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『魔法は、拾うところから。』 ―廃材回収人は失われた魔法開発を再発見する―  作者: asnt2026


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第2話 そこには、何も残らない

朝になる頃には、部屋の霜はすべて消えていた。


机だけが少し歪んでいる。


急激に冷えたせいか、木目に沿って細い裂け目が走っていた。


ユリウスはそれを指でなぞった。


昨夜のことが夢ではなかった証拠なら、机の上にもある。


小皿へ集めた白い粉。


三種類の素材から残った量を別々に分けたつもりだったが、見た目にはほとんど違いがない。


匂いもない。


指で擦れば乾いた砂より細かく崩れる。


朝食を忘れたまま、ユリウスは同じ実験を始めた。


新品の耐火石。


買ったばかりの鎖。


冷蔵倉庫用の新しい金具。


形は似ている。


材質も大きくは違わない。


昨夜と同じ順番に置き、鎖の向きまで揃えた。


魔力を流す。


何も起きない。


もう一度。


今度は少し強く。


窯石代わりの耐火石がわずかに熱を持っただけだった。


水杯は冷えない。


「種類じゃない」


呟いた声に、眠っていない喉のざらつきが混ざった。


ユリウスは新品の鎖を横へ退ける。


昨夜使った井戸鎖の残りを持ってくる。


そこから別の欠片を切り出した。


耐火石は新品のまま。


魔力を流す。


鎖だけが震えた。


しかし何も移らない。


「一個だけじゃ駄目か」


次に窯石も古い物へ変える。


少し空気が冷えた。


ただし昨夜ほどではなく、石の表面がぬるくなる程度で終わった。


金具も古い物へ変える。


三つ揃う。


今度こそと思った。


だが同じ結果にはならなかった。


ほんのわずかに水杯の温度が下がっただけ。


「何が違う」


白い粉へ目をやる。


返事はない。


昨夜と今朝。


同じ材料。


同じ順番。


同じ向き。


それなのに違う。


正確には、同じつもりでいるだけなのかもしれない。


パン窯のどの場所だったか。


井戸鎖のどの長さだったか。


倉庫金具のどちら側だったか。


そんな違いまで関係するのか。


考え始めると止まらなくなる。


扉を叩く音がするまで、ユリウスは出勤時間を完全に忘れていた。


「生きてるか」


ハルドの声だった。


ユリウスは窓を見る。


太陽はとっくに上がっている。


「……まずい」


「その返事なら生きてるな。開けろ」


          *


回収所には見慣れない女性がいた。


背筋をまっすぐ伸ばし、濃紺の外套の襟には王立魔術院の銀章が留められている。


長い淡金の髪は肩の後ろでまとめられ、机の上の事故部品を見ている目は細部を一つずつ数えているようだった。


ハルドが顎で示した。


「王立魔術院のリシェル・アーヴェント魔術師だ。昨日の事故について確認したいそうだ」


「確認?」


女性が顔を上げる。


若い。


ユリウスより少し年下にも見えた。


ただし、その視線には年齢より先に理屈が立っている。


「救助術式の瞬断についてです」


ユリウスは一度ハルドを見る。


ハルドは肩を竦めた。


「お前が気にしてたやつだ」


リシェルが手元の紙をめくる。


「記録上、零・七秒ほど出力が落ちています。術式の損傷はありません。魔力供給にも異常なし」


「じゃあ、何で止まったんです?」


「それを調べています」


言い方は淡々としていた。


知ったふりをしないところだけで、ユリウスは少し話しやすくなった。


「昨日だけじゃないんですか」


「似た報告が三件あります。ただし、いずれも一秒未満で再現性がありません。設備の老朽化か、術者側の瞬間的な出力低下として処理されています」


「三件」


「気になりますか?」


「気にはなります」


「では、あなたが気にならない物は何です?」


ハルドが吹き出した。


ユリウスは少し考えた。


答えが浮かばない。


リシェルは冗談を言ったつもりではなかったらしい。視線はすでに帳簿へ戻っている。


その横顔を見て、ユリウスは朝から持ち歩いていた小袋を思い出した。


「一つ見てもらっていいですか」


「事故物ですか?」


「事故……ではないと思います」


「何です?」


「魔法を使った後の残りです」


リシェルの手が止まった。


「残り?」


