表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/40

緑の眼

 オブライエン公爵とのお茶の翌日。ソフィーは今日も今日とて調査に励んでいた。とはいえ遅々(ちち)として進まなかったのもまた事実である。伯爵令嬢が迷宮入りした事件━━それも婚約者候補と関係している━━について調べていると知られないよう、誤魔化しの作業を並行しての調査となったためだ。さして関心もない服飾史に目を通すのは、何か聞かれた際に答える準備だった。


 また、各社の新聞を比較しながら読み進めていたのも、調査の進みを遅くさせていた。しかし成果もあった。


「お嬢様、ちょっと興味深い記事を見つけました」

「どんなもの?」

「使用人たちには記憶の封印が施されていましたよね。ですが体内から睡眠薬が検出されたそうなんですよ。それも全員から」

「えっ……睡眠薬?」


 ソフィーは驚いて聞き返した。


「睡眠薬を盛った上で記憶を封印したの? それはまた……周到というか悠長というか……」


 ソフィーは不謹慎だと思いながらも笑みが浮かぶのを堪えきれなかった。ウォルポート伯爵夫妻という貴族を殺害したにしては、あまりに余裕がありすぎる。夫妻を殺害した後に、睡眠薬を盛ってある使用人たちの部屋へ行って、わざわざ一人一人の記憶を封印して回るというのは、改めて考えると少しばかり無防備だという印象すら受けた。目撃者を出さぬ準備をした甲斐がないというものだ。


「ワインを使ったそうです。在庫管理表にも載っていない上、まあ当然なのですが、誰一人覚えていないと証言しているようです」

「何処かからの贈り物でしょうね。それか、伯爵夫妻からの(ねぎら)いか」

「そんな方々ではないですよ」


 すげない否定がすかさず入る。ソフィーは薄ら笑って頷いた。


「それにしても用心深い犯人ね」

「それはどうでしょうか。犯人の特徴を書いたメモが残っているということは、飲んだ量が少なかったか……少なくとも睡眠薬の効きが悪かった使用人がいたということでしょう?」


「確かに……そう言われると周到でもないわね」


 忌憚(きたん)なく意見を述べるイザベラに、ソフィーは内心感謝した。イエスマンでないのが本当にありがたい。自分の考えの偏りに気付く機会が貰えるのは幸運だ。


「ですが、記憶の封印だけはしっかりやったんでしょうね」


 読み終えた新聞記事を整理しながら、イザベラが呟いた。


「王室付きの魔法士たち総出だったそうですよ。結局今になっても封印を解けないなんて、一体どういう技術なんでしょう」


 イザベラが肩をすくめて新聞記事を差し出す。何社分もあったが、共通して記憶の封印を解くことができなかった旨を書いていた。経験豊富な魔法士がいて尚、既存の解呪方法では太刀打ちできなかったそうである。


「解呪した筈なのに記憶に触れることができないって、不思議ね」

「はい。魔法士の方々が解呪した手応えを感じているということですものね」


 イザベラも頷いた。


「そんなに優秀な魔法士が犯罪者側にいるなんて恐ろしい話。未だに二人とも捕まっていないもの……そもそも二人組かすら、断定できていないけれど」


 記憶の封印について、ソフィーは思いを馳せた。非常に高度な技術が求められるということだけは知っていた。それはそうだろうとは思う。記憶を弄ることは、人格に影響しかねないだろうし、日常生活に支障を来たしかねないだろう。だが、一体どういった魔法なのかは、良く知らない。


「ちょっと魔法について調べてみようかしら」

「まさか記憶に関するものだなんて仰いませんよね」

「そのまさかよ」


 しかし、勢いそのままに目当ての本を探しに行ったソフィーは、膨大な資料を前に立ち尽くした。


「閲覧室に戻りましょうか」


 足元から、梯子を使わなければならないほど高くまで続いている本棚を見上げ、ソフィーは小声で言った。本はぎっしりと端から端まで詰まっている。その上、丁寧に本棚に「魔法━記憶」と記されているので、本の量が把握しやすかった。おかげですぐに理解できた。魔法の基礎も知らない人間が手を出すべき分野ではない。


