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『魔法は、拾うところから。』 ―廃材回収人は失われた魔法開発を再発見する―  作者: asnt2026


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第30話 山が歩く

山の稜線が、もう一度動いた。


今度は見間違いではなかった。


遠くに連なる黒い山々のうち、一つだけがゆっくりと持ち上がっていく。岩肌だと思っていた斜面が傾き、その上に生えていた木々が一斉に揺れた。


鳥がいない。


虫も鳴かない。


夜の風だけが高台を抜け、乾いた土と硫黄の匂いを運んでいた。


「何だ、あれ」


セラの声が低い。


誰も答えられない。


山が立ち上がっている。


そうとしか見えなかった。


斜面の一部が前へ出る。


巨大な岩塊。


違う。


脚だ。


土と樹木を載せたまま、大地からゆっくり抜けていく。


岩が落ちる。


一つでも家ほどある。


地面へ当たるまで数秒。


遠いはずなのに、落下音より先に足元へ振動が届いた。


どん。


次に音。


腹の内側を叩かれたようだった。


ユリウスは思わず膝を曲げる。


二度目。


巨体がもう一本の脚を動かした。


山の形が崩れる。


背だと思っていた峰が伸び、尾根だと思っていた部分の下から暗い空洞が現れた。


目。


あまりに遠い。


それでも二つの赤褐色の光が開いたのが分かった。


「山背」


ガロが呟いた。


ユリウスが見る。


「知ってるんですか」


「話だけだ」


ガロは巨体から目を離さない。


「ヴェルディアにも昔、山が歩く話はあった」


リシェルが息を整えながら聞く。


「同じ個体?」


「知らん」


その時、高台へ上がってくる足音がした。


ミラドだった。


息を切らし、手には古い帳面を抱えている。


「グラドだ」


ページを開く。


そこには子どもの落書きにしか見えない絵があった。


四本脚。


背中に山。


小さく描かれた人間。


その横に、古い文字。


《山背グラド》。


「鉱山の古い記録だ。昔話だと思ってた」


「どれくらい昔です?」


リシェルが帳面を取る。


「一番古いので三百年以上前。山が動いた、その後また眠った。それだけだ」


「倒した記録は?」


セラが聞く。


ミラドが首を横へ振る。


「倒したとは書いてない」


グラドが脚を上げる。


一歩。


遠い山腹が沈む。


土煙が立った。


方向。


カルダの町へ近づいている。


誰も、それを口にしなかった。


          ◇


町へ戻る頃には、避難鐘が鳴っていた。


甲高い音が何度も石造りの家にぶつかり、狭い通りへ反響している。


人が走る。


荷車。


子ども。


家畜。


持てるだけの荷物。


誰も叫び続けてはいない。それでも普段なら聞こえる商人の呼び声も笑い声もなく、人の足音だけが町全体を流れていた。


「東門へ!」


役場の男が叫ぶ。


「南道は使うな! 斜面が崩れてる!」


セラがすぐ動く。


「私は東門」


「私も行きます」


リシェルが杖を持つ。


「荷車が詰まったら《浮上》を使えます」


「瞬断がある」


レオルが止める。


「一つの術式に頼るな。人力も残しておいて」


「分かっています」


その返事は少しだけ硬かった。


ユリウスも行こうとする。


ミラドが腕を掴む。


「お前はこっちだ」


「何です?」


「北側の橋で荷車が止まってる」


「俺が?」


「変な魔法が使えるんだろ」


言い方。


けれど今は気にしている場合ではない。


          ◇


町の北側には、小さな石橋があった。


谷というほど深くはない。


雨期だけ水が流れる窪地へ、石を積んだ橋が架かっている。


そこで三台の荷車が詰まっていた。


最後尾の一台。


荷物を積みすぎている。


車輪が沈み、橋の継ぎ目へ引っかかって動かない。


荷台には袋と木箱。


その上に老人が二人と子ども。


「荷物を下ろせ!」


作業員が叫ぶ。


「時間がかかる!」


別の男が押している。


動かない。


遠く。


グラドの足音。


一度。


空気が震える。


子どもが泣き始めた。


ユリウスは荷車へ手を置く。


重い。


こんなもの、《浮上》が安定して使えれば。


でも今は。


