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舞踏会へ

 身支度を済ませ、ソフィーは兄ヒューバートのエスコートでダンスホールに足を踏み入れた。中では人々が社交に勤しんでいた。ソフィーもその仲間入りをしたかったが、常に肌身離さず持ち歩いているルーペを握って魔力を放つものがないか確かめた。空気中の魔力が除去されていても、接触すればアウトである。たとえ久方ぶりの舞踏会だろうと、周囲に遠慮することはできなかった。


「見たところ問題はなさそうだが」

「ピアソンが万が一にも触れないようにって言うんだもの」


 一般的なルーペと異なり、このルーペの向こうの景色は、魔力を放つものだけが拡大され、また魔力の痕跡が霧のように映し出される。ソフィーは用心深く会場を見回した。


「駄目だわ。誰も彼も魔法で作った服をお召しだわ」

「まあ、不思議じゃないが……あまり感じないのにな。(もっと)も僕だって、敏感な方じゃないけど」

「殆ど魔力は抜けてるもの。普通の人なら全然感じないくらいじゃないかしら。でも私は触らない方が良いわね」


 魔力に触れたときの何とも言い難い不快感を思い出して、ソフィーは渋面になった。ヒューバートが苦笑いする。精巧な魔法のかかった物品がステータスになる貴族社会では避けられないことだった。


「ということは、今夜もお断りの嵐か。お前に申し込む男は可哀想に」

「私に断られたくらいで落ち込む筈ないわ。遊びなんだから」


 小さくぼやく。ソフィーだって、自分に向けられる目が単なる物珍しさできらめいていることくらい分かる。自分に魅力がないことは承知しているのだ。それにヒューバートは寧ろお断りの嵐を歓迎している。哀れむような声音が茶番なのは、ソフィーが一番良く知っていた。


「良いぞ、その意気だ。誰にも惑わされてくれるなよ」


 ヒューバートが低い声で言った。一応は見合いもかねた場であることもふまえると言うべきではない内容だが、言わずにいられなかったのだろう。


「もう少し慎重になっては?」


 妹として一応忠告する。ヒューバートはくっくっと笑った。


「この中の何割がろくでなしだと思う?」

「さあ……」


 舞い上がっている令嬢の態度を心がけ、目を輝かせて周囲を見ながら答える。誰も彼も、頭のてっぺんから爪先まで整っていて、ソフィーの目にはそれなりに立派には見えた。


 一人の貴族から話しかけられたのを皮切りに、オルドリッチ伯爵家の兄妹は貴族たちと挨拶をかわし始めた。今シーズン初めての舞踏会であるソフィーには、全てが新鮮である。会話は思いがけず楽しむことができた。ただその途中、若い令息などがソフィーを見たが、ヒューバートが近付かせなかった。


「一割?」


 話し終えてとある伯爵が去った瞬間、ソフィーは切り込んだ。ヒューバートがすぐに言葉の意味を飲み込む。


「遠慮深いんだな、ソフィー」


 ヒューバートが耳元で言った。


「全員ろくでなしだと思ってるくせに」


 誰かに聞こえたのではないかとソフィーは周囲に目を光らせたが、幸い誰も不快な様子は見せなかった。うっかり目が合った男に曖昧に微笑んでおく。


「たとえば今、目が合った男はギャンブル狂だ。お前の持参金目当てでここに来てる」


 ヒューバートがすかさず言った。そう聞くと件の男が一人でいることに、ソフィーは別の意味を見出さずにいられなくなった。男の視線がソフィーから外れないことにも。


「うちは目立って多額じゃないのに」

「ところが、お前は狙いの内の一人なんだよ」

「なるほどね。皆様ご存知なの」


 下手に持参金だけを当てにするより、世間知らずの令嬢に絞った方が確実ということか。納得したソフィーは、堪えきれず唇の端だけで笑った。件の男は相当、負けが込んでいるのだろう。


「ご存知ね。お前の婚約者候補を良く分かっていないと思うが」

「とっても……なんていうか、普通そうな方に見えるのに」

「どういう見た目なら納得がいく?」


 ヒューバートに聞かれてソフィーは言葉に詰まった。そもそも自分の中に、ギャンブル狂の確固たるイメージがないのに気付く。


 前世の記憶を掘り返してみるも、競馬や競艇に夢中な年配男性くらいしか思い付かなかった。しかもイメージの中の彼らは、どういう訳か耳に鉛筆をかけている。それもなぜか緑色の、妙に懐かしいデザインの鉛筆だ。そして新聞紙を持っている。スポーツ紙のような気もする。変なところで詳細だ。後でしっかりメモに残そう、と心に決めるも、ふと不思議になる。一体どこで培ったイメージなのかは思い出せないのに、何故こういうことは変に覚えているのだろう。


「賭博場に行ったことがないんだ。無理もないよ」


 黙りこくるソフィーを慰めるようにヒューバートが言った。小指の爪が長かったかもしれない、とぼんやり思い出していたソフィーは我に返って尋ねた。


「行っても良いの?」

「もちろん駄目だ」

「でしょうね。お父様は卒倒しそう……それはそれで、面白いけど」

「やめてやれよ。あの人あれでお前のことは溺愛しているんだから」


 ソフィーはそっと父母の方へ視線を向けた。ジェラードとすぐに目が合う。深い栗色の、全く同じ色の目。そっと微笑んで、視線をヒューバートに戻す。


「閉じ込められ通しだもの。私にだってたまには愉快なことが必要よ」

「そんなに賭博に興味があるのか?」


 にわかにヒューバートが真剣な顔をする。ソフィーは笑って首を横に振った。


「賭博じゃなくたって。馬車で少し遠出させてくれれば良いのにってだけよ」

「その件についてはもう充分話し合ったろ」

「話し合いっていうものは妥協点を見つけるものだと思っていたわ」


 ヒューバートの目元に力がこもった。表情はさほど変わっていないが、ソフィーには分かった。図星をつかれて、兄は不機嫌になっている。これ以上この話題を続けるべきではないだろう。この先は自宅までおあずけだ。


「カイン卿はいらしてるかしら」


 何気ない風にソフィーはヒューバートに尋ねた。


「私の背じゃ見つけられないのよ。お兄様には見えて?」

「ああ、来てるよ」


 ヒューバートが辺りを見回して答えた。ちょっと顔を顰める。そして仕方なさそうに呟いた。


「すぐに男同士で連むんだから、あいつは」

「人気者だからよ」


 ソフィーはクリスを庇った。クリスとソフィーの婚約はまだ正式に決まったものではない。長男で見た目も良く優秀な青年に、関心を持つ令嬢やその母が多いのは当然のことだ。どうしたって隠れ(みの)が要り用になる。


「話しかけるかい?」

「いいえ、大丈夫。確認したかっただけ。後で会う約束だもの」


 敢えて傍を通りかかったご夫人に聞こえるようにソフィーは答えた。必要ない小芝居だが、言うなればクリスへの援護射撃である。幼馴染が今でも絶大な人気なのは、誇らしい反面、哀れでもあったからだ。少しでもクリスを諦める人が増えれば望ましい。


 兄妹はダンスホールをゆったりと進んだ。

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