第10話 拾いに行く
止められたのは、その三日後だった。
旧搬送庫の扉に赤い封印札が貼られていた。
朝の空は高く晴れていたのに、倉庫前だけが妙に寒く感じた。乾いた風が封印札の端を鳴らし、閉ざされた扉の隙間から古い木と油の匂いがわずかに漏れている。
「使用停止?」
ユリウスが札を読む。
横にいたリシェルは、驚かなかった。
そのことに気づき、ユリウスは彼女を見る。
「知ってました?」
「昨日、通知が来ました」
「言ってください」
「今日説明するつもりでした」
「扉の前で?」
「逃げないでしょう」
「何からです」
返事の代わりに、リシェルが一枚の書類を渡した。
王立魔術院と市街管理局の連名。
未認定魔法現象の市街地使用。
実験施設外での発動。
魔獣事故時における未知現象の使用。
文字が並んでいる。
どれも身に覚えがあった。
「処罰ですか」
「厳密には是正命令です。実験を禁止されたわけではありません。管理された施設で行うように、と」
「古橋は」
「駄目です」
「水車小屋」
「申請してください」
「森は」
「誰の土地かによります」
ユリウスは紙から顔を上げた。
「それじゃ調べられない」
「だから問題なんです」
リシェルの声も少し硬かった。
彼女が命令したわけではない。
分かっている。
ただ、胸の中の引っ掛かりは別だった。
材料は、棚の上で同じ時間を過ごした物ではない。
橋だった。
井戸だった。
窯だった。
水車だった。
どこにあったか。
何を繰り返したか。
そこを見なければ、持ち帰った欠片だけでは分からない。
「事故現場の残材も」
背後から別の声がした。
ハルドだった。
左腕を吊り、歩く速度はまだ遅い。
治療院を退院したばかりだというのに、いつもの作業着を着ている。
「今後は勝手に持ち帰るな」
ユリウスは口を閉じた。
ハルドが書類を一枚出す。
回収班の内部規則。
事故物の私的持ち出し禁止。
当然といえば当然だった。
今までは廃棄予定の物を班長判断で黙認されていた。
しかしユリウスがそれを使って未知の魔法を起こし、しかも街中で実戦使用までした。
事故が起きれば、ハルド一人の責任では済まない。
「すみません」
「謝るな」
「でも」
「俺が許可してた」
ハルドは閉じた倉庫を見る。
「ここまでになるとは思ってなかったがな」
風が吹いた。
赤い封印札がまた鳴る。
ユリウスは鞄へ手を置いた。
中はいつもより軽い。
回収所から持ち出せなくなったせいだ。
数日前までなら、軽い方が楽だったはずなのに。
妙に頼りなかった。
*
昼。
回収所の裏で、ハルドと二人になった。
荷車の車輪を直す音が遠くから聞こえ、干された作業布が風にはためいている。魔導油と木屑の匂いは、ユリウスにとって長く嗅ぎすぎて意識もしなくなった匂いだった。
ハルドが木箱へ腰を下ろす。
「で、どうする」
「何がです」
「その顔で仕事続けるつもりか?」
ユリウスは答えなかった。
朝から一つも分別が進んでいない。
手にした金具を見るたび、どこで使われたのか考えてしまう。
焼けた板を見れば、何度熱を受けたか気になる。
壊れた鎖を見れば、どちら向きに引かれていたか確かめたくなる。
回収仕事が嫌になったわけではない。
むしろ逆だった。
ここで何年も壊れた物を見てきたから、気づけた。
それだけに、今まで通り「鉄」「木」「廃棄」で分けることができなくなっている。
「班長」
「ん」
「俺、少し外を見たいです」
ハルドは驚かなかった。
「少しか」
「たぶん」
「お前の『少し』は信用ならんな」
「自覚あります」
ハルドが鼻で笑う。
ユリウスは手の中の金具を見る。
「街の中だけじゃ足りない気がするんです」
古橋。
谷風。
ガロの言葉。
同じ一本の縄でも、場所によって反応が違った。
「もっと長く使われてる物とか、ずっと同じ土地にある物とか。そういうのを見たい」
「魔法が止まった理由も?」
「それも」
むしろ、そちらを忘れたことはない。
ハルドの背へ鉄骨が落ちた瞬間。
青い光が消えた瞬間。
自分の不格好な魔法だけが動いたこと。
全部がどこかで繋がっている気がする。
証拠はない。
だから、探す。
ハルドが立ち上がった。
「辞めるか?」
言葉にされると、思ったより重かった。
ユリウスは回収所を見る。
何度も怒鳴られた。
雨の日も、真夏も、事故の翌朝も来た。
初めて魔導管の破裂痕を見分けた場所。
壊れた物を見る癖がついた場所。
