12 ヘルメットと千鶴さん(3)
「いつの間に? どうやって梓ちゃんのこと捜したの? だって司、梓ちゃんの話なんて、あたしにもあの人にも一言だって言ったことなかったのに……」
「あ、やっぱりちづちゃんも知ってるんだ」
「そりゃ、あたしはね。でも司こそ、どうして?」
「ん……向こうが捜してくれてたの」
「向こうってことは……司のおかあさんが?」
司くんは首を振る。
「違うよ。梓ちゃん本人が俺を捜してくれてたんだ。それで、俺の知らない昔の話を彼女から聞いたんだけど、その、親父と俺の実の母親……が別れたときのいきさつとか……なんだけど。それについてちづちゃんの時間のあるときでいいから、知ってることがあったら教えてくれないかな? 梓ちゃんから聞いた話が結構ヘビィでさ。どう受け止めていいのかわからなくて、正直混乱中なの。ほんとは親父本人に聞いて、親父の言い分を確かめたい気分なんだけど、梓ちゃんが親父を怖がってんの。そんで向こうからコンタクトを取ってきたことはまだ親父には言わずにいるって約束しちまったからさ」
「薫くんの言い分……」
千鶴さん、ちょっと難しい顔になって、それだけをぽつんとつぶやいた。薫くんって、司くんのパパの名前かな?
司くん、頷いた。
「そう、親父の言い分」
「大したことはあたしは知らない。離婚前のことはあの人あまり言いたがらないから。ただ、あの人が離婚する前に、あんたたちのお母さんを殴ってたっていうことだったら、言い分もへったくれもなく本当のことだと思うよ。あの人、耐えられなくなってあんた連れて逃げ出した、って言ってたからね」
「耐えられなくなって、って母親がじゃなくて、親父の方が?」
「そうだよ。自分で自分が抑えられない状態が続いて、それが耐えられなかったって言ってた。あと、あんたが失語症──じゃなくて緘黙症になったいきさつなら詳しく聞いてる。ていうか、司にとってこれ、ヒドい話なんだけど」
「え? 何それ」
今度は司くんの方が目を丸くする。
「俺が失語症?」
「あんた、あたしと会ったころ、まったく何にも話せなかったのよ。ただ、脳疾患でなくてメンタル系が原因のものだから緘黙症というらしいよ」
「何それ」
司くん、ほかに言葉が見つからないみたいで、何それ、ともう一度繰り返した。
千鶴さん、ふんわりと笑う。
「あたしが知ってることだったら、これまで話したことがなかったことでもなんでも全部話せるけど、やっぱりこれ以上は長くなりすぎるんじゃないの? ねっ、鞠乃ちゃん」
言いながら千鶴さん、あたしの方を向いた。
「ああ、そうだな。鞠乃ちゃん、わりぃ」
「ううん」
あたし、ぶんぶんと首を振った。司くんの昔の話だったら梓にとっての話でもあるから、正直あたしはすごく気になって耳を傾けてしまっている。ただ、あたしは部外者だから本当はこんな風に聞いてていい話だとも思えないんだけどね。
「ちづちゃん、俺達もう行くよ。あとでメット返しに寄るから、そのときに続きを聞かせてもらって構わない?」
「ああ、メットはいいよ別に。あたしもう1個持ってるし、別にそれ使わないから」
「だったら後で電話する」
「そう? でもきょうまた、夕方から勤務なのよ。よければこっちから電話するよ。多分明後日以降になると思うけど、それでいい? それと、こっちも梓ちゃんの近況知りたいから教えてほしい」
「わかった」
司くん頷いたあとで、ちょっと心配そうに言い加えた。
「けどちづちゃん、こき使われてるんじゃねー? 労働基準法に引っかかったりしないの?」
「さあ」
千鶴さんは首を振る。
「医療関係ってもともとシフト制で成り立ってる職種だし、確か特例として超過勤務が認められてるんじゃなかったかな? それよりほら、さっさと行きなよ。お京さんが待ってるんでしょ?」
司くんは頷いて、電話待ってるから、と繰り返すと、赤いヘルメットをかぶってバイクにまたがった。
乗って、と促されたので、あたし、慌ててヘルメットをかぶり直してシートに座る。
それから司くんは千鶴さんに向けて軽く手をあげて、バイクのエンジンをかけた。
黙ってバイクを走らせる司くんの後ろにぴったりくっついて、あたしは、さっきの千鶴さんの話を反芻してた。あたしは司くんが小さいときに緘黙症だとかの病気だったっていう話が気になったけど、司くんにとってはそれよりも、お父さんと千鶴さんの離婚話がショックだったみたいに見えた。
千鶴さんに聞いたエピソードから見えてきた司くんのお父さん、あたしの目から見ると、想像してた以上にヤバい人のように思える。いくら頭に血が上ってたとはいえ、ありもしない罪状をでっちあげて訴えるだのなんだのって、頭がおかしいとしか思えない。子どもや前の奥さんを殴ってたっていう話とはまた別のヤバさがあると思ったのだけど。
あたしが千鶴さんの立場だったら、それだけで多分別れを決意する理由になっちゃうと思う。それと、自分だけ殴られてないからっていうのは、離婚を躊躇する理由には全くならないよ。でも司くんは、ことお父さんに関しては、ちょっと感覚がマヒしてるんじゃないかなあ。どっかで理不尽を許してるみたいなとこがある気がする。それも無意識な感覚で。
