↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔法は、拾うところから。』 ―廃材回収人は失われた魔法開発を再発見する―  作者: asnt2026


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/37

第5話 滑るという魔法

翌日、旧搬送庫の床には白い印が十数本並んでいた。


窓のない北側はまだ朝の冷たさを残し、外から入る日差しの中だけ埃がゆっくり舞っている。倉庫に染みついた古い油の匂いに、リシェルが持ち込んだ薬品の鋭い香りが混ざっていた。


「線から出ないでください」


リシェルが言う。


ユリウスは足元を見る。


石床に白墨で囲われた四角。


「俺の実験ですよね」


「だからです」


「信用ないな」


「昨日、私を転ばせかけました」


「転んでません」


「結果論です」


言葉だけなら冷たい。


けれど朝一番に滑り止め用の厚底靴を二足持ってきたあたり、彼女もやる気なのだろう。


ユリウスは昨夜集め直した材料を石台へ並べた。


古い荷車の車輪金具。


何十年も荷物を積んだ車輪の外周を支えていた鉄。


次に、倉庫の滑車軸。


最後は、廃業した織物工房でもらった古い織機の杼の金具。細長い板の上を何万回も往復していた部分だ。


どれも「動いた物」ではある。


けれど、それだけでは何かが足りない。


ユリウスは並びを変えた。


魔力を流す。


何も起こらない。


変える。


再び流す。


石台の上で滑車軸だけが回った。


「違う」


「何がです?」


「繋がってない」


「何と何が」


「分からないからやってるんです」


リシェルが息を吐く。


紙へ何か書いた。


たぶん今の発言まで記録された。


ユリウスは材料を見つめる。


車輪は回る。


滑車も回る。


杼は滑る。


全部、同じ方向ではない。


「回るもの同士を繋ぐんじゃなくて」


指先で順番を直す。


滑車軸。


車輪金具。


杼。


「動かすことを渡す?」


「意味が分かりません」


「俺もまだ半分しか」


「全部分かってから口にしてください」


「それだと一生喋れないかもしれません」


魔力を通した。


最初の鉄片が震える。


二つ目へ伝わる。


最後の金具が小さく跳ねた。


足元で、白墨の内側だけが光った。


青でも赤でもない。


薄い銀色が水面を走るように広がる。


ユリウスは一歩下がろうとした。


足が前へ出た。


止まらない。


「え」


靴底が床を掴まない。


体がそのまま滑っていく。


リシェルが腕を伸ばす。


掴む。


二人とも引っ張られる。


「ちょっ、待って」


「待てません!」


「足を上げて」


「あなたが先に!」


二人揃って床へ倒れた。


鈍い音が倉庫に響く。


少し遅れて材料の光が消えた。


沈黙。


天井の隙間で鳥が一羽鳴いた。


ユリウスは横向きになったまま、リシェルを見る。


彼女も床に倒れている。


髪がほどけ、頬に埃がついていた。


「大丈夫ですか」


「今、聞きます?」


「聞かないよりは」


リシェルはゆっくり起き上がった。


何も言わず、紙を拾う。


そして、ユリウスの記録欄へ大きく何か書いた。


「何て書いたんです」


「術者自身が最初の被害者」


「消してください」


「事実です」


少しだけ口元が動いている。


笑ったのかもしれない。


ユリウスが立ち上がる頃には、床の抵抗は戻っていた。


靴底が石を掴む。


材料を見る。


三つとも色が薄い。


でも形は残っている。


「消えたのは」


ユリウスはしゃがんだ。


床を撫でる。


「滑りにくさ?」


リシェルがすぐ横へ来た。


「摩擦を減らした可能性があります」


「まさつ」


「物同士が触れた時、動きを妨げる力です」


「それがなくなると滑る」


「完全に消えたとは考えにくいですが。少なくとも、かなり弱くなった」


ユリウスは材料を見る。


火を出したわけでもない。


水を作ったわけでもない。


床を凍らせたわけでもない。


ただ、そこにある「滑りにくさ」を奪った。


「こんなのも魔法なんですか」


「あなたが聞きますか?」


「定式魔法には?」


リシェルは少し考える。