捨てられる物を持ち帰り始めた場所。
「はい」
喉の奥が少し乾いた。
「辞めます」
ハルドはしばらく何も言わなかった。
それから右手を出す。
握手かと思ってユリウスも手を出す。
掌へ何かが落ちた。
小さな金属片だった。
「何です?」
「昔使ってた回収鉤の先」
黒く擦れ、片側だけ丸く減っている。
「二十年近く、瓦礫引っ掛けてた」
ユリウスが顔を上げる。
ハルドはもう背を向けていた。
「持ってけ」
「いいんですか」
「廃棄済みだ」
「でも」
「いらんなら返せ」
ユリウスは握った。
「いります」
「だろうな」
ハルドが歩いていく。
数歩先で止まり、こちらを見ずに言った。
「分かったら戻って教えろ」
「何がです」
「魔法が何でできてるのか」
背中だけが見える。
「俺も気になる」
ユリウスは返事をするまで少し時間がかかった。
「はい」
それだけで十分だった。
*
夕方、王都西門前。
四人いた。
ユリウス。
セラ。
リシェル。
そしてガロ。
「なぜこうなったんだろう」
ユリウスが呟く。
セラが背負い袋を締めながら答える。
「お前が外へ行くって言ったからだろ」
「セラまで来るとは」
「護衛が必要だ」
「仕事は?」
「今からこれが仕事だ」
「誰が雇うんです?」
セラがユリウスを見る。
嫌な予感がした。
「ちょっと待ってください」
「安くしとく」
「お金取るんですか」
「当然だろ」
リシェルが横で書類を確認している。
「私は王立魔術院の臨時外地調査員として同行します」
「許可出たんですか」
「三十日間だけ」
「よく通りましたね」
「レオル主任が推薦書を書いてくれました」
少し意外だった。
社会では使えないと言った男が、調査そのものは止めなかった。
リシェルが付け加える。
「ただし毎週報告書を送る条件です」
「誰が書くんです?」
「あなたもです」
聞かなかったことにした。
最後にガロを見る。
「ガロは?」
「帰る」
「どこへ」
「ヴェルディア」
三人の動きが止まった。
大森林ヴェルディア。
王都から西へ向かい、山地を越えた先に広がる巨大な森林圏。獣人や森の民が暮らし、人の手がほとんど入っていない場所も多い。
ガロの故郷だという。
「森には古い物が多い」
ガロが言う。
「お前らが探してるような物も」
ユリウスの口が開く。
セラが先に肩を掴んだ。
「落ち着け」
「まだ何も」
「顔がもう拾ってる」
リシェルが頷く。
「同意します」
ガロは四人分の荷物を見回した。
ユリウスの鞄だけが不自然に膨らんでいる。
「多すぎる」
「必要な物です」
「捨てろ」
「嫌です」
「歩けなくなる」
「歩けます」
ガロが無言でユリウスの鞄を持ち上げた。
片手で重さを確かめる。
そのまま地面へ置いた。
「三日で後悔する」
「しません」
「二日」
「しません」
セラが横から口を挟む。
「一日に賭ける」
「何の賭けですか」
リシェルまで鞄を見ている。
「私は夕方までと予想します」
「仲間ですよね?」
誰も答えなかった。
西門が開く。
厚い城門の向こうには、夕日に照らされた街道が伸びていた。
その先に森がある。
谷がある。
川がある。
知らない町。
使い続けられた道具。
誰にも拾われずに残った物。
そして、まだ誰も作り方を知らない魔法。
ユリウスは一度だけ振り返った。
王都の屋根が重なっている。
その間に魔法灯が一つずつ灯り始めた。
毎日使われている光。
誰も止まるとは思っていない魔法。
あの日、ほんの一瞬だけ消えた光を思い出す。
答えはまだ何もない。
鞄の中には、パン窯石の残りと井戸鎖、古い橋縄、ハルドの回収鉤。それから使い道の分からない物がいくつも入っている。
多分、ほとんどは外れだ。
それでも構わなかった。
ユリウスは前を向く。
三人がもう歩き始めていた。
「遅いぞ」
セラが呼ぶ。
「荷物減らせば速くなりますよ」
リシェルまで言う。
ガロは何も言わず、街道脇で何かを拾った。
ユリウスが追いつきながら覗く。
「それ何です?」
「鳥の骨」
セラが空を仰いだ。
「頼むから二人で増やすな」
暮れかけた街道へ、四人の影が長く伸びる。
揃ってはいない。
歩幅も違う。
向いている場所さえ、まだ少しずつ違っていた。
それでも四つの影は、同じ門の外へ出ていった。
魔法の答えを探す旅は、誰かに命じられて始まったわけではない。
ただ、分からないものがあった。
そしてユリウスには、それを捨ててしまうことができなかった。




