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巻き毛の青年との再会

 ソフィーはクリスへのカフリンクスの購入と転贈の手続きを済ませ、図書館へと直行した。


「お嬢様」


 図書館のロビーに入ってすぐ、返却された本を浮遊させて運んでいた司書がソフィーに気付いた。優しそうな丸顔に笑みが浮かぶ。ソフィーはアレルギー反応による微かな気怠さを我慢して微笑み返した。見る前で、浮遊していた本がぽちゃぽちゃとした手に積み上がる。オルドリッチ伯爵領の図書館司書はソフィーのアレルギーを知っているのだ。


「悪いのですけれど、館内の残留魔力を除去し終わったら、教えてください」


 年上でも平民相手だと敬語を使う方が妙になる自分の階級に、違和感を抱えているソフィーはできる限り丁寧に頼んだ。


「もちろんです。承知いたしました」


 司書が本を台車に載せる。気遣いから後で素手で本を戻しに行くつもりなのが分かってソフィーは慌てた。


「魔法で本を戻すところを見せてくれますか? 離れたところにいますから」

「お身体に障りませんか?」


 司書の誠実そうな顔に心配する感情が浮かんだ。ソフィーは尚更、この人の良さそうな司書に余計な仕事をさせたくないと思った。


「大丈夫ですよ。ね、イザベラ」


 イザベラが仕方なさそうに頷く。司書は躊躇(ちゅうちょ)する様子を見せたが、ソフィーはにっこり笑って押し切った。


 司書は台車を押して書架のフロアまで行くと、両手を広げた。台車に積まれた本たちがふわりと━━傷まないように閉じたままで━━浮かび上がる。司書が両手をフロアへと振ると、本たちはばらばらの方向に飛んでいった。それぞれ魔法で結び付けられている本棚へと向かったのである。


「では装置を動かして参ります」

「ええ、お願いします」


 くるりと後ろを向いた司書のエプロンの蝶々結びが歪んでいるのにソフィーは気が付いた。後で教えようと忍び笑いする。早めの昼休みから戻ったばかりなのだろう。


 司書を見送り、イザベラがちらっとソフィーを見た。鮮やかな緑の目に見られると、主人の方が何故か背筋が伸びる。


「それで、体調はよろしいんでしょうね?」

「良くってよ。……本当に問題ないわ」


 実は少しばかり気怠さが増していたが、敢えて言う必要もない。ソフィーは敷き詰められているカーペットの上で足を少し踏ん張った。


「何故そうも気を使われるんですか。私を先に行かせればよろしいのに」

「気なんか使ってないわよ。たまには私だって魔法が見たいの」


 ソフィーは残留魔力の中でも平気そうに本を選ぶ領民たちを眺めた。羨ましいとは思うが、図書館が教育施設として機能しているのは純粋に嬉しい。眺めている内、段々と身体が楽になるのを感じた。


 暫くして司書が早足で残留魔力を除去し終えたことを伝えに来た。ソフィーは礼を伝えると共に司書の乱れているエプロンの紐を直し、イザベラと共に書架のフロアに足を踏み入れた。


 ひと通り本を物色し、ソフィーが閲覧室で自宅に持ち帰る本を選定している時のことだった。


 ノックの音にはっと顔を上げると、閲覧室のドアの外にブルネットの巻き毛の青年がいた。雨の中、オルドリッチ伯爵父子を助けてくれたあの青年である。


「フロレンス嬢」


 小声ながらも歯切れの良い呼び声だった。


「ソアレン伯爵……」

「ああ、立って下さらなくて大丈夫ですよ。どうかそのままで……少しお邪魔しても?」

「ええ、どうぞ」


 閲覧室に足を踏み入れたソアレン伯爵は、さっと室内を見て少し表情を強張らせた。


「メイドは今、本を戻しに行ってくれているんです。ドアは空気の入れ替えのために開けておりましたの」

「ああ、なるほど」


 表情を緩めて頷くと、ソアレン伯爵はソフィーの周囲に積まれた本を見て笑った。令嬢が読書に励むことを(そし)る旧時代の反応が来るのではないかと、ソフィーは内心で身構えた。そんな風に失望したくないと思った。


「意外ですね。宗教史にご興味が?」

「ええ、まあ」

「しかしこの本は少し古いのでは?」


 ソアレン伯爵が積まれた宗教史の本を手に取ってページを捲っていく。そして、最後の章の辺りに目を通しては首を振って積み直していった。ソフィーはそのさまを見つめた。特にその目を。


 二重幅が際立って広いので、眠たげに見える瞬間すらある目元。俯いて伏目がちに本を読んでいるので、長い睫毛が目にかかって見える。象嵌(ぞうがん)されている三白眼も相まって、微笑んでいてもどこか冷ややかな印象だ。もし触れれば、冷たく突き放されるのはありありと想像できた。それなのに何故か、冷たい眼差しに惹きつけられる。ソアレン伯爵は、これまでソフィーの周囲にいなかったタイプの人間だ。


「各島の島教は押さえていますが、現代に近付くほど詰めが甘いですね。分派を追いきれていないようだ」


 淡々とソアレン伯爵が言う。ほとんど呟くような低い声。


「ええ……出版年も古いものですから」


 唇を動かすことでソフィーは興味を抑え込もうとした。宗教史の本に視線を落とす。内容は、まるで入って来ない。ソアレン伯爵の鼻が、鼻先が尖っていて、しかも鷲鼻(わしばな)気味らしいという新たな気付きの方が、本より遥かに興味深かった。


