とクリームを出してきてスプーンを置いたソーサーとともにトレイに載せて運んでいった。

 ガラスのテーブルにソーサーを置く音が、かすかに響いた。

 コーヒーを置き終わっても司くんは戻ってこない。そのまま黙って莫さんの隣のソファに座ったみたい。それとも立ったままなのかな。


「どうぞ」


 重苦しい沈黙を破って、莫さんが促した。


「……どうも、すみません」


 国原さんの憂鬱そうな声が、そう答えた。

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