久しぶりの社交界
ごく親しい者だけの集まり、と聞いていただけのことはあり、クリスの父ダーレントン伯爵のタウンハウスで開かれた晩餐会の参加者は、ソフィーでも知っている者たちばかりが招かれているようだった。
久しぶりの社交界に、ソフィーは緊張を禁じ得なかった。しかし、前世においての貴族に関するお粗末な記憶とは違い、この世界の人々の服装は思いの外カラフルだ。目には楽しい。意外なのは男性だ。暗い色合いの燕尾服かと思いきやそうでもない。女性のドレスほどではないが、それでも紺や栗色、グレーは珍しくないし、白やベージュも散見する。とある洒落者は深紫で仕立てているなどと聞いたこともあった。
「楽しめているかい?」
朗らかに話しかけてきたのはクリスだ。カフスはソフィーが贈ったもので、流石にぬかりがない。栗色にぴかりと光った。珍しく全体に薄い色の装いによって目立たせてすらいる。真白でなく象牙色にした辺りが優しげな風貌に合っている。それどころか王子様らしい雰囲気を底上げしていて、ソフィーは我が幼馴染ながら美男子だと感慨深い思いだった。泣きべそをかいていた頃が懐かしい。
だが、そういったことに態々触れる必要はない。微笑んで頷いた。
「立食形式なんて随分珍しいわね。奥様はともかく、ダーレントン卿はこういうの、お嫌いかと思っていたけれど?」
「去年は若者の流行だと嫌がってたね。でも君が暫くはこれでないと参加しないと聞いたから、僕から頼んでみた」
「良く折れて下さったわね。何だか申し訳ないわ」
「時代の変化もあるから良いことだよ。テーブルを囲む晩餐会は食べ残しを捨てる他なかったけれど、立食なら多少は調整が効く……これ食べるかい?」
「ええと……そうね、お願い」
ソフィーがいつも好んで食べる川魚のポワレを取ってくれると、クリスは困ったような顔をした。
「楽しんでる顔をしてくれた方が、あの人は喜ぶよ。それに君が食べられないようなものは、そうそうないと思う」
そう耳打ちすると、クリスは手を伸ばして小皿を取った。中には彩りよく整えられたピクルスが入っている。一瞬だけ、酢の喉に来るような匂いがソフィーの鼻腔をくすぐった。
「貴方、昔から酸っぱいのが好きね」
フルーツサラダを取りながらソフィーもにっこりした。
「落ち着いて食べたいならテラスも開いているけれどどうしたい?」
「虫が来たら困るから遠慮するわ。でも挨拶は済ませてしまったのよね。ひとまず一緒に食べない?」
クリスがちらっと周囲を見て声を顰めた。
「そうさせてもらうよ」
幼馴染二人は、皿に少量盛りつけた料理に取りかかった。ソフィーはふと気にかかって小声で尋ねた。
「誰か苦手な方が?」
苦笑いしたクリスがソフィーの方に身体を傾ける。
「うん、まあ……あちらのご婦人なんだけど……見てはだめだよ、僕が話していると知られてしまう」
囁くクリスの吐息が、ソフィーの耳にかかった。そのくすぐったさに思わず身を捩って笑ってしまい、頬が火照る。他人から見てどうなのかと思ったが、一番嫌な顔をしそうな堅物のダーレントン伯爵がにこやかだったので、ソフィーは安堵した。
「いい加減くすぐったがりなのを直さないといけないね」
「大人になったら鈍くなると教えられたのよ。まさかこの歳になってもこうなんて思わないじゃない?」
「では我慢することを覚えた方が良いよ。ご友人を驚かせたくはないだろ? お陰で僕はとんだ不埒者に見えた」
「返す言葉もないわ」
確かに囁き合う度に身を捩っていては鬱陶しいだろう。ソフィーは焦りをおぼえたが、クリスが愉快そうなので悩みは霧散した。
「どうかしたの?」
「いや、今回ばかりは感謝するべきかもしれない。父に姪御さんと僕の見合いをかけあっていた方だが、さっきの僕らを見て意見を変えたかもしれないんだ」
「ということは、私は盾としてお役に立てたのね。何よりだわ。あまりご令嬢がいないものだから役立たずのまま終わるのかしらと不安だったのよ」
「君には随分助けられてるよ。今度、僕がご令嬢たちにどう言っているか見せてあげよう」
悪戯っ子のように笑い合いながら、不意にソフィーは冷静になった。折角の晩餐会なのに、自分は挨拶くらいしかしていない。クリスと話してばかりいては、ダーレントン伯爵に悪いのは確かだ。
「これを食べ終えたら一度解散した方が良いわね」
「そうだね。ヒューを見習って僕らも励もう」
クリスの視線の先に、ジェラードとは離れて人脈作りに励むヒューバートがいた。
何に励む、とは言わなかったが、幼馴染二人の間ではもちろん通じ合っていた。社交に勤しむこと、興味のないお喋りに興じているふりをすること……退屈でそして重要なことだと、賢明にも二人ともが理解している。財力以外にも人を動かす力を持てば、それは財力以上のものになり得るのだ。
