第9話 社会では使えない
翌日の午後、王立魔術院から呼び出しが来た。
今度は保管庫ではない。
二階の研究棟。
窓の広い部屋に入った瞬間、ユリウスは足を止めた。
綺麗すぎる。
机の上には紙束が寸分違わず揃えられ、術具は大きさ順に並んでいる。壁の棚には定式魔法の記録本が背表紙を同じ高さにして収まり、埃らしい埃が見当たらない。
唯一、窓際の机の端にだけ菓子の包み紙が三枚重なっていた。
「そこ、見ないでくれるかな」
声の主は若い男だった。
二十代後半。
淡い金褐色の髪を後ろへ流し、研究院の白い上衣を着ている。襟には三本線の銀章。
リシェルが姿勢を正した。
「レオル主任」
男が片手を上げる。
「今日は肩書きは要らないよ。彼が構える」
「もう構えてます」
ユリウスが言う。
男は少し笑った。
「レオル・クローディア。定式開発局で新しい術式の評価をしている」
定式開発局。
新しく考案された魔法を試験し、安全性や出力を揃え、誰でも同じ手順で使える《定式》へ落とし込む部署だ。魔術院の中でも、研究を街や工房で使える形へ変える場所に近い。
「君の記録を読んだ」
レオルが机を指す。
そこにはリシェルの字が並んでいた。
《熱渡し》
《滑奪》
ユリウスがリシェルを見る。
「全部渡したんですか」
「報告義務があります」
「これ、俺の失敗まで」
「失敗ほど重要です」
「転倒二名って書いてある」
「事実です」
レオルが紙を持ち上げた。
「君たち、仲がいいね」
「違います」
今度も声が重なった。
レオルは笑った。
「なるほど」
何がなるほどなのか分からない。
セラは壁際の椅子に座り、最初から興味がなさそうに足を組んでいる。
ガロは来ていない。
「それで」
ユリウスは机の前に立った。
「何の話です?」
レオルが一枚の図面を出す。
そこには、ユリウスの材料配置が写されていた。
窯石。
井戸鎖。
金具。
「面白い」
最初の言葉は、それだった。
馬鹿にする響きではない。
むしろ目が少しだけ明るくなっている。
「現象としては非常に面白い。熱源を作らず、対象間で熱だけを移す。もし制御できれば冷却、保存、暖房、鍛冶まで応用できる」
ユリウスは少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ」
「ただし、今のままでは社会では使えない」
続いた言葉は早かった。
セラが片目を開ける。
リシェルは黙った。
ユリウスだけが聞き返す。
「どうしてです?」
レオルは図面の横へ三つの材料名を書く。
古いパン窯石。
井戸鎖。
冷蔵倉庫金具。
「この三つと同じ物を百組揃えられる?」
「同じ種類なら」
「同じ種類では駄目なんだろう?」
言葉が止まった。
レオルが続ける。
「何年使った窯か。どの位置の石か。鎖のどこを切ったか。井戸の深さは。荷重は。金具は何年間、どちら向きで温度差を受けたか。君自身、まだ条件を把握していない」
「だから調べます」
「もちろん。それはやるべきだ」
否定されなかった。
その方が少しやりづらい。
「でも社会が必要としている魔法は、一人の職人だけが成功させられるものじゃない。北区の治療院でも南の鉱山でも、同じ道具と同じ手順で同じ結果が出なければならない」
レオルは窓の外を見る。
中庭では、若い研究員が荷車を押している。
その荷台には規格化された術具が何十個も積まれていた。
「定式魔法の価値は、天才じゃなくても使えることだ」
ユリウスは机に置かれた自分の記録を見る。
数日前まで名前もなかった。
今は二つある。
けれど同じ結果を毎回出せるかと聞かれれば、首を縦には振れない。
「面白いだけじゃ駄目ってことですか」
レオルは少し考えてから答えた。
「社会へ渡すならね」
その言葉だけが、妙に残った。
*
レオルは《熱渡し》を再現しようとした。
ただし古材は使わない。
ユリウスの観察記録から「熱を移す」という現象だけを抜き出し、既存の定式術式へ組み込む。
机の上に小さな金属箱を二つ置く。
片方には温水。
もう片方には冷水。
その間を細い術式線で繋ぐ。
「何をするんです?」
ユリウスが聞く。
「君の魔法を、定式側から作ってみる」
「できるんですか」
「今から確かめる」
少量の魔力が流れる。
術式線が青く光った。
温水の箱から、冷水側へ熱が移る。
完全ではない。
速度も遅い。
それでも確かに温度差は縮んでいく。
ユリウスは息を止めた。
自分が何日も材料を拾い、失敗し、白い粉を作った現象。
それに近いことを、レオルは半日もかけずに術式へした。
胸の奥へ硬い物が落ちた。
「できた」
セラが言う。
レオルは首を横へ振った。
「似た結果だよ。仕組みが同じとは限らない」
リシェルが箱へ測定術具を当てる。
「魔力消費が大きいです」
「分かってる。実用品には遠い」
レオルは図面へ書き込み始める。
嬉しそうだった。
その顔を見て、ユリウスは少しだけ自分が嫌になった。
先を越されたように感じた。
なのに、レオルがしていることは盗むことではない。
説明できる形へ変えようとしている。
それはたぶん、必要なことでもある。
「ユリウス」
セラの声で顔を上げる。
「顔に出てるぞ」
「何が」
「負けたみたいな顔」
「してません」
「してる」
レオルまでこちらを見る。
ユリウスは目を逸らした。
「俺の方が最初です」
口から出た。
沈黙。
リシェルが目を瞬く。
セラが笑い始める。
レオルも少し遅れて笑った。
「そこは大事なんだ?」
「大事です」
思ったより大事だった。
自分でも初めて知った。
*
帰り際、レオルが呼び止めた。
「ユリウス」
振り返る。
「君のやり方は面白い」
同じ言葉。
今度は続きが違った。
「だから、やめない方がいい」
ユリウスは黙って聞く。
「僕は現象を定式へ寄せられる。でも君は、僕らが知らない現象そのものを拾っている可能性がある」
窓から夕方の光が差している。
机の上の銀器具が細く光った。
「ただ」
レオルが言う。
「見つけたものを君一人しか使えないなら、いつか限界が来る」
責める声ではない。
むしろ忠告に近い。
「発見する人間と、広げる人間は同じじゃなくてもいい」
ユリウスは返事をしなかった。
廊下へ出てからも、その言葉が頭に残った。
セラが横を歩く。
「気に入らないか」
「何がです?」
「レオル」
「別に」
「また顔に出てるぞ」
「そんなに出ます?」
「古材見つけた時なんかもっと酷い」
後ろからリシェルが言った。
「同意します」
「二人とも俺を何だと思ってるんです」
「分かりやすい回収人」
セラが即答した。
否定しづらかった。




