幼馴染の王子様
翌朝、オルドリッチ伯爵家の邸にソフィー宛の花が届いた。オブライエン公爵からだった。
「花瓶までくださるなんて」
ソフィーの部屋に飾られた花を見て、イザベラが言った。突き放すような響きがあったが、ソフィーは責める気になれなかった。
飾る場所を選ばない、透明な硝子製のその花瓶の表面には、驚くほど精緻な飾り細工が施されていた。買い付けたのか職人に作らせたのかは定かでないが、かなり値が張ったろう。しかし、繊細な意匠が施されているものの、遠目に見ると、どんな花でも受け入れそうに洗練されて見える。素晴らしい逸品だ。
「何をお返ししたら良いのかしら」
「私には検討もつきませんが、これだけは分かります。これが枯れる頃、次のお花が届く筈ですわ」
活けられた花を緑の目でじっと見て、イザベラが鼻を鳴らした。どうやらイザベラは、公爵の贈り物がお気に召さなかったらしい。
ソフィーは何の罪もない花を見つめた。綺麗な花だ。一つ一つの花はそれほど大きくはないが、代わりにスプレーのように広がって咲いているのが華やかだ。野趣に富んだあの庭にも咲いていた気がする。花びらの色もソフィーの好みだ。清廉でどこか儚い淡い青色。
その、黄みを一切含まない、少し冷ややかで冴えた色合いが、そういえば昨日着ていたドレスに似ていたのに気が付き、ソフィーの頬は微かに赤らんだ。
その日の午後、ソフィーはヒューバートにつれられてダーレントンを訪れた。
「ソフィー。久しぶりだね。ヒューには少し前にも会ったけれど」
迎えてくれたのはダーレントン伯爵の息子、カイン子爵クリスティアンである。ソフィーとヒューバートのハンサムな幼馴染だ。砂色の髪と薄い水色の目が、まるで物語の中の王子様のようであることに加え、王立魔法学園で首席であることや、何より本人の紳士的な性格が令嬢たちから絶大な人気を誇っている。
「久しぶりね、クリス。何だかまた背が高くなったみたい」
「どうかな。君が小さくなったのかもしれないよ」
「貴方は目が悪くなったみたいね」
「だから君が綺麗に見えるのか。道理で」
ソフィーの頬は知らず知らずの内に緩んでいた。対するクリスもまた笑顔である。互いに変わらないことに安堵しているのが分かった。
「珍しいねソフィー。君は誰よりも部屋が好きなひとなのに」
「どんなに美味しい物でも毎日じゃ飽きるでしょう」
「昨日は珍味だったんじゃないのかい」
「クリス」
嗜める声音を出したつもりが強く響く。ソフィーは咄嗟に、しまったと思ったが、クリスの笑顔が強張ることはなかった。
「悪かったよ。取り敢えずお茶にしようよ。喉が渇いてるだろ?」
「ええ、お願い」
水色の目がちらりとオルドリッチ伯爵家の兄妹を見たが、何か言及するでもなくクリスは歩き出した。
お茶の話題は、現在クリスが所属している王立魔法学園に終始した。今日は授業がないので領にいるだけで、明日にはまた王都に戻るという。
ソフィーやヒューバートとは違い、クリスは莫大な魔力を有している。その上、勤勉であり、生来の器用さも手伝ってか常に首席だった。
「初歩の攻撃魔法はごく単純なんだよ。生活魔法より簡単だ。威力だって、一撃にどれだけ魔力を込めるかってくらい。でも狙いをつけるのが難しい」
「未だに戦争では遠距離戦に使われないよな。先の大戦の記録でも、魔法使いどころか魔法士さえも、専ら前線に立たされている」
クリスが頷いた。
「後方支援に使われないわけが良く分かるよ。不器用な奴だと本当に始末に負えない。変に反ってる矢を放つようなものなんだ。味方を攻撃しかねない」
「狙い通りに飛ぶものじゃないのね。怪我人は出ないの?」
「出るよ。他人の魔法なんて、何処に飛ぶか分からないから避けきれない。昨日は一人、薬草畑を台無しにしてしまった。最悪だよ」
「随分怒ってるわね。珍しいじゃない、クリス」
「あちこちに自生する薬草を一箇所で栽培するのは骨が折れるんだよ。研究でなく授業に使うものだったけど、補填するには金がかかるし単純に勿体ない」
思い出してまた苛立ったのか、クリスはむっつりと顔を顰めたが、すぐに笑顔になった。
「まあ、魔法で成長促進させられる薬草だったから良いかな。質は落ちるけど」
