ダンスレッスン
「明日もその険しい顔で踊るつもりかい?」
にやっと笑ってヒューバートが聞いた。ソフィーは上目遣いに兄を睨んだ。その途端にステップを失敗しかける。ヒューバートが目敏く見つけてまた笑った。
「一年振りのダンスパーティーに緊張しないほど鈍感じゃないものですから」
「可愛い妹を壁の花にはさせないよ」
「良く言うわ。すぐに私なんか置いてくくせに……そもそも始めの内しか、どうせ踊れないけれど」
「クリスも来ると言ったろ」
ソフィーは鼻を鳴らした。否定すらしない。
軽々とステップを踏む兄が二重に恨めしい。第一に、別にヒューバートだって特別に運動ができる質ではないのだ。努力は認めるが、緊張を見せない理由ははっきりしている。経験しているからだ。この差は大きい。
第二に━━これはプライドの問題だが━━
「身内票じゃないの」
複雑なステップの隙間に言葉を滑り込ませる。
「あいつを身内とは。安泰だな」
「安泰って?」
「もう家族のつもりということだろ」
からかいの声音だ。ソフィーは顎をつんと上げ、唇の片端だけで笑った。
「結婚しようとしまいとクリスは私の兄弟よ」
「お前の兄はこの僕だろう」
「あんなに良い子が兄の筈ないわ。可愛い弟よ」
考えるより先に言葉が出た。これは無自覚の本音だろうか。明日クリスにも意見を求めよう、とソフィーは決めた。
「あんなにやり合うのに可愛いとはね」
「やり合えるから可愛いのよ。お兄様だって私が可愛いでしょう」
「自信家だな」
ヒューバートは否定しなかった。だからソフィーもこの兄が憎みきれない。今日だって、七面倒な面子が集まるという晩餐会を控えているのにダンスの練習に時間を割いてくれていた。そういう感覚は、弟がいたソフィーも身に覚えがある。
「何だかんだ言って、上の子は下の子が可愛いと思う部分があるのよ。鬱陶しくても嫉妬しても、憎みきれない自分に歯噛みしちゃうの」
「末娘の言葉とは思えないな。僕の知らない内に本当にクリスを弟にしたのかい?」
にやつくヒューバートをちらっと見て、ソフィーは肩をすくめた。
「そういえばここ数日はどうした? 図書館には行っていないようだが」
ヒューバートが聞いた。ソフィーは口がへの字になるのをなんとか阻止した。
「調査っていうのは、時には仮説を立てる時間が必要なものよ」
「というと、今は方向を決めかねているわけか」
「そう。終わったわけではないの。お生憎様」
「やめろなんて言ってないだろ」
少し顔を顰めてヒューバートが言い返す。ソフィーは兄の顔をちょっと眺めた。それから微笑んだ。本当に心外そうに見える。
「私の外出を一番嫌がるのってお兄様なのよ。知っていて?」
「自覚はあるよ」
ヒューバートが認めた。ソフィーは驚いて目を見張った。気まずげに兄が目を逸らす。
「医者より過保護な兄だよ、僕は。確かに」
「良かったわ、自覚があって」
痛烈に皮肉ってやりたかったのに、ソフィーの声は自分でも思いがけないほど優しげに聞こえた。ヒューバートが微苦笑する。
「改善の余地があるから?」
「そうよ。自覚させることってとっても難しいでしょう」
「自覚した上でこの態度だとしたら、改善の余地はどのくらいある?」
「それは分かってて私を閉じ込めたがってるってこと?」
明るいブルーの目が逸らされた。ソフィーは怪訝に、あるいは不快に思っていると見えると理解した上で目を細めた。少しは兄がたじろぐことを祈って。
「私ってそんなにか弱く見えるの? 未だに?」
「他所のご令嬢と踊る度に君と比べて、僕が不安になるくらいには」
「大抵の方はおっそろしく痩せてるじゃないの。ウエストなんか━━」
「それでももう少し筋肉質だよ。それに体調不良は魔法で回復できるし……そもそもウエストなんか魔法で誤魔化せるんだ、彼女たちは」
「魔法でも薬でも、肉体の形を変えるなんて負荷が大きいんでしょう。多用はできない筈よ」
すかさず指摘する。ヒューバートは少し意外そうな顔をした。自分以上に魔力のない妹が、魔法に明るい筈もないと思っている節があるのだ。甘く見ているといっていい。魔法のかかったコルセットが流行っていた事実から、ソフィーがその程度の知識には自力で至ることができる、という考えがないのだから。
「ソフィー。悪いけど僕は考えを変えるつもりはない」
「悪いけど私も、大人しく閉じこもってるつもりはないわよ」
「分かってるさ。今ここにいるんだから」
ヒューバートの憂うような眼差しをソフィーは軽く睨んだ。
「お兄様の真意がまるで分からないわ。私を領地に閉じ込めておいたって何も解決しないのよ。数年以内に結婚しなければならないし、今はその前哨戦に過ぎないわ」
「クリスとなら、今更仲を深める必要もないだろ。ダーレントン伯爵とも親しいんだから」
「良く言うわ」
ソフィーは吐き捨てた。手を離して距離を取る。妹の感情のままの振る舞いでヒューバートの顔が強張り、一瞬の間を置いて微かに歪んだ。
「そうか。あいつから聞いていたのか」
「ええ。心から祝いたかったわ。もうそんな権利ないけれど」
思案顔でヒューバートがソフィーを眺める。音楽が止んだ。奏者がピアノの影から気遣わしげに兄妹を見る。ソフィーは微笑みかけた。彼女に罪はない。
「ごめんなさい。続けてちょうだい」
音楽が始まり、二人はまた踊り出した。ソフィーは気分を変えようと、今かかっている曲のタイトルを思い出してみようとしたが、不思議なほど記憶になかった。興味がないことにはまるで記憶力が発揮されない。イザベラに言われた通りだ。気晴らしは諦めざるを得なかった。
回りくどい会話をやめて、ソフィーは一番気になったことを聞くことにした。
「何故、私を気にかけるの?」
ヒューバートがすぐ答えようとしたので先手を打つ。
「単に妹だからっていうのはなしで」
微笑んでみせる。ヒューバートも微笑んだ。
「病弱な妹を大切にするのはそれほど変なことじゃないと思うんだが」
「その病弱な妹を鬱陶しがらないのが、不思議なのよ。親の関心を集める兄弟って、疎ましいものだわ。子供の頃なら尚更」
「必死で隠してたのさ」
ソフィーは明るいブルーの目をじっと見つめた。
「それが本当なら、お兄様は役者になるべきよ。子役から活躍できた筈なのに、勿体ないことしたわね」
「そうだろう。自分でもなかなか真に迫っていたと思うよ」
妹の咎める目から逃れるように、ヒューバートは言った。
「今じゃすっかり板についているんだから」