「王都にある図書館なら、もう少し蔵書に見込みがあるでしょうね」


 何気なくソアレン伯爵が言う。ソフィーは羞恥でようやく自分を取り戻した。


「調べに行けると良いのですけれど」


 領を統べる伯爵の令嬢として、羞恥を隠そうとソフィーは苦笑した。オルドリッチ伯爵領で最大の、しかもオルドリッチの名を冠する図書館の蔵書へのソアレン伯爵の評価。それは選書が不十分だということを意味していた。そんなことはソフィーも理解していたが、指摘されると辛いものがあった。


 ソアレン伯爵が本から顔を上げた。ソフィーを見て、読書のために真顔だった表情をふと緩めた。


「じきに社交シーズンで王都にいらっしゃるのでは? 昨年はお見かけしませんでしたが、今年のことはまだ分からないでしょう」

「そうですわね」


 返答に窮して同意を示す。詳細な理由を話すほど親しくない相手とはいえ、ソフィーの中には誤魔化したくないという感情があった。元来が嘘をつくのが好きではない。そのためだと思ってみて、そう思うこと自体が言い訳めいて感じた。


 ソアレン伯爵が眉根を寄せる。


「申し訳ない。事情も知らずに差し出がましいことを」

「いえ、とんでもございません。仰る通りですもの」


 微笑んで首を横に振ってみせる。ソアレン伯爵の茶色の目が、ソフィーをじっと見つめた。


「先日お会いした時も、一体何故ご令嬢が社交界においでにならなかったのか不思議だったんです。聞いていた話より、貴女はずっと元気そうに見えましたから」

「あら。私は病弱で知られているのですか?」

「貴女のご家族もご友人も、貴女について吹聴することはなさらないので……長い療養から来る噂なのでしょう」

「そうですわね。今の私はご覧の通り健康ですもの」


 冗談めかすつもりが思いがけず恨み節の様に響く。失敗したとソフィーは悔やんだ。謝意と反省から苦い笑みが浮かぶ。


「今年は参加できると良いのですが」

「季節の変わり目は私も体調を崩すことがあります。特に今年は雨が多く気温の変化が激しいので、影響を受けやすいのでしょう」


 ソアレン伯爵が同情したように言った。それから躊躇(ためら)うように聞いた。


「今年もご家族に反対されそうなんですか?」

「皆、心配性なものですから」


 ふむ、とソアレン伯爵が長い腕を組む。


「では今年も王都へはいらっしゃらないのですか?」


 反射で頷きそうになる。それほど、ソフィーにとっては毎年の体調不良が当たり前だった。長い自宅療養まで含めて。


「体調次第ですわね……」


 濁した答えにソアレン伯爵が微笑んだ。


「なら、また王都でお会いできる可能性は十分ありますね」


 楽観的だ。そうは思うのに、ソアレン伯爵が穏やかな声の出し方をするためか、すっと言葉が入ってくる感じがして、ソフィーは不思議だった。そうですわね、と返した声が素直に響く。ジェラードのために燻っていた感情が、思いがけず少し和らぐ様だった。


「それにしても、此処で閣下とお会いできるとは驚きましたわ」

「少し調べ物をしたくて来たのです。領地の図書館は粗方(あらかた)見てしまいましたから……。それに、いつもと違う環境で沢山の背表紙を見ると、考えが深まると思いませんか?」

「良く分かりますわ」


 自宅に引きこもっているせいか、同意が予想以上に重々しく響く。ソフィーは何でもないふりをして言葉を続けた。


「良い刺激になる気がいたしますもの……ですが、ここは蔵書が古いのにお役に立てましたか?」

「まさに古い貴重な資料を探しに来たのです」


 微笑みを浮かべた拍子に、ソアレン伯爵の涙袋がぐっと際立って見えた。やや下がり気味の口角が僅かに上がる。


「しかし、古過ぎるものなのでなかなか……探し物は得意な方なのですが」


 ソアレン伯爵が付け足した。ソフィーは手伝いを申し出ようとして、すんでのところでやめた。答えにくい事柄の可能性がある。自ら足を運んで調べるなんて、ソフィーが言えたことではないが、妙だ。司書に聞けば、と言いかけて、そんなことは既に試しているか、敢えて避けているかのどちらかだと思い至る。そう考えると尚更、単なる好奇心で煩わせたくはない。


 体調を気遣う言葉を残して、ソアレン伯爵が立ち去る。ソフィーは手を伸ばし、そっと宗教史の本に触れてみた。指摘された通りの理由で、書架に戻すつもりだった。それがどういうわけか躊躇われる。後ろ髪引かれる思いがしていた。


「お嬢様、お待たせいたしました」


 司書に本を返しに行っていたイザベラが戻った。ソフィーは慌てて本から手を引いた。


「ありがとう。重かったでしょう?」

「いいえ。台車を借りておりますし……こちらの本は返してきてよろしいですか?」


 ソフィーが積んでおいた返却用の本を見て、イザベラが確認する。


「ええ」


 頷いてから、一瞬迷って付け足した。


「それで最後よ。ありがとう、イザベラ」

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