「使えない薬草もあるの?」
「もちろん。ソフィーのところの森にも、希少な薬草の群生地があるよね……」
ヒューバートが咳払いした。クリスが肩をすくめる。オルドリッチの森の話題は、ソフィーの前ではご法度なのだ。
「あれもそうだよ。……今更だけど、こんな話聞いてて楽しい?」
「楽しいわ。新鮮だもの」
じっとソフィーを見ると、クリスは少し笑った。
「いつか学園を案内するよ」
「ソフィー」
ヒューバートが止めようとするのを無視して、ソフィーは身を乗り出して聞き返した。
「本当?」
「本当。予防措置は任せて。ただし、君は深窓の令嬢と思われてるから、淑やかに頼むよ。友人たちの夢を壊すようなことはしたくないんだ」
「嫌だ、いつだって淑やかよ。ねえ、約束よ、クリス」
クリスはにこっとして頷いた。
魔法学園を見学できる。そう思うとソフィーの胸は躍った。どんな所なのだろうか。折角、魔法のある世界だというのに、オルドリッチ伯爵家が魔力と縁遠いので生活の中での魔法くらいしか見られていない。もっと面白い魔法を見てみたかった。
「そうだ。久しぶりに遠乗りでもしない?」
クリスが思い付いたように誘った。
「久しぶり過ぎてお忘れのようだけど、私、乗馬はしないのよ」
「僕と乗れば良いよ」
ソフィーはちらりと兄を見た。仕方なさそうな頷きが返ってくる。込められた感情は何にせよ、肯定には違いない。
「じゃあお願いするわ」
差し出されたクリスの手を取って、ソフィーは遠乗りへと繰り出した。
「ヒューは相変わらずだね」
小高い丘で草地に寝そべり、クリスが言った。その後ろで二人を乗せてきた鹿毛の馬が草を食んでいる。ソフィーは近くに虫がいないか気になって、ちらっと周囲を確認した。
「君をお姫様扱いしてる」
そんなことはない、と否定するであろうヒューバートはこの場にいなかった。馬がまるでいうことを聞かないので、手懐けようと試行錯誤している内に何処かへはぐれてしまっていた。
「私が甘えてるせいよ」
「ソフィーを責めているつもりはないよ。君には守られるだけの理由がある」
「理由?」
「毎年、誕生日に熱を出して寝込むじゃないか。ヒューまでその度にちょっと痩せるし。社交シーズンだってのに」
ソフィーは苦笑いした。
クリスの言う通り、ソフィーは十一歳の誕生日以来毎年、判を押したように同じ日に発熱する。それ以外にも、何かをきっかけに記憶が蘇ると、微熱や頭痛で少々体調を崩したりふらついたりすることがある。だがソフィーにだけは、脳がショックに耐えかねての症状だと分かっていた。
それが証拠に、一週間熱に苦しむと、また新たに記憶を思い出せるようになるのだ。少しずつではあるが。
「一週間もすれば熱は引くわ。病弱なわけじゃないわよ」
「今年も、また寝込むんだろ。あと数日だ」
「今年は、そうはならないかもしれないじゃない」
何か言いたげなクリスの目を、ソフィーは黙って受け止めた。ややあって広い肩がすくめられる。諦めたのだ。沈黙が訪れる。
「ねえ、クリス。その……婚約の件なのだけれど」
「ごめん、は聞きたくないな」
はっと言葉を失う。ソフィーはそれ以外の言葉を用意していなかったことに気が付いた。クリスが微笑む。
「でもあんなことをお兄様から頼まれて、傷付いたでしょう」
クリスが肩をすくめる。
「嫌なら断ったさ。でもソフィーとなら良いよ」
「貴方まで私を甘やかさないで」
そよ風が、若い二人の髪を揺らした。クリスの砂色の髪に光が当たって美しい。美しさを前にソフィーは一瞬、謝意を忘れた。クリスが焼けることに無頓着なのは気がかりだが、光よけ傘に入るよう誘うのも勿体なく思われるほどだ。王子様の様だといわれる訳だと、納得せざるを得ない。
王子様が口を開く。
「オブライエン公爵閣下はどんな人だったの?」
一言では答えられない質問だった。
「分からないわ」
「気に入ってるんだ」
「炯眼ね」
「気に入らなきゃ、ソフィーは愚痴るよ」
「まあそれもそうね」
オブライエン公爵閣下のことを思い出すと、ソフィーの胸は掻き乱される。類稀な美貌と哀切な言葉とが作用し合って、想起するごとに悲劇性が美しく演出されているのは自覚していた。
悪癖だ。ソフィーは小さく呻いた。悲劇に美しさを見出して愉しむとは。