「良ければ私が取ろうか、オルドリッチ伯爵令嬢」
クリスと別れてすぐ、右上から声がかかった。
「まあ、ありがとうございます」
恐縮して緊張気味に微笑んだソフィーの皿に、色とりどりのプチトマトをよそってくれたのは、初老の紳士である。
「大したことではないよ。体調はもう本当に良いのかな?」
「ええ、お陰様で。ただ、医者にはセーブして活動するようにと言われておりますの」
ソフィーが残念がると、紳士の観察するような眼差しに僅かながら憐憫のようなものが混じったように思われた。
「それはそうだ。夜遅くまで外にいては健康に悪いだろうね」
「そのようです。閣下のような元気な方にお会いすると、私もゆくゆくは……と憧れますけれど」
「私が元気そうに見えるのかね」
「寧ろ元気そのものでしょう。武術大会の弓の部での閣下のご活躍を、知らぬ者はおりませんわ。今期こそ拝見したいと楽しみにしておりますの」
紳士は思わずというように破顔した。
「貴女のような若い女性にまで知られているとは嬉しいね。しかし妻がみっともないと言うので参加は迷っているんだよ」
「みっともない……ですか」
「若者に混じって白髪頭が真剣に弓を引いているというのが目立つようでね」
「それは閣下がお怪我なさらないか、心配しておいでなのかもしれませんわ」
「それならばそう言って欲しいものだ」
溜息をつき、紳士はワイングラスを傾けた。濃い葡萄色が唇へと流れ込み、あっという間に飲み干される。ソフィーは、紳士の皿の上が、チーズなどのつまみばかりなのに気が付いた。トマトは申し訳程度で、チーズは数種類ある。
「そう言われてお辞めになりますの?」
紳士は目を丸くし、それから笑い声を上げた。それは場の、上品な雰囲気を壊しかねないやや大きなものだったが、同時に何か若々しさを感じる陽気な空気も孕んでいた。眉を顰めるより、微笑みを返したくなるような魅力があった。
「一本取られてしまったな。確かに辞めないだろう。あれは私の生き甲斐でね」
それはその通りに違いなかった。紳士は、他の同年代の貴族男性に比べてかなり若々しい。肌には張りがあり、髪は白髪ながらふさふさと濃いし、何より若者と並んで貧相にも肥満にも見えない体型が、鍛えられた筋肉を示している。
とはいえその筋肉の上に、更にいうならズボンの上に、筋肉ではない肉すなわち脂肪が、肥満にならぬ程度に載っているのも確かである。高カロリーな食生活がそこから垣間見えた。現に、既に赤ワインを注がせている。まだまだ何かしらつまむつもりだろう。
「もちろん、適度な運動は大切ですわ。騎士を辞めた途端に老け込んでしまう方の話は良く聞きますものね」
「その通り。私の知人にも騎士団の団長まで勤め上げた者がいるが、退団して暫くすると一気に老けてしまった」
「まあ」
「妻には分からないのだろう。私に取って余暇に引く弓がどれ程の意味を持つかが」
乾いたような言い方は、日頃から小言を言われているであろうことが察せられた。完璧超人といわれるこの紳士でも、家庭内でまで細やかにはなりきれないのだろう。それでこそ人間だった。
しかしその人間臭さは、残念ながら家庭を壊しかねない類の人間臭さである。
「ですが閣下も、奥様や我々国民にとってどんなにか……本当にどんなにか大切な存在であるか、ご自覚が足りてらっしゃらないようにお見受けしますわ」
思い切った指摘に、紳士の片眉が吊り上がる。ソフィーは自分の心臓が嫌な音を立てるのが分かったが、笑みを崩すことなく対峙した。
「島内行事はもちろん、他島からお招きした島賓やいらした使者の方を前に、自島の宰相がいつまでも若々しく健康であるというのは、なかなかどうして誇らしいものです」
初老の紳士、すなわち宰相が、ふっと微笑んだ。
「ワインかな。それともチーズだろうか」
「そのどちらもですわ、閣下」
宰相アヴァールシーは、注がれたワインを飲み干そうと傾けたものの、結局グラスから唇を離した。
「兄君の話は聞くが、貴女もなかなか面白い。この私に説教とは」
「一身上の都合で、こういうことに関してお節介になってしまうのかもしれません。健康は財産だもの。ですが、お詫びいたしますわ」
ソフィーがおどけて言ってみせると、宰相は笑いを噛み殺した。
「結構、結構。私も一身上の都合には覚えがある……貴女と違い主に食生活に非があるが……」
長い腕を伸ばした宰相は、皿に置いたチーズの上に野菜をよそっていった。そのタイミングで、二人ともそれぞれ他の貴族に話しかけられ、宰相とソフィーはそこで別れた。