「似た補助術式はあります。荷物を滑らせるために空気膜を作るものや、氷を薄く張るもの。ただし摩擦そのものへ干渉しているなら、少なくとも私は知りません」


胸の奥で何かが鳴った。


昨夜の《熱》と同じだ。


火を作るのではない。


冷気を作るのでもない。


今度も、新しい何かを生み出したわけではない。


元からあるものを、別の状態へ移している。


その考えはまだ細すぎて、掴めば切れそうだった。


          *


昼過ぎ、実験は突然終わった。


倉庫の外から馬のいななきと、誰かの叫び声が聞こえた。


「避けろ!」


ユリウスとリシェルが外へ出る。


街道を荷車が横倒しになっていた。


果物籠が砕け、赤い実が石畳を転がっている。


その向こう。


灰色の獣が低く頭を下げていた。


肩まで人の胸ほどある。


猪に似ているが、鼻先から生えた一本角は石のように太く、首から背中へ続く毛は硬い針の束に見えた。


灰角猪。


山から下りてくることのある魔獣で、走り出せば木の柵程度ならそのまま突き抜ける。


「どうして街の中に」


リシェルが息を詰めた。


猪の後ろには壊れた運搬檻が転がっている。


誰かが捕獲した個体を運んでいたらしい。


灰角猪が地面を掻く。


石畳へ爪が食い込む。


正面には、倒れた荷車の陰で動けなくなっている男がいた。


「リシェル」


「分かっています」


彼女が杖を抜く。


杖頭の小さな術具が開き、あらかじめ刻まれた定式術式へ魔力が走る。


風が集まった。


「《風圧》!」


空気の塊が灰角猪へぶつかる。


獣の体が横へずれた。


だが倒れない。


怒った。


明らかに。


角がこちらへ向く。


「まずい」


「二度目を」


リシェルが杖を構える。


灰角猪が走り出した。


速い。


石畳を打つ蹄が近づく。


ユリウスの視線が、倉庫の中へ向いた。


実験台。


材料。


滑った床。


考えるより先に足が動いた。


「ユリウス!」


倉庫へ駆け込む。


石台から三つを掴む。


滑車軸。


車輪金具。


杼。


外へ戻る。


灰角猪はもう近い。


並べる場所。


時間がない。


石畳へ膝をつき、獣の進路上へ三つを置く。


「何を」


「さっきのです」


「範囲は?」


「分かりません」


「持続時間!」


「それも」


リシェルが目を閉じたくなるような顔をした。


灰角猪の鼻息が聞こえる。


ユリウスは最初の鉄片へ指を押し当てた。


魔力を通す。


反応しない。


「来い」


もう一度。


鉄片が震えた。


次へ。


最後へ。


薄い銀光が石畳を走る。


灰角猪の前脚が、その上へ乗った。


蹄が滑る。


巨体の勢いだけが前へ残った。


前脚が横へ開き、角が下がる。


獣の目が見開かれる。


体が傾く。


時間がゆっくり伸びた。


右肩が地面へ当たる。


石片が飛ぶ。


角が石畳を削り、火花を散らした。


それでも勢いは止まらない。


横倒しになった灰角猪が、倒れた男へ向かって滑っていく。


「まだ止まらない!」


ユリウスが立ち上がる。


どうする。


滑らせただけだ。


転ばせた。


それで終わっていない。


その時、視界の左から誰かが入った。


赤茶色の髪。


金属鎧。


大剣。


女が一歩踏み込み、滑ってきた灰角猪へ盾を斜めに差し込んだ。


ぶつかる。


重い衝撃。


盾の表面を何本もの古い修理痕が走っている。


女の靴が石畳を削った。


体は下がる。


でも倒れない。


「ずいぶん面白い転ばせ方するじゃないか!」


歯を食いしばったまま叫ぶ。


大剣を片手で抜いた。


灰角猪が起き上がるより早く、柄尻で角の根元を打つ。


獣の首が落ちる。


二撃目。


刃ではない。


剣の腹を叩き込む。


灰角猪の体が横へ転がった。


今度こそ動かなくなった。


静かになる。


果物が一つ。


石畳を転がり、ユリウスの靴へ当たって止まった。


女が大剣を肩へ担ぐ。


「で」


息を整えながら、こちらを見る。


「今の、何だ?」


ユリウスは手元の白くなりかけた材料を見た。


「俺も知りたいです」


女の眉が上がった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。