「不思議だな。もう少し、感情に身を任せたら良いのに。それが許されるんだから」
「お兄様は良く私をお転婆と言うわ」
「突飛なことをするのは事実だけど、君の外出頻度でお転婆はいささか厳しいような気がするな。何より君は人間関係には臆病だ。老人より腰が重い」
「私だって踏み込むことくらいあるわよ。相手を選んでるだけ」
「知っているよ」
静かで確信に満ちた声だった。穏やかなクリスを前に、ソフィーは溜め息をついた。
「閣下は……何というか、まだ雛鳥でいらっしゃるのよ。でもいつかは成鳥になられるじゃない?」
「つまり?」
「広い世界が見えたら価値観も大きく変わるわ。私で手を打つなんて勿体ないような方なのよ」
クリスは一瞬険しい顔をしたが、それも瞬きの一瞬で消えた。
「誰に吹き込まれたか知らないけど、親鳥のつもりなら考えを改めた方が良い。たとえば厳しい寄宿学校出身の男に、君の知り合いはいないだろ。想像よりずっと初心な者もいるんだ」
クリスが少し厳しい声を出し、それから慰めるように笑った。
「君が何と言おうと、公爵閣下はその気らしいじゃないか。君の態度が影響しそうだし、その目で見極めたら?」
「そんな余裕はないわ。貴方と閣下を天秤にかけることになるのよ……貴方の今後にどれだけ影響するか分かっているの?」
「問題ないよ」
泰然とした面持ちでクリスが言った。あまりにのんびりした言い方で、ソフィーの神経が逆撫でされる。だが、怒る資格を持たない自覚があるので黙る他なかった。クリスを巻き込んでいるのはこちらだ。代わりに苛立ちが皺となって眉間に刻まれ、それを見たクリスが噴き出す。
「ごめんごめん。種明かししよう。実は王室付き魔法士の打診を受けて、承諾したんだ」
「まあ……」
驚いたソフィーはまじまじと幼馴染の顔を見た。にわかには信じ難いことだ。
王室付き魔法士はかなりの狭き門で、基本的に七名で構成されている。つまり七つしかない枠を魔法士達が常に争っているわけである。そうさせるだけのことはあり、魔法士の中でも花形で年俸もかなりのもの。研究にも潤沢な予算が割り当てられる、島の全魔法士憧れの職だ。ピアソンの前職でもある。
「すごいわ、クリス……。もうダーレントン伯爵には話したの?」
「父に? まさか。あの人はまだ、僕を後継者に推してるからね。ぎりぎりまで黙っておくさ」
「他に誰が知ってるの?」
「ヒュー」
明快なこの答えに、ソフィーは慄然とした。ヒューバートがクリスを婚約者に推したわけが判然とする。
王室付き魔法士は独立した地位を有しているのだ。王族に応えることを求められる彼らは、貴族同士の権力闘争から一段上の所にいる。即ち、王室付き魔法士自身はもちろんのこと実家への圧力さえも、王室への反逆と見做されるのだ。結婚で両家を結ぶという義務からは解放されることになる。内定しているクリスは既に、守護の対象となっている筈だ。
家門に関係なく、オブライエン公爵をも退けられる。
「ヒューは本当に頭が良いよね」
「でも、そんな……」
「そんな顔されるなんて心外だな。僕が君を落ち込ませるために話したと思う?」
「もし、私が閣下と結婚しないとなったら、貴方は私と結婚することになりかねないわ。せっかく王室付き魔法士の話を受けたのに、権利が無駄になってしまう」
「引きこもっていて記憶力まで落ちたのかい? 僕の気持ちはさっき伝えた筈なんだけれど」
言いながらすっくと立ち上がると、クリスは馬上に跨った。そうして笑って手を差し出してくる。その手を取ってソフィーも馬上に跨る。
「お兄様が怒るわよ」
「あんまり遅くて退屈だったんだと言うさ。それよりソフィーは久しぶりの娑婆を楽しみなよ。どうせ看守殿に遠慮して暮らしてるんだろ」
「私が外出すると知ると付いてくるんだもの」
ソフィーは肩をすくめた。
「私は窮屈だしお兄様は仕事ができないしで、かと言って黙って出かけると小言を言うのよ。お父様の許可は得ていてもよ」
「でもその文句も、僕にしか言わないんだろ。もう少し我が儘になりなよ」
返す言葉は出てこなかった。沈黙は肯定の証である。ソフィーはクリスに全てを預けて、ダーレントンの森の中へ入った。




