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蝙蝠は蝙蝠

 翌日。看病にかかりきりだったイザベラを休ませて、ソフィーは数日後に家族が迎えに来るのを心待ちにしながら過ごした。熱はあれから上がってない。オルドリッチ伯爵邸を訪れた医者も、この分なら王都へ行って良いと太鼓判を押していた。


「王都がそれほど良い場所だとは思いませんがね」


 苦心して食べ物を詰め込むソフィーを見かねたように、ピアソンが言った。


「ここの方が平和だし綺麗ですよ。お嬢様がわざわざ行きたがる意味が分かりません」

「社交はしなくちゃ。去年は結局一日しかいられなかったんだもの」

「社交に興味をお持ちとは存じませんでした」

「鋭いわね。確かに、興味というよりは焦りよ」


 ソフィーは笑って皮肉をかわした。ピアソンが胡乱(うろん)な目をする。その目で暫くソフィーを眺めると、とうとう頬杖をついた。まるで子供のような仕草だが、妙に似合っている。ピアソンは年齢不詳なところがあった。


「それは嘘ですね」


 ソフィーも見もしないでピアソンが指摘する。


「本来が出不精でしょう。行けば注目の的になるのが目に見えているんですから、尚更行きたい筈がないんですよ。お嬢様の性格上、体調を理由に引きこもる方をお選びになる所です。それに社交するにしたってシーズン以外にもやり方はあるのに消極的じゃないですか。焦ってらっしゃるとは考えられません」


 ピアソンはじろりとソフィーを見て、にやりと笑った。貴族の女性であれば決してしない、するにしても易々とは見せない、俗っぽい表情。


「王都に行きたい理由が他におありなんじゃないですか」


 確信している言い方だった。ソフィーは今になって、ピアソンがソフィーではなくジェラードに仕えていることを思い出した。


「意外と詮索好きなのね、ピアソン」

「ご不快な思いをさせてしまったならお詫びします」

「まさか。でも、そんなに分かりやすいかと怖くはなったわね」


 ヒューバートに使った言い訳はピアソン相手でも有効だろうか。ソフィーは悩んだ。ピアソンは鋭いところがある。もし、低俗な小説に関する調査が嘘だと看破(かんぱ)されれば、却って面倒なことになるだろう。


「ご安心を。昨年、デビュタントの初日で社交シーズンを終えてしまったお嬢様のことを、疑っている者はおりません」

「でも私の目の前にいる人は、例外みたいなのよね」


 ソフィーも頬杖をついた。


「貴方がコウモリがなのかもしれないって、思うのはおかしなことかしら?」

「コウモリ? 謎かけですか?」


 ピアソンの反応で、ソフィーの胸は少しばかり痛んだ。慣れ親しんだ童話はこの世界にはないのだ。何でもないと首を横に振って笑う他なかった。


「良いわ、話すわよ。貴女の母校に遊びに行きたいと考えてるの」

「王立魔法学園に? お一人でですか?」


 ピアソンが眉を顰めた。


「ええ。クリスが案内してくれることになってるわ」

「学舎をカイン卿との逢瀬の場になさるとは、お嬢様もやりますね」

「お兄様も来ると思うわ……。貴方、クリスをそう呼ぶのね」

「学徒として平等でも、既に私は卒業生ですから」


 ピアソンが肩をすくめる。いつも通りの顔だ。だが、ソフィーは学園に行くのかと聞き返された時の、一瞬の表情を見逃していなかった。ピアソンの顔に浮かんですぐにかき消された不快感。その正体の候補は幾つか思い浮かぶ。流石に何なのか尋ねることは(はばか)られたが。


