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『魔法は、拾うところから。』 ―廃材回収人は失われた魔法開発を再発見する―  作者: asnt2026


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第3話 完成された魔法が、止まった日

南工区へ近づくにつれ、空気の匂いが変わった。


雨上がりの土と石の匂いに、焼けた金属と魔導油の刺激臭が混ざっている。低い雲の隙間から夕日が差し、崩れた工区の鉄骨だけを赤く照らしていた。


救助隊が走り回っている。


怒鳴り声。


金属の軋み。


誰かが術式を詠唱する声。


その全ての間に、妙な空白があった。


魔法が続かない。


青い結界が現れる。


揺らぐ。


消える。


もう一度現れる。


「第三支柱、固定!」


術者が叫ぶ。


床の術式が青白く光った。


倒れかけた支柱が止まる。


ユリウスが息をついた、その直後だった。


光が消えた。


支柱が落ちる。


「下がれ!」


鈍い衝撃が地面を揺らした。


石片が跳ねる。


ユリウスは腕で顔を庇った。


頬に小さな何かが当たる。


痛みを確認する暇もなく、ハルドが横を走り抜けた。


「こっちだ!」


「班長!」


「二人残ってる!」


崩れた架台の奥。


若い作業員が一人、鉄骨の下で動けなくなっている。


その手前にハルドが入る。


「おい、聞こえるか!」


作業員が返事をする。


声はある。


だが上に乗った鉄骨を動かさなければ出せない。


救助魔術師が術式を展開する。


「《浮上》を合わせます! 三、二――」


光が広がった。


鉄骨が浮く。


数センチ。


ハルドが身体を滑り込ませる。


その瞬間、光が切れた。


鉄骨が落ちた。


時間が一度だけ、妙に遅くなった。


ハルドが作業員を押す。


自分の肩を入れる。


鉄骨の端が傾く。


誰かが叫んだ。


音は聞こえたのに、言葉として頭へ入ってこない。


鉄骨がハルドの背へ落ちる。


完全には潰さなかった。


隣の瓦礫が支えた。


それでも彼の身体が沈み、息が喉から押し出される音がした。


「班長!」


ユリウスは走った。


足元の破片を踏み、滑りかける。


救助員に止められる。


「近づくな! 支柱が持たない!」


「ハルドさんが」


「分かってる!」


再び《浮上》を展開する。


光る。


消える。


術者の顔が青ざめた。


「術式は合ってる」


誰に言うでもなく呟いている。


「何でだ。魔力も足りてるのに」


ユリウスはその言葉を聞いていた。


術式は正しい。


魔力もある。


それでも動かない。


少し離れた場所で、破裂音がした。


全員が振り返る。


崩れた魔導管。


内部から橙色の光が漏れている。


冷却術式も切れていた。


「まずい、圧力が上がってる!」


誰かが叫ぶ。


もし管が破裂すれば、ハルドたちのいる場所まで熱風が届く。


冷却魔法を展開する。


青い光。


一瞬。


消える。


ユリウスの喉が乾いた。


完成された魔法が、何の理由もなく止まっている。


昨日までなら、考え続けただろう。


なぜ。


どこが違う。


何が足りない。


でも今は考える順番が違った。


先に止めなければならない。


肩に掛けた鞄を開く。


指が木箱へ触れる。


昨夜使った物の残り。


パン窯石。


井戸鎖。


冷蔵倉庫の金具。


全部を持ち歩いていた。


もう一度試すために。


「ユリウス」


横にリシェルがいる。


息を切らしていた。


「何をするつもりです」


「昨日のを使います」


「再現できていないでしょう」


「できてません」


「成功率は?」


答えようとして止まった。


数字など出したことがない。


今朝だけで何度も失敗している。


「分かりません」


リシェルの眉が動いた。


「分からない物を、この状況で使うんですか」


「他にあります?」


彼女が魔導管を見る。


冷却術式がまた消える。


橙色が強くなる。


返事はなかった。


ユリウスは床へ膝をついた。


手が震えている。


石から欠片を削る。


鑿の先が一度滑った。


普段なら使わない欠け方だった。


やり直す時間はない。


鎖を切る。


昨夜使った部分より上。


井戸の中で何度も引き上げられていた場所。


金具。


一瞬、頭が真っ白になる。


昨夜の机。


窓の雨。


冷えた水杯。


鎖を逆にした。


金具は。


「違う」


並べ直す。


リシェルが横へしゃがんだ。


「何が違うんです?」


「向きです」


「材料に向き?」


「たぶん」


「また、たぶんですか」


「今はそれしかないです」


石。


鎖。


金具。


床へ直接置く。


瓦礫の振動で小さな欠片がずれた。


指で戻す。


魔導管が軋む。


一秒。


二秒。


背中に汗が流れる。


空気は冷えているのに、手のひらだけ熱かった。


「班長!」


奥から声がする。


返事はない。


ユリウスは石へ指を置いた。


魔力を流す。


何も起きない。


胃の奥が沈む。


強くする。


石の亀裂が赤く光る。


鎖片が震えた。


「来た」


水分の残った床が白く曇る。


周囲の空気が冷える。


リシェルが息を止めたのが分かった。


魔導管の橙色が弱くなる。


ほんの少し。


「熱が」


リシェルが魔導管と石を交互に見る。


「移ってる?」


ユリウスは答えなかった。


答える余裕がない。


石が急速に赤くなる。


昨夜よりずっと強い。


周囲から熱を奪っている。


魔導管の温度が落ちる。