 閲覧室に戻ると、イザベラが励ますように言った。


「新聞の調査に飽きられたら、他の分野をお調べになっては?」

「そうね。あの経典も、もしかしたら」

「いえそれは……実は私も司書の方に伺ったのですが、置いていないとのことでした」

「えっ、聞いたの?」


 ソフィーは驚いて聞き返した。明らかに貴族の使用人であるイザベラが『救世の使徒』について知りたがるのは、怪しまれやすい。


「知人に『救世の使徒』がきっかけで失業した者がいて、知らないまま警戒しているのが怖くなったからちゃんと知りたいと話しました」

「そんな……経典を読み比べたいと言った方が良かったんじゃない?」

「その方が悪目立ちすると思ったので。誤魔化したがっていると思われる方がまずいです」


 イザベラが首を横に振る。ソフィーはそう言われて自分の認識の甘さを自覚した。『救世の使徒』は、想像しているよりずっと悪名高いらしい。


「まあ、所蔵してなかったんですけれど」

「てっきり島内の出版物は全て納本制度の対象だと思っていたわ」

「その辺りは曖昧なんでしょうね。王都内の他の図書館の所蔵も確かめてもらったのですが、何処も置いていないそうです」


 ソフィーは王都内の他の図書館を頭の中で思い浮かべた。それから、前世の記憶を掘り起こそうとしたが、図書館に通っていたとはいえ図書館の制度そのものには明るくなかったことに気が付いた。背表紙に記されている番号だって、その意味までは覚えていない。9から始まるものばかり印象に残っているのは、どの本棚にあるか探すとき手がかりにしていたからだろうか。


「ところで気になっていたんですが……」

「何かしら」


 子供時代に過ごした図書館に思いを馳せていたソフィーは、慌てて顔を作った。


「何処までお調べになるおつもりですか?」

「えっ?」

「調べれば調べるほど、あの方が関わってらっしゃる筈もない事柄でしょう。お嬢様が今なさっていることは、何というか……当初の目的からずれてきているのでは?」


 図星だった。


 一瞬、ソフィーの思考は停止した。イザベラの緑の目が、確かに視界にあるのに上手く見ることができなくなる。遠いような近いような、妙な感覚。ソフィーは意識が自分の中に沈み込んでいくような感じがした。目の前の相手に集中しなければと思うのに、ぼんやりと何かが閉じていく。


「本当はあの方とのことが……乗り気でないのでは?」

「そういうわけではないわ」


 素早く答えたが、声そのものが能面のように感情の色のないものに響いた。相手もそう思ったらしくソフィーには見えた。すぐさま話頭を転じにかかる。


「イザベラ。こんな手伝いはいつでもやめて良いのよ」

「代わりに誰をつけるおつもりですか」


 イザベラが剣呑な声で聞いた。


「分からないわ。でも、貴方ばかり私に付き合わせるのは良くないって、前から気になってはいたのよ」


 嘘ではない。ソフィーは心の中で呟いた。前々から、イザベラの忠誠心が彼女自身にとって負担になっているのではないかと懸念していたのは事実だ。しかし、そういう場面を聞かれもしない内から挙げている矛盾に気が付き、ソフィーは上の前歯で下唇を軽く撫でた。下唇を噛む癖の代替行為。


「私は命じられてここにいるわけではございません」

「自ら志願すれば自分の負担にならないなんて、そんな妙な理屈はないわよ」


 緑の目がじっとソフィーを見た後に一瞬閉じられて消えた。次に現れた時には、イザベラはいつも通りに戻っていた。


「私は、理由は想像もつきませんが、とても拘っていらっしゃるという印象を受けたのでお聞きしたまでです」

「そんなことないわ」

「ではもっと近い表現を」


 そう言うとイザベラは考えるように目線だけ横に逸らした。微かに俯いているので、緑の目よりも締まった唇の形の方が表情豊かに見える。


「ただ真実を知りたがっておいでなのでは?」


 顔を上げて一息で言ったイザベラの口調は確信的だった。だが、ソフィーが反論するより早く


「それが少々気になったまでのことでございます。では、新聞記事を戻して参りますわ」


 と言って閲覧室を出て行った。


 残されたソフィーは、イザベラの見事な赤毛がドアが閉じて見えなくなってもまだ動くことができなかった。自分の頬に触れ、指の腹をそのまま押し付けてみる。強張っている気がした。表情を繕うのは、巧くなったつもりだったのに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