千鶴さんはどう思ってるんだろう。あたしにとっては他人の家のことだったから突っ込んだことは聞けなかったけど、妻子を殴ってた男の人だとわかって結婚したのって、どうしてなんだろう。無茶苦茶を言って我を通そうとしてくる人を好きでい続けられるのって、どういう理由なんだろう。
司くん、お父さんから同一視されるのが嫌で、親からそういう感覚を垂れ流しにされるのは迷惑だ、なんて言ってたけど、司くん自身もお父さんと自分を完全には分けて考えられてないのじゃないかしら? 見限られたダメな父親側の立場にシンクロして動揺してたみたいだった。
ああ、でも子どもってそういうものかもしれない。あたしもパパとママが知らないうちに離婚してたなんて話をもしも聞かされたら、ママの駄目なとこも子どもっぽいとこもわかってて一緒になったんじゃなかったの? なんてパパに詰め寄っちゃうかも。(うちはママがちょっと天然だから、どっちかっていうとパパの方が我慢してると思う)
司くん、ショックが尾を引いてないかちょっと気がかりよ。でも、今それを確認する方法はない。後ろからじゃ顔は見えないし、今はもう動揺しているような感じじゃなくて、図書館を出発したときと同じように落ち着いた安全運転で。
それでも、赤信号で止まったときに、少し身を乗り出して、大きな声で訊ねてみる。
「司くん、大丈夫?」
「何が?」
そういって司くんは振り返ったけど、そのあとにこりと笑う。
「ああ、さっきのちづちゃんの話? 親父が離婚してたっていう? 大丈夫だよ。びっくりしたけどね」
「ならいいんだけど」
司くんの表情を見た感じだと普通に落ち着いてるみたい。でも、大丈夫?のあたしの質問の意味がすぐにわかったってことは、内心はまだ平静でないのかもしれないね。
「それより、ちづちゃんのツーリングの申し出勝手に断っちゃったけど、よかったかな? 鞠乃ちゃん、バイクの後ろに乗るの、初めてじゃないだろ?」
「何で?」
「バイクで後ろに乗せてる相手が怖がってると、違和感があるの。コーナー曲がるときに固まったりするから、少し走りにくかったりもするんだけど、鞠乃ちゃんそういうの全然ないから。羽根かなんかを乗せてるみたいに軽いからさ」
「うん。前にちょっとね」
あたしはバイクの免許は持ってないし、スクーターすら運転できない。でも、タンデムシートに乗っけてもらったことは実は何度かある。理由は、今ではすっかり車派になってしまってる兄貴が、何年か前に、ちょっとだけバイクに乗ってたことがあるからなんだけど。
もちろん兄貴の後ろじゃない。だってその頃の兄貴ときたら、美人のカノジョならいざ知らず、チビの妹を乗っけるのなんか恥ずかしくて絶対嫌だって、まるで相手にしてくれなかったんだもの。(今はしつこいぐらい構ってくるんだけどさ。それでこの落差ってなによ?って思うとまた腹が立つわけよ)
あたしを何度か後ろに乗っけて一緒に連れていってくれたのは、そのころ兄貴とつるんで走ってた人の1人で、ひょろっと背が高くてちょっとぽーっとした感じの、兄貴の高校の友達だった。カッコイイ感じの人じゃなかったけど、優しくて、あたし、この人が本当のお兄さんだったらよかったのに、なんて本気で考えてた。
それを思い出したら、あたしも男の人を好きだって思ったことがあったんだな、なんてふと、考えた。チビだったし、恋だったのかって言われると、よくわかんないんだけどね。バイクの後ろに座っているときは、ドライバーにしっかりくっついて、コーナーで車体が傾いたときは、一緒に身体を傾ける。これがスリリングで結構怖い。怖くてドキドキして、楽しかったっけ。
「それよりさ、ここから目的地までちょっとかかるから、しっかりつかまっててよ」
「え?」
信号が変わりそうだったので、あたしは慌てて聞き返した。
「どこ行くの?」
「横浜」
「えっ? お京さん、横浜から連絡してきたの?」
司くんがバイクを発進させたので、あたしの声は風にさらわれていってしまう。
兄貴のバイクはずいぶん前に壊れて、修理代が足りないとかで、もう何年も家の車庫の隅っこに眠ったまま。修理にお金をかけるつもりは兄貴はもう全くないみたいで、この夏休みにはバイト代をつぎ込んで車の免許を取り、パパにお金を借りて(本人は絶対返すと言ってる)新車を購入した。
軟弱者めと、内心あたしは思ったけど、パパとママはほっとしてた。よかった、よかった、バイクは危ないから、と、顔を見合わせてそう言ってた。兄貴は実際バイクで何度か事故起こしてたからね。別に人身事故じゃなくて、器物破損とか、コーナーで曲がりそこねて自損事故とか、そんなものだったけど。
兄貴が車を買ったのって、大学3年のときに付き合いだした彼女の影響だと思うんだ。何度かうちに遊びに来たこともあるお洒落なコ。確か、バイクは嫌いって言ってた。ヘルメットでヘアスタイルが崩れるのが嫌だとか、移動中におしゃべりもできないし音楽も聞けないのはつまんないとか、そういう理由だったと思う。
けど、そういえば、兄貴が梓に言い寄ってきたっていうことは、彼女さんとは別れたのかな? いつ別れたんだろう。よし、そのへんツツいて、今度兄貴を苛めてやろう。
流れていく道路横の街並みを眺めながらあたし、そんなことをとりとめもなくを考える。バイクはやがて都内を抜け、神奈川県に入る。司くんはしばらく海沿いの道を走ってから、地下駐車場にバイクを入れた。




