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『魔法は、拾うところから。』 ―廃材回収人は失われた魔法開発を再発見する―  作者: asnt2026


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第26話 逃がす場所

走って戻る途中で、空気が変わった。


風が止まった。


坑道内を流れていたはずの弱い風が消える。


すぐに暑くなる。


湿った空気が喉へ張り付き、息を吸うたび胸の奥まで重くなる。


「換気!」


ミラドが携帯術具を取り出す。


壁の制御板へ押し当てる。


青い線。


一瞬。


消える。


もう一度。


点く。


消える。


「まただ!」


「地上へ!」


セラが後ろを見る。


その時、ガロが鼻を押さえた。


「急げ」


声が変わる。


「何」


「嫌な匂いだ」


「ガス?」


リシェルが聞く。


ガロは頷く。


坑道の奥。


見えない。


でも来ている。


ミラドが顔色を変えた。


「この辺で出るなら硫気だ。吸い続けるな」


ユリウスには匂いが分からない。


それが余計に怖い。


分からないものが迫っている。


走る。


けれど足元のレールと湿った岩で速度が上がらない。


前方。


右側の壁に、古い圧力計がある。


針が震えている。


ミラドが一瞬見る。


「まずい」


「何が」


「換気が止まって、奥の熱気が押してる」


「圧力?」


「溜まれば一気に噴く」


昨日買った圧力弁が頭へ浮かぶ。


溜まる。


開く。


逃がす。


何年も。


何千回も。


ユリウスの足が止まった。


「何してる!」


セラが叫ぶ。


「逃がせる」


「何を!」


「圧です!」


鞄を開く。


古い圧力弁。


火竜の巣石。


古い坑道支柱の欠片。


「ここで新しいことする気ですか」


リシェルが戻ってくる。


「新しくない」


「何が」


「《受衝》と同じです。溜めたら、逃がす」


リシェルの目が材料へ走る。


理解が追いつく。


「衝撃じゃなく、圧力を」


「できると思う」


「どこへ逃がすの」


そこで止まった。


逃がす。


でもどこへ。


前へ逃がせば自分たちへ来る。


後ろは硫気。


左右は岩。


上。


天井。


駄目。


崩れる。


「換気井」


ミラドが言った。


「何?」


「旧坑の上に一本だけ古い換気井がある」


坑道から地上へ縦に抜ける狭い穴。空気を入れ替えるための煙突のような設備で、今は補助用にしか使っていないという。


「どこ!」


「二十歩先、左!」


走る。


壁に鉄格子。


その奥。


縦穴。


上からわずかな光。


「ここなら?」


ユリウスが聞く。


ミラドが頷く。


「地上へ抜ける」


リシェルがすぐに位置を決める。


「入口の圧を受ける材料。中継。出口へ向けて逃がす材料」


「圧力弁が最後」


ユリウスが言う。


「逆です」


「え」


「弁は溜めた後に開く。最後に置くなら、開いた先へ流れを渡す物が要ります」


「何を」


ガロが壁から古い金具を剥がした。


「これ」


昔の換気扉の蝶番。


長年、風圧で同じ方向へ押され続けていた。


「使える?」


「分からん」


「今はそれでいい」


ユリウスが取る。


支柱片。


圧力弁。


蝶番。


配置。


向き。


圧力弁は、どちらへ開いていた。


昨日見た。


片側だけ磨耗している。


逃がしていた方向。


合わせる。


蝶番も。


ガロが示す。


「こっちへ押されてた」


「ありがとう」


魔力を通す。


反応しない。


「違う」


リシェルがしゃがむ。


「支柱は受けるだけです。圧を受けて、戻す方向がない」


「じゃあ何を」


ミラドが壁を指す。


「古い蒸気蓋」


丸い金属板。


何十年も内部圧を受け続けてきた。


ユリウスが交換する。


受ける。


溜める。


開く。


流す。


蒸気蓋。


圧力弁。


換気扉の蝶番。


三つ。


魔力。


最初の板が震える。


二つ目。


ばねが小さく鳴る。


三つ目。


蝶番が動く。


「来た」


ユリウスが息を吐く。


坑道の空気が一瞬止まった。


次の瞬間。


ごう。


換気井へ風が吸われた。


髪が引かれる。


服が鳴る。


奥から押してきていた熱気が、左へ曲がる。


鉄格子の向こうへ。


上へ。


一気に。


ガロが鼻を押さえたまま叫ぶ。


「今だ、行け!」


全員走る。


風が後ろから追ってくる。


ユリウスは最後に材料を掴む。


熱い。


圧力弁が白み始めている。


「早く!」


セラの声。


離れる。


数十歩。


背後で大きな音。


換気井の上から何かが噴き出した。


地上まで抜けたのだろう。


土埃が坑道へ落ちる。


それでも前方の空気が少し動き始めた。


通常換気が戻った。


青い術式線も点灯する。


「戻った」


リシェルが壁を見る。


「今は」


その言い方だけで安心できない。


          ◇


地上へ出た時、昼の光が眩しかった。


全員しばらく目を細める。


外気は暑い。


それでも地下の重い空気を抜けたあとでは、風が冷たく感じた。


ミラドが地面へ座り込む。


「助かった」


それだけ言った。


セラも壁へ背を預ける。


左腕を庇っている。


リシェルが気づく。


「腕」


「今はいい」


「よくありません」


「息整えてからにしろ」


ガロは少し離れたところで何度も深呼吸している。


ユリウスは材料を見る。


圧力弁。


色がかなり薄い。


蝶番。


端が白い。


蒸気蓋の欠片。


まだ残っている。


「消えてない」


リシェルが横へ来る。


「最低限の出力だったからでしょう」


「それもある」


「何か他に?」


ユリウスは換気井を見る。


圧を消したわけではない。


地上へ出した。


移した。


「逃がしただけ」


リシェルも少し黙る。


セラが遠くから言った。


「それで助かったんだからいいだろ」


ユリウスは頷きかける。


でも。


森のことが頭へ浮かんだ。


切らない方法。


使えるものと使っていいもの。


逃がす。


どこへ。


今回は地上だった。


人もいない。


たぶん問題ない。


たぶん。


その言葉が少し引っかかった。


「名前」


ミラドが言う。


「何?」


ユリウスが聞く。


「今のやつ。名前あるのか」


「ないです」


セラが息を整えながら言う。


「《圧抜》でいいだろ」


リシェルが紙を取り出す。


「分かりやすいですね」


「珍しくすぐ採用したな」


「現象と一致しています」


《圧抜(プレッシャー・ベント)》。


紙の上に名前ができる。


ユリウスは換気井を見る。


便利な魔法。


危機を救った魔法。


けれど、どこへ逃がしたかまで考えなければならない。


それだけは、名前より先に覚えておこうと思った。

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