「材料です」


「何の材料です?」


「そこが分からなくて」


一拍あった。


ハルドが額を押さえている。


ユリウスは小袋から白い粉を少量出した。


リシェルは素手では触らなかった。


細い金属棒で粉を取り、光に透かす。


「灰ではありませんね」


「はい」


「砕いた魔石でもない。術式用触媒?」


「違います」


「では、元は?」


ユリウスは答えた。


「パン窯の石と、井戸鎖と、冷蔵倉庫の金具です」


リシェルの目が初めて帳簿以外のものを見るようにユリウスへ向いた。


「もう一度お願いします」


「パン窯の」


「そこではありません。なぜその三つを一緒に使ったんです?」


「分からないです」


ハルドが笑う。


「これでも本人は真面目だぞ」


「笑うところですか?」


「俺はもう慣れた」


リシェルは粉へ目を戻す。


「何が起きたんです」


ユリウスは昨夜のことを説明した。


部屋が冷えた。


窯石だけが熱くなった。


火も冷気も生まれていないように見えた。


その後、三つの材料が白い粉になった。


途中で一度だけ、リシェルが質問した。


「術式は?」


「使ってません」


「魔法陣」


「ありません」


「既存術式の断片でも?」


「ないです」


黙った。


否定されると思っていた。


魔法術式を正式に学んでいない回収人が、何かを勘違いしたのだと言われても不思議ではない。


リシェルは粉をもう一度見た。


「それなら、私には説明できません」


今度はユリウスが黙る番だった。


「信じるんですか」


「信じるかどうかではありません。現物があり、あなたが嘘をついている証拠もない。少なくとも、現行の定式体系だけでは説明できないという意味です」


「魔術院の人って、みんなそんな感じなんですか」


「どういう意味でしょう」


「もう少し『そんなものは魔法ではない』って言われるかと」


「再現できれば魔法かどうか検討します」


「再現できてません」


「では、まずそこですね」


きっぱり言われた。


ハルドが小声でユリウスへ言う。


「お前と似た面倒くささだな」


「聞こえています」


リシェルが答えた。


          *


午後、ユリウスは事故跡をもう一度歩いた。


リシェルもついてきた。


昨日使われた《浮上》術式の床。


救助結界の支柱。


冷却術を流した魔導管。


どれも何度も魔法を使っている。


ユリウスは隅を探した。


溝。


継ぎ目。


支柱の根元。


リシェルがしばらく見てから聞く。


「何を探しているんです?」


「白い粉です」


「昨日の?」


「もし魔法を使うと材料がああなるなら、普通の魔法でもどこかに残るんじゃないかと思って」


「定式魔法は物質材料を消費しません」


「分かってます」


「なら」


「でも、俺のも魔法だったなら、何が違うのか気になりません?」


リシェルは答えなかった。


代わりに反対側の支柱を調べ始めた。


二人で一時間近く探した。


白い粉はなかった。


灰はある。


石粉もある。


魔導管の酸化した粉もあった。


昨夜の物とは違う。


何もない。


ユリウスは床から立ち上がった。


膝についた埃を払う。


「俺のだけ、何かを使い切った」


「それはまだ仮説です」


「はい」


「ただ」


リシェルが術式の刻まれた床を見る。


夕方の光が窓から差し、青黒い刻印の一部だけを照らしていた。


「こちらには、使い切った物が見当たらない」


口調は同じなのに、その一言だけ少し低かった。


ユリウスは床を見た。


完成された魔法。


何百年も使われ続けている術式。


材料など必要ない。


そう習うまでもなく、誰もがそう思っている。


なのに昨夜、自分が起こした何かは、確かに何かを消費した。


考えようとした時、回収所の方から鐘が鳴った。


短く三回。


緊急出動。


ハルドが走ってくる。


「ユリウス!」


顔つきで分かった。


いつもの事故ではない。


「南工区で魔導架台が崩れた。作業員が下に残ってる」


「救助班は?」


「入ってる」


ハルドが一度息を吸った。


「救助術式が反応しないらしい」


ユリウスの視線が、床に刻まれた《浮上》術式へ落ちた。


昨日、一瞬だけ消えた青い光。


今度は、戻っていない。



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