第28話 誰でも使える魔法
実験は夜まで続いた。
ユリウスは三度失敗した。
レオルは十一度失敗した。
回数だけなら勝っている。
何の勝負かは分からない。
「もう一回」
レオルが言う。
「食事は?」
セラが聞く。
「あとで」
「昼もそう言った」
「研究が」
「食え」
セラがパンを投げる。
レオルが受け損ねる。
机の術式紙の上へ落ちた。
「油が」
「食わない方が悪い」
リシェルもユリウスへパンを置く。
「あなたもです」
「俺は食べてます」
「朝から木の実二つだけです」
「数えてるんですか」
「最近は」
怖い。
ガロだけは部屋の隅で普通に食べていた。
◇
レオルが試していたのは、《熱渡し》そのものではなかった。
古材を使わずに、
熱を受ける。
一時的に留める。
指定した方向へ渡す。
この三つを定式術式へ分け、順番に繋ぐ。
「君の材料がやってることを、式に書く」
レオルが言う。
「同じになります?」
「ならないかもしれない」
「じゃあ意味あるんですか」
「結果が近ければ、社会では使える」
そこが違う。
ユリウスは材料の中で何が起きているかを知りたい。
レオルは、誰でも同じ結果へ届く形を作りたい。
以前から変わっていない。
ただ、前ほど腹は立たなかった。
多分。
少しだけ。
「ここ」
リシェルが術式紙を指す。
「保持部が長すぎます」
レオルが見る。
「短くすると暴れる」
「方向指定を先に置けば?」
「先に決めると入力熱量の差に対応できない」
ユリウスは横から図を見る。
分からない記号が多い。
でも流れだけは見える。
受ける。
留める。
渡す。
「これ」
指を置く。
「順番逆じゃ駄目ですか」
二人が見る。
「どこ」
レオルが聞く。
「方向を決めるの、留める前」
「さっきリシェルが」
「違います。出口を決めるんじゃなくて、入ってくる向きを最初に限定する」
レオルの目が止まる。
「入力方向」
「材歴はそこがすごく重要なので」
リシェルも紙を見る。
「定式側でも、入口の条件を先に固定すれば保持部の負担を減らせる」
レオルが椅子から立つ。
「それだ」
すぐ書き換える。
ユリウスは少し嬉しくなる。
自分の考えが、知らない記号の中へ入っていく。
不思議な感じだった。
◇
十三回目。
金属槽を二つ置く。
片方、八十度。
片方、二十度。
術式を起動する。
青い線が走る。
最初は何も起きない。
一秒。
二秒。
温度計が動く。
熱い方。
七十九。
冷たい方。
二十一。
「来た」
レオルが小さく言う。
さらに。
七十八。
二十二。
止まらない。
魔力供給は一定。
古材なし。
誰でも同じ手順で起動できる定式術式。
ユリウスは黙って見た。
自分が最初に部屋で偶然作ったもの。
窯石。
井戸鎖。
金具。
白い粉。
あれが今、紙の上の式へ変わっている。
「できた」
セラが言う。
レオルは首を振る。
「まだ」
「動いてるだろ」
「効率が悪い。魔力消費も大きい。出力差にも弱い」
「でも動いた」
ユリウスが言った。
レオルを見る。
「誰でも?」
レオルも見る。
少しだけ口元が上がる。
「訓練した術者なら」
「なら」
ユリウスは何を言えばいいか分からなくなった。
悔しい。
少し。
でも。
それ以上に、妙に嬉しい。
自分しかできなかったものが、自分の手を離れた。
それは怖くもある。
ただ、何かが本当に生まれた感じがした。
レオルが言う。
「仮称、《熱移送式》」
セラが即答する。
「堅い」
「定式名はそういうものだ」
「《熱渡し》でいいだろ」
「研究院の規格では」
「分かりにくい」
「分かりやすい」
「長い」
「四文字だ」
二人が言い合う。
ユリウスは笑った。
リシェルも少し。
ガロだけが温度計を見ていた。
「これ」
「何?」
ユリウスが聞く。
「材料、使ってないんだな」
部屋が静かになった。
見れば分かる。
何も減っていない。
白い粉もない。
ユリウスは術式紙を見る。
胸の奥で、別の考えが浮かぶ。
本当に。
どこも減っていないのか。
◇
翌朝。
レオルは試験用の術式を鉱山の冷却設備へ一時接続する許可を取った。
小規模。
限定区画。
一時間。
新しい《熱移送式》を使い、坑道から上がる熱の一部を地上の貯湯槽へ移す。
結果は成功した。
坑内温度が下がる。
貯湯槽が温まる。
作業員が笑う。
「これ、風呂に回せるな」
誰かが言った。
レオルがすぐ、
「まだ試験段階です」
と止める。
それでも周囲の顔は明るい。
魔法が一つ。
役に立つ形になった。
ユリウスはその場に立ちながら、以前レオルが言った言葉を思い出していた。
誰でも使える魔法ほど価値がある。
今は少し分かる。
一人でしか使えないものと。
町全体で使えるもの。
どちらが上という話ではない。
役割が違う。
その時。
鉱山管理局の伝令が走ってきた。
「レオル主任!」
息を切らしている。
「何」
「北西の山麓町から緊急報告です」
紙を渡す。
レオルが開く。
顔から色が消えるほどではない。
ただ、目が細くなる。
「何が」
リシェルが聞く。
レオルが読む。
「定式魔法が、まとめて弱った」
ユリウスの背中に汗とは違うものが流れた。
「どれくらい」
「三分ほど。完全停止じゃない」
「場所は」
「ここから二十里先」
セラが聞く。
「何の魔法」
レオルは紙を見たまま答える。
「照明。給水。保温。それから簡易治療」
用途が違う。
全部。
同時に。
ユリウスは無意識に、さっきまで動いていた《熱移送式》を見る。
青い線は正常に光っている。
偶然。
そう思うには、タイミングが近すぎた。




