王都中央図書館
「少しお痩せになりましたわね」
「逆より良いでしょう?」
ソフィーは追従を期待して鏡に映るジョイスを見た。しかしジョイスは曖昧に微笑んだだけで、仕立てたドレスのチェック作業にまた戻った。サイズが合わなくなった可能性━━ソフィーからすればナンセンスである━━を考慮しての作業である。ついさっき、ヒューバートに休むと言ったものの、今のところソフィーは休めていなかった。
「どうせこれから太るわよ」
「そうなれば奥様もお喜びでしょう」
手首にブレスレットを通させ、イザベラが眉を顰める。何を思っているか気付いたソフィーは
「元々そのブレスレットは大きかったじゃない。それにかこつけて痩せたなんて言わないでちょうだい」
と先手を打った。しかし、イザベラは何とも言い難い顔をして、黙ってソフィーの手首に触れ、そっと腫れ物に触れるように尺骨を撫でて目を伏せた。何も言い返して来ないのが却って不吉である。
「ドレス……直すほどひどくはないでしょう?」
ソフィーは恐る恐る尋ねた。自分で見る限りは問題ないが、客観的意見に後押しされたい気分になっていた。
「ええ、それはご安心ください」
「良かった。このドレスは気に入ってるの」
「よくお似合いですわ」
ドレスの手直しはいらないという結論に至り、ソフィーはやや厚手のワンピースに着替えた。四月とはいえ冷えるためだ。屋内で過ごすにしろ、身体を冷やさないようにと医者から口酸っぱく言われていた。
「そういえば、オブライエン公爵閣下から贈られた傘がございますが、今日使われますか?」
ジョイスの無邪気な問いで、ソフィーは自分の笑みが強張ったのが分かった。王都に来る日を誰から聞いたのか知らないが、今朝タウンハウスに届いた美しい光よけ傘は、ローズ曰く一点ものの最高級品で、道具として使うことが憚られるような、寧ろ芸術品に近い品だということだった。
重ための贈り物。それが小市民の性が抜けないソフィーの、件の傘への評価である。
「そうね……どうしようかしら」
「とても素敵でしたわ、あの傘……」
「髪が伸びましたね、お嬢様」
イザベラが何気ない風に言った。ソフィーはありがたくこの話題に乗ることにした。
「そうなの。いっそ切ってしまおうかしら? 男の子みたいな短い髪に憧れてるのよ」
「旦那様を卒倒させたいとお考えなら、かなり良い作戦かと」
豊かなブルネットを編み下ろしにしながら、イザベラが微笑する。やや癖っ毛でうねっているこの髪も、器用な手にかかれば意のままだ。ごく小さな細工のついたヘアピンを編みおろした髪にいくつか差しながら、イザベラが頷いた。
「いつもより凝っているわね」
「お出かけにならないんですか?」
ジョイスが目を丸くした。
「もしかしてお兄様は出かけてるの?」
「ご在宅ですが、お昼には出て行かれるそうです。昼食はいらないと仰ってました」
ソフィーはさっとイザベラに視線を向けた。イザベラが微かに頷きを返す。図書館に行くのに絶好の機会だ。逸するわけにはいかない。
「もちろん出かけるわ」
「流石、王都の図書館は充実してるわ」
ソフィーは王都にある中央図書館の閲覧室で感嘆の声を漏らした。イザベラがソフィーの手元の記事を覗き込む。
「メモの写しですか……?」
イザベラが驚いた声を出す。単なるメモの文の写しではなく、メモそのものの絵だったためだ。くしゃくしゃにされたような皺のあるメモに、震えるようにぶれている文字が書かれているさまが描かれている。ある意味、下手にセンセーショナルな見出しにするよりよほど目を引く絵だ。
「手が震えていたんでしょうか。“波打つ茶髪を首の後ろで結っている……二十代半ばの男……目は茶……身長は平均……と、悪魔のような……少年”……」
読みにくそうに目を凝らし、途切れ途切れにイザベラが読み上げる。貴族専用の個室で防音なので、声量は普段通りだ。
「実際はこういうメモだったんですね」
「ね。床板の隙間に隠されていたんですって。やっぱり一次情報に近い内容が載っている新聞を読まないと駄目ね」
イザベラが眉根を寄せた。
「手が震えるわけですね。きっと死を覚悟していたんでしょう」
「でしょうね。それにしても、かなり複雑に封印されていたに違いないわ。今になっても解呪されてないんだもの」
「不思議ですね。わざわざ記憶を封じるだなんて」
イザベラが首を傾げた。
「何人もの命を奪って罪が重くなるのを避けたかったんでしょうか?」
「はっきり言っても構わないわよ」
「殺して……頭を潰せば記憶は失われると思うのですが」
ソフィーは微笑んだ。イザベラは合理的だ。
確かに、目と脳どちらも破壊すれば話は早い。それがこの世界での定石だ。脳に蓄積された記憶も、目に映った最新の記憶も、潰してしまえば魔法で読み取ることができなくなって━━生体を治すことはできても死体を治すことはできないからだ━━完璧なのに、襲撃者はそうしなかった。よほど記憶の封印に自信があったのだろうか。
「襲撃者の人格に関係しているんでしょうか。伯爵を惨殺しているような人物なので、人格者だという期待は持てない気もいたしますが」
「面白い考えね。覚えておかなくちゃ」
イザベラが微苦笑する。ソフィーはノートにメモを取った。
「でもお嬢様。『悪魔の少年』の文句がこのメモを元にしたものだとはっきりしましたけれど、白髪と赤目に関しては書かれていません」
「それについては本人の証言があるわ。救世の使徒では悪魔は白い髪と血のように赤い目をしているからこう書いたと思うって」
「よく伯爵家の使用人が信者であることを明かしましたね」
疑わしそうにイザベラが目を細める。ソフィーもそれは尤もだと思った。少なくとも、次の就職に困るのは間違いない。ジェラードなら絶対に雇わないし、わざわざ名前を調べてブラックリストに書き加えるくらいのことはするだろう。
「お嬢様、気になる記事が」
暫くしてイザベラが興奮気味に新聞を引っ張ってきた。そこには驚くべきことが書かれていた。
「ここです。どうやらウォルポート伯爵夫妻は救世の使徒の信者だったそうです」
二人の少女は顔を見合わせた。救世の使徒と貴族は相容れない筈なのに、一体どういうことなのだろう。
しかしいつだって、時間は無情に過ぎるものである。間もなく夕刻になり、ソフィーとイザベラは全ての新聞を返却した。調べたいことは他にもあったが、長居して怪しまれては困る。
「誤魔化しに被服史の本でも借りようかしら」
ドレスだのジャケットだのタイだのの変化を追う重たい本を数冊借りて、ソフィーとイザベラはタウンハウスへと戻ることにした。