「ねえ、ずっと気になっていたのだけれど、どうしてうちに来てくれたの?」

「まさかご存知ないとは思いませんが、貴族家付きの魔法士は人気職なんですよ、お嬢様」

「そうかもしれないけど、貴方の前職は王室付き魔法士だったでしょう? もっと良い職場はあったんじゃないかと思って」


 ぱちぱちと無防備に瞬きすると、ピアソンは笑った。


「他所では、魔法士なんて小間使いに近いんです。でもここは伸び伸びと働くことができますから」

「分からないわね。私がピアソンなら王宮に留まることを選ぶわ。ここで働くなんて首席で卒業した甲斐がないもの」

「詮索好きは私だけではないようですね」


 ソフィーは微笑んで、それ以上の追及をやめた。ピアソンもまた、王都へ行きたがる理由を更に追及しようとはしなかった。何か、知られたくない理由を抱えているのだろうか。知る必要はないが、不遜なピアソンに王室付き魔法士を諦めさせた理由は、少しだけ気になった。


「午後はどうなさるんです?」


 ピアソンが何気ない風に話頭を転じた。乗っかって答える。


「頂いた物のリストを完成させるつもり」

「ああ……」


 ピアソンが顔を歪める。


「そればっかりは同情いたします。病み上がりにしたいような作業じゃないでしょう」

「まあ、面倒だけれど見返すのは面白いわよ」


 ソフィーはリゾットを掬い、口に運んだ。どろりとして温かいこの料理は、食べた後も暫く胃の中から体を温めてくれるので好きだった。


「貴方がくれたルーペも載ってるわよ。ほら、魔力検知用の」

「あんな物までですか?」


 ピアソンの眉が驚きでひゅっと上がった。賢げな額に微かな皺が刻まれる。


「いつも持ち歩いてるわ。私、魔力を感じ取る力が全然ないからとても助かってるの。触れて体調に出てからじゃ遅いもの」

「もう少し洒落た意匠にすれば良かったですね」

「あれが良いのよ。絵に描きやすかったし、尖った部分がないのも助かってるわ。ドレスに引っかけたら悪いもの」


 トマトをメインに煮込んだ野菜を、ソフィーは次々口に運んでいった。油や肉が使われていないのであっさりしていて食べやすい。そう言うとピアソンは妙な顔をするが、ソフィーは野菜や果物が好きだった。


 次にスープへと取りかかった。ソフィーはほろほろになるまで煮込まれた鶏肉を咀嚼した。肉の繊維が舌の上でほどけていく。脂身のない淡白な部位なので食べやすい。前世ではもう少し肉も食べていた筈だが、今世の体はより敏感なのか、肉や魚の臭みをすぐ見つけ出してしまう。


 ピアソンがスープに視線を向けた。


「ステーキでも召し上がっては? 精がつきますよ」

「今日はやめておくわ」

「今日も、では?」


 シニカルな笑みでピアソンが指摘する。


今日日(きょうび)、農民だって良く肉を食べますよ。お嬢様の嗜好はまるで」

「まるで?」

「まるで……痩せたくて仕方のない娘のようです」

「一応、私も社交界を控えてる身なのよ」


 ソフィーは思い出させようと言い返したが、ピアソンは肩をすくめただけで、何も言わなかった。





 数日経った、家族が迎えに来る前日の夜。


 ソフィーはクローゼットの奥のあの黴臭いトランクからスケッチブックを取り出して捲った。そこには思い出した風景や人の顔、果てはキャラクターまでが描かれていた。いわば備忘録のイラスト版である。


 厚い紙の上で、先日ソフィーが苦心して描いた家族が笑っている。それなりに写実的に描くことができたのは、かつて絵画教室に通っていた経験のおかげであり、学校の宿題で真剣に家族を描いた経験のおかげでもあった。ソフィーはその幸運に感謝していた。忘れないで済む。何より、描いた絵が変質することはない。


 恐ろしいことに、記憶というものは思い出すほどに変化するという。だが、毎年新たに思い出される記憶のおかげで改変する前に描けるのだから、発熱は周囲が心配する半分も辛くなかった。


 辛いとすれば、声を思い出しては忘れゆくことだった。思い出した声を記録することはできない。そして、どんなに忘れまいとしても、まるで砂粒のように指の間をすり抜けてゆく。懐かしい声たちを、満足に反芻することができない。


 じわりと涙で視界が揺らぎ、ソフィーは意味もなく唾を飲み込んだ。渇いてもいない喉をぬるい唾液が滑り落ちる。スケッチブックを閉じた。だが、襲いくる哀感から逃れることは、できそうになかった。

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