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憂鬱なときもあの子は可愛い

 ソフィーの眼前で、それまでただのタイルだったダンスフロアが花畑に変わった。山のお花畑のようだ。緑の草地の上で白い小さな花が咲き乱れている。見事なものだった。本物同然である。近付いて触れてみたいという衝動に駆られた。


「素敵だわ。あんなところで踊れるだなんて」


 フロアの若者たちが踊っているのはカドリールだったが、それが花畑と調和していた。楽しそうな雰囲気が見ているだけで伝わってくる。序盤の円舞曲は小手調べに過ぎなかったとみえた。若者たちが開放的な空間で興奮すると共に打ち解けている。


「あれは幻じゃないのね」

「そういう趣向なんだろう。終わったら全員に浄化魔法がかかる筈だよ」


 ソフィーたちの見る前で、フロアの花畑は曲ごとに変化していった。黄色の花々が咲いたかと思えばピンクの花々が咲き、また白の花々が咲くと、次は青い花々が咲いた。草花の香りが微かに鼻腔を擽るのが、景色より雄弁に本物の花々であることを物語る。


 美しかった。いつだったかオリヴィアの領地を訪問した思い出が鮮やかに蘇るほどに。ソフィーの見る先で、当のオリヴィアも羨ましいほど嬉しそうに踊っている。顔に浮かぶ生き生きとした魅力的な表情は山に忠実な演出であることを物語っていた。ソフィーが絶対に着こなせないような鮮烈なオレンジ色のドレスが、蝶の(はね)の如くひらめいている。軽やかだ。元々踊りが巧いのは知っていたが、今夜は特に素晴らしい。


 ソフィーはそっとルーペを取り出した。ただ諦めるためだけに。


 一枚のレンズの向こうで、フロアは広く平たい影となった。その上で人影たちが踊っている。人影たちの周囲も霧がかったように見えた。フロアという結界の中で、魔力が漂っているのだ。


 ソフィーはルーペを持った手をぱたりと下ろした。大勢の人といるのに、何となく、自分だけたった一人で突っ立っているという気がした。


「本物志向もここまで来ると圧巻ね、貴方」

「見事なものだな。フロアの石材まで、魔力伝導が良いものに張り替えている」


 花畑は依然として美しい。踊っているのは今や老若男女関係なく、全員がこの演出を楽しんでいる。ジェラードとローズも興味を引かれているのがソフィーにははっきり分かった。


 何とも言い難い思いが、ソフィーの胸中に広がった。少し前までソアレン伯爵がいて楽しかったのが嘘のように顔が強張る。足を踏み入れることも叶わない花畑など、虚しい。蜃気楼のようなものだ。


「お父様、お母様。踊ってきたら」

「私たちは良いのよ」

「行ってらっしゃいよ。自分たちは見物だけなんて狡いわ」


 空元気を出し、ソフィーは愛嬌を振り撒いた。ジェラードもローズも躊躇いを見せたが、結局フロアへと向かった。ソフィーは遠ざかる両親の背中を見送った。


 次の曲が始まり、また新しい花が咲く。父母が人々の輪に加わるのをソフィーはぼんやり見つめた。邪魔しないよう、注視しないように気を付けながら。


 傍観している内、からからに乾いた喉に突然気が付いた。気付くなり渇きは堪え難いものとなりソフィーを苛んだ。レモネードでも何でも良い。水分を求め、ソフィーは急ぎ足で飲み物を取りに行った。ホールの出入り口近くにあったのは覚えているので、その方向に向かって。


 常温のハーブウォーターにありついたところで、聞き慣れた声がソフィーに話しかけた。


「ソフィー。やっと捕まえたわ」


 ダンスの余韻か息が少し上がっている。蒸気した頬が微笑ましい。しかしフロアで使われた魔法の力を微かに纏ったままらしく、ソフィーは相手と近付いた瞬間に魔力への微かな不快感をおぼえた。それを顔に出さぬよう抑え込む。気怠さで座りたくなったが、ドレスの中で仁王立ちした。この相手とはアレルギーをやり過ごしながらでも話したい。


「オリヴィア」


 ソフィーは微笑んだ。オリヴィアが捲し立てる。


「舞踏会で会えるなんて嬉しいわ、ソフィー。もちろん来るのは知ってたけど、元気みたいで本当に安心したのよ。すぐ話せると思ってたら貴女が連続で踊り出して、そりゃあはらはらしたんだから」