頭の中に、古い鉱山部品が浮かんだ。


昇降機。


荷を上げる。


下げる。


吊る。


軽くするわけではない。


重さを別の場所へ預ける。


「ミラドさん」


「何だ」


「古い昇降機の部品、ありません?」


「今ここで?」


「今だから!」


ミラドが一度舌打ちする。


「保守小屋!」


橋の横。


工具置き場へ走る。


中から古い金属輪と短い鎖を持って戻ってきた。


「何が欲しい!」


ユリウスは手に取る。


金属輪。


何十年も荷を吊っていた。


短い鎖。


片側だけ摩耗。


さらに荷車そのものから、古い平衡金具を外す。


「何するんだ」


「重さを」


止まる。


何をすれば、物が軽くなる。


《受衝》は衝撃を逃がす。


《熱渡し》は熱を移す。


なら重さも。


どこかへ渡せる?


違う。


時間がない。


「少しだけ減らせれば」


地面へ並べる。


吊り輪。


鎖。


平衡金具。


持ち上げる。


受ける。


釣り合う。


流れを作る。


「ユリウス!」


遠くからセラの声。


東門側から走ってくる。


「何してる!」


「軽くします!」


「できるのか!」


「今やります!」


セラが顔をしかめる。


「分からないって言うなよ!」


ユリウスは魔力を通した。


最初の輪。


反応。


鎖。


細かく揺れる。


最後の金具。


荷車が。


少し浮いた。


「来た!」


作業員が押す。


荷車が動く。


ほんのわずか。


次の瞬間。


右側だけが大きく持ち上がった。


「え」


車体が傾く。


左車輪へ全重量が落ちる。


荷台の木箱が滑った。


「押さえろ!」


セラが走る。


盾を背にしたまま荷車の右側へ肩を入れる。


ミラドも。


作業員も。


ユリウスは魔力を止める。


右側が落ちた。


車体が大きく跳ねる。


子どもの悲鳴。


けれど倒れない。


「何だ今の!」


ミラドが叫ぶ。


ユリウスは材料を見る。


「片方だけ」


「見れば分かる!」


失敗。


全体を軽くするつもりだった。


片側だけ。


「《片軽》」


息を切らしたセラが言った。


「今、名前つけてる場合ですか」


「覚えやすいだろ!」


《片軽(ハーフライト)》。


最悪の初成功だった。


          ◇


結局、荷車の荷物を半分下ろした。


ただし《片軽》は使った。


今度は意図的に。


右側だけ軽くする。


左車輪が継ぎ目へ引っかかっている。


なら右を軽くするのではない。


左。


材料の向きを反転させる。


左側だけが浮く。


「今!」


作業員が押した。


車輪が段差を越える。


荷車が前へ進んだ。


セラが横で笑う。


「失敗がもう役立ったな」


「褒めてます?」


「半分」


「片方だけに?」


「上手いこと言った顔するな」


老人と子どもを乗せた荷車が橋を渡る。


東門へ進む。


誰も怪我をしていない。


ユリウスは材料を拾った。


白くなり始めている。


また少し減った。


それでも、さっきより手は迷わなかった。


          ◇


日が落ちる前。


町の大半の避難が終わった。


グラドはまだ来る。


一歩ずつ。


速くはない。


でも止まらない。


レオルが高台に測定術具を並べていた。


リシェルが隣で数値を取る。


ユリウスたちが戻ると、二人とも顔を上げなかった。


「何か分かった?」


セラが聞く。


レオルが紙を指す。


「グラドが動くたび、周辺の定式魔法出力が落ちてる」


ユリウスが止まる。


「グラドが吸ってる?」


「そこまでは言えない」


リシェルが答える。


「でも位置関係は合っています」


グラド。


瞬断。


弱くなった町。


新しい定式術式。


全部が近い。


ただ、線にはならない。


まだ。


ガロが山を見る。


「あいつ、町を見てない」


「何?」


セラが聞く。


「人間を追ってない」


グラドは確かに進んでいる。


けれど赤褐色の目は町を向いていない。


少し下。


町の地下。


もっと深い場所。


ユリウスの背中を冷たいものが通った。


「何かある」


ガロが言う。


「町の下に」


グラドがまた一歩。


石橋の水が震えた。

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