一度で全部は無理だ。


でも破裂するまでの時間は延びる。


「今です!」


ユリウスが叫んだ。


救助隊が動く。


魔法ではない。


三人が鉄棒を差し込む。


別の者が滑車を引く。


途切れる《浮上》も、動いている瞬間だけ使う。


数秒。


鉄骨が持ち上がる。


「引け!」


作業員が引きずり出される。


次にハルド。


血が服の背を濃く染めている。


顔色が悪い。


それでも息はある。


ユリウスの肩から何かが抜けた。


その瞬間、石が割れた。


白い粉になる。


鎖。


金具。


全部崩れた。


冷えた空気が戻ってくる。


魔導管の温度も、また少しずつ上がり始める。


「もう一回できますか」


救助員が聞いた。


ユリウスは残った材料を見る。


まだある。


だが同じ結果になる保証はない。


「できます」


口から先に出た。


リシェルが横を見る。


「できます、ではなく」


「やります」


言い直した。


もう一組。


石。


鎖。


金具。


今度はリシェルが欠片を押さえた。


「ここですか」


「そこ。向きは反対」


「先に言ってください」


「すみません」


魔力を流す。


二度目は一度目より早く反応した。


どうしてかは分からない。


今は、それでよかった。


          *


夜。


治療院の廊下には薬草と消毒酒の匂いが漂っていた。


窓の外では雨がまた降り始めている。


ユリウスは長椅子に座り、両手を見ていた。


爪の隙間に白い粉が残っている。


洗ったはずなのに取れない。


正確には、取れているのかもしれない。


見えている気がするだけだった。


ハルドは死ななかった。


背骨にも致命傷はない。


ただし肋骨が折れ、肩をひどく傷めている。


しばらく現場には戻れない。


自分が魔法を使ったから助かった。


そう言われた。


だから何だと思った。


もっと早く使えていれば。


最初から仕組みを分かっていれば。


定式魔法が止まると知っていれば。


考えていると、扉が開いた。


「入れ」


ハルドの声だった。


弱い。


それでも命令口調だけは変わらない。


病室へ入る。


ハルドは上半身を布で固定されていた。


顔に傷もある。


「酷い顔だな」


先に言われた。


「班長の方が酷いです」


「怪我人に言うことか」


「そっちから言ったじゃないですか」


しばらく黙った。


窓を叩く雨音だけが続く。


ユリウスは謝ろうと思った。


何に対してかは、うまく説明できない。


口を開いた時、ハルドが先に言った。


「お前が止めたんじゃねえぞ」


ユリウスは何も言わない。


「魔法だ。止まったのは」


「分かってます」


「分かってる顔じゃない」


ハルドは息を吐いた。


痛むのか、途中で眉をしかめる。


「俺たちは壊れた後を片付ける。お前もずっとそうしてきただろ」


「はい」


「だったら今回も同じだ」


ユリウスが顔を上げる。


「壊れた理由を見ろ」


ハルドの目はいつもと同じだった。


現場で使えない物を見つけた時の目。


余計な慰めはしない。


「次も一秒で戻るとは限らん」


その言葉が腹の奥へ沈んだ。


次。


次がある。


また止まるかもしれない。


今度は誰かが鉄骨の下に入っている時かもしれない。


治癒魔法の途中かもしれない。


街を守る結界かもしれない。


「調べます」


「そうしろ」


「原因が、普通の事故じゃなかったら」


「それも調べてから悩め」


少しだけ笑ってしまった。


ハルドが怪訝な顔をする。


「何だ」


「いつも通りだなと思って」


「怪我して性格まで良くなると思ったか」


「少し期待しました」


「帰れ」


病室を出ると、廊下の壁にもたれてリシェルが待っていた。


手には事故記録。


「術式を全部確認しました」


ユリウスは立ち止まる。


「どうでした」


「異常なし」


「供給魔力は」


「十分でした。術者側にも問題なし。魔導管の冷却術式も、支柱固定も《浮上》も同じです」


彼女の指が記録用紙を少し強く握った。


「理論上は、止まりません」


「でも止まった」


「はい」


リシェルは少し間を置いた。


いつもならすぐ続く言葉が出ない。


それだけで、昼間までとは何かが変わったのが分かった。


「分からないんです」


小さな声だった。


ユリウスは彼女を見る。


王立魔術院の魔術師。


術式を正式に学び、魔法を説明する側にいる人間。


その口から出た「分からない」は、白い粉より少しだけ重く聞こえた。


ユリウスは鞄から小さな瓶を取り出した。


今日使った材料の残り。


白い粉。


「俺の方も分からないです」


リシェルが瓶を見る。


「でも、あなたの魔法は動いた」


「魔法かどうかも、まだ分かりません」


「では、確かめるしかありませんね」


ユリウスは雨の向こうを見た。


街の灯りが滲んでいる。


あの一つ一つにも魔法が使われている。


暖房。


水道。


治療院。


荷車。


工房。


普段は止まることなど考えもしない。


完成されたものだと思っていた。


自分が作ったものは不格好だった。


材料を床へ並べ、向きを何度も間違え、一回使えば白い粉になる。


それでも今日、そちらだけが動いた。


次に止まった時。


今度は誰かが死ぬかもしれない。


喉の奥に残っていた焦げた匂いを、ゆっくり飲み込んだ。


知るしかない。


魔法をどう使うかではなく。


もっと手前から。


魔法が、何でできているのかを。

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