「ありがとうオリヴィア。お陰様で元気よ」


 オリヴィアの息継ぎでソフィーはようやく返事を挟んだ。だが内で燻る羨望が声を皮肉めいて響かせた。


「元気だけど少し陰気ね。魔力がまだ残ってるみたいだしちょっと離れるわ」


 オリヴィアが指摘と宣言をして後ずさる。ソフィーは意識して可憐に肩をすくめた。今日は猫を被るという宣言が伝わり、オリヴィアがにやっとする。素知らぬふりで答えた。


「ありがとう。だって私だけ見物人に甘んじざるを得ないのだもの。素敵な魔法なだけにちょっと残念なのよ」

「無理ないわね。あそこは今、魔力の濃度がちょっと高くなってるもの。凝った魔法って証拠よ」

「凝ってるのね。あまり見る機会がないから分からなかったわ」

「凝ってるわよ。というより、ここ以上に仕掛けに凝る舞踏会もなかなかないわ。しかも去年以上の力の入れようよ。久しぶりの舞踏会がこれなんてソフィーは運が良いわ」


 きんきんに冷やされたレモネードを思い切り良くぐいと飲んで、オリヴィアは大きな笑顔で笑った。豊かな唇の間で白い歯が光る。


「舞踏会で繰り広げられる恋模様って、どんな演劇にも勝る娯楽なのよ。かつての恋人たちがカドリールで不意打ちのように再会したり、デビュタントがワルツで初々しい恥じらいを見せたり……まあここは解放的過ぎるから、デビュタントはそう来ないけれど。今日だって白い羽根は殆ど見なかったもの」

「遠目でそんなに分かるもの?」


 ソフィーは動揺して尋ねた。


「それなりにね。貴女がパートナーと何か話してるのは踊ってたって見えたわよ。カイン子爵とあんまり親しそうだから、私の傍にいたご令嬢は険しい顔をしてたわ」


 オリヴィアが思い出したように笑った。


「お喋りなのよ、私。四曲目では気を付けたのだけれど、分かって?」

「ええ。素晴らしい成長だったわ。深窓の令嬢らしくって」


 はすっぱに、しかし顰めた声で言ってオリヴィアが頷く。ここで指摘されないなら、ソアレン伯爵と二曲連続で踊ったことは常識の範囲内ということで目を瞑ってもらえるようである。ソフィーは安堵してハーブウォーターを一口飲んだ。


「ねえアイリーンをご覧なさいよ。婚約者に連れ回されてる。すっかり結婚するつもりなのね、あの男」


 クスクスとオリヴィアが笑った。ソフィーは頷き、相手がまた何か言う前にと口を開いた。


「そういえばね、オリヴィア。今日の貴女はいつにも増して綺麗だわ。鮮やかなオレンジが本当に良く似合ってる」


 オリヴィアの表情が、一瞬呆けた後に緩んだ。安堵の吐息がレモネードのグラスに吹きかかる。ソフィーはその息吹の音さえ聞こえた気がした。


「本当……? ねえ、派手過ぎじゃない?」


 オリヴィアらしくもない小声だった。


「まさか」


 素早く答えながらソフィーは驚いていた。驚くと共にオリヴィアを羨んでいたことが俄然(がぜん)後ろめたくなる。償おう言葉を尽くした。


「華やかというのよ、この場合は……。貴方は完璧にそのドレスを着こなしてるわ。踊っているときなんて、裾のひらめきが羽ばたきのようで素敵だったのよ━━」


 言いながらソフィーは罪滅ぼしでなく本心からオリヴィアを褒めたいと思っているのに気が付いた。自分の友人が美しいと、誰しも誇らしくなるものである。


「━━貴方は元々綺麗だけれど、今夜はいつにもまして綺麗だわ。そういえばダンスも上手いものね。誰より軽やかで」

「ソフィー」

「じゃあこれだけ言わせて。貴方のことホール中練り歩いて自慢したいくらい完璧よ」

「もう、ちょっと黙ってちょうだいソフィー」


 気付けばオリヴィアが僅かに赤面していた。ソフィーは大人しく口をつぐんだ。しかしそれでも気が収まらなかったのかオリヴィアが文句を言う。


「虫なんか大嫌いな人がチョウに例えたって説得力ないわ。うちの領に来たとき、指先に乗るような幼虫に悲鳴を上げてたじゃないの」

「チョウは唯一好きなのよ」


 傍では見られないけど、という本音は心の中でだけ付け足した。オリヴィアの指摘の通り、ソフィーは虫というものがすべからく苦手である。滅んでくれとはいわないが、認識できないところで生きていて欲しいと願ってやまない。


 今度こそオリヴィアが押し黙った。その手が二杯目のレモネードを呷る。照れてむくれるその横顔は却って可愛く見えた。だがそう伝えれば揶揄っているのかと怒られる確信がソフィーにはあった。そうなれば恐らく三杯目のレモネードがろくに味わわれもせずオリヴィアの喉を滑り降りることとなる。


 令嬢がやけ酒の如くレモネードを(あお)るのはよろしくない。友情のため仕方なくそれ以上の賛辞は心の中だけに留めて、ソフィーは代わりにオリヴィアを励ますことにした。


「オリヴィア。その色が好きでしょう」

「好きよ。でも派手だわ」

「華やかで、貴方を引き立てるオレンジよ。好きな色と似合う色が同じなら、活かさない手はないと思うわ」

「本当に似合うと思う?」


 オリヴィアがだめ押しを求めて聞いた。いわくありげに笑っているが、目が真っすぐにソフィーを見つめる。


「自信がないなら、私がそれを着てるところを想像して良いわよ」


 一瞬の後にオリヴィアの顔がじわりと笑みを漏らした。

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