第25話 暗い場所で、見えるもの
鉱山の朝は、空が明るくなるより先に始まる。
宿の窓を開けた時には、すでに坂道を鉱石運搬車が上り下りしていた。鉄輪が石畳を擦る音と、遠くの鍛冶場から響く槌音が重なり、薄い朝靄の中へ煤と焼けた金属の匂いが流れている。
山の稜線から日が出る。
光は白い。
ヴェルディアの朝が葉を何枚も通して柔らかく落ちていたのに対し、ドルグラードの光は岩へそのまま突き刺さるようだった。
ユリウスは宿の前で鞄を開いていた。
「それ全部持っていくのか」
セラが後ろから聞く。
「今日は坑道の奥ですよね」
「だから聞いてる」
「何が必要になるか分からないので」
「暗い場所に釘十七本は要らん」
「種類が違います」
「その返し、もう飽きたぞ」
ユリウスは無視して鞄を閉じた。
その横でリシェルが資料をまとめている。
鉱山管理局から借りた坑道図。
瞬断が起きた箇所の記録。
魔力供給量の推移。
どれも細かい字でびっしり埋まっていた。
ガロは朝から水を多めに飲んでいる。
毛の奥まで暑そうだった。
「大丈夫です?」
ユリウスが聞く。
「聞くな」
昨日と同じ答えだった。
セラだけが妙に静かだった。
盾を背負い、大剣の位置を直す。
左手。
握って。
開いて。
また握る。
ユリウスが見ていると、気づかれた。
「何だ」
「手」
「何でもない」
「昨日も痺れてるって」
「治った」
即答だった。
リシェルが振り返る。
「痺れ?」
セラの目がユリウスへ向く。
余計なことを。
そう書いてある。
「竜の爪を受けた時に少し」
ユリウスは言った。
「お前」
「怪我は見せた方が」
「座ってください」
リシェルの声が被った。
セラが嫌そうな顔をする。
「今から坑道だぞ」
「だからです」
「動く」
「検査してから動いてください」
「平気だ」
「それを判断するのはあなたではありません」
「私の腕だぞ」
「だからなおさらです」
ガロが宿の壁へもたれて見ている。
ユリウスは少し離れた。
巻き込まれない方がいい。
セラがこちらを見る。
「お前だけ逃げるな」
結局、左腕は軽い打撲と筋の炎症だった。
骨に異常はない。
リシェルが湿布を巻き直す。
「今日は盾で大きな衝撃を受けないでください」
「状況による」
「受けないでください」
「だから」
「受けないでください」
セラが口を閉じた。
ユリウスは少し感心した。
「強いですね」
「何が」
リシェルが聞く。
「いや」
言わない方がいい。
◇
鉱山保全部のミラドが、坑道入口で待っていた。
「今日は第三旧坑へ入る」
壁の坑道図を指す。
昨日まで調べていた場所より深い。
現在は主要採掘路として使われていないが、換気設備と地熱測定のために一部だけ保守されているらしい。
「瞬断は?」
リシェルが聞く。
「一回。換気が一・六秒落ちた」
「他には」
「妙なことがある」
ミラドが指先を地図の一点へ置く。
「ここだけ、壁の温度が上がってる」
「火山帯なら変動はあるんじゃ」
ユリウスが聞く。
「ある。だがこれは逆だ」
「逆?」
「普通なら深い方が熱い。この場所は手前だけが上がってる」
ミラドは地図を指でなぞる。
「しかも一週間で三度」
リシェルが眉を寄せた。
「地熱の移動?」
「地質班は否定した」
「魔法設備は」
「壊れてない」
まただ。
壊れていないのに、おかしい。
その言葉だけで、ハルドの手紙が鞄の中にあるのを思い出す。
◇
第三旧坑は暗かった。
魔法灯がある。
けれど主要坑ほど数が多くない。
十数歩ごとに一つ。
白い光が岩肌を照らし、その先はすぐ闇へ沈む。
空気は重かった。
地下の湿気に鉄粉と油、それから熱を持った石特有の乾いた匂いが混ざっている。奥から流れてくる風は弱く、立ち止まると首筋へ汗が浮いた。
「換気が止まったら」
ユリウスが言う。
「長居はしない」
ミラドが答える。
「この辺りには有毒ガスが出る層もある」
「それ先に言ってください」
「だから案内してる」
前を歩くガロの耳が時々動く。
「匂う?」
ユリウスが聞く。
「石」
「それは見れば」
ガロが振り返った。
「普通の石じゃない匂い」
「どんな」
「熱い」
ユリウスは黙る。
説明としてはよく分からない。
でもガロの鼻は、自分の目より信用した方がいい。
坑道は途中で二つに分かれた。
右。
現在も保守されている道。
左。
古い採掘跡。
鎖で封鎖されている。
ガロが左を見る。
「こっち」
ミラドが止める。
「閉鎖区画だ」
「匂いがそっちから来る」
「熱?」
「それだけじゃない」
ガロは少し考える。
「土が起きてる」
セラがため息をつく。
「森の次は山か」
「同じとは言ってない」
「その言い方が一番嫌だ」
リシェルが坑道図を見る。
「閉鎖理由は?」
「崩落じゃない。鉱脈が切れたから放棄しただけだ」
「入れます?」
ミラドが一度悩んだ。
「十分だけだ」
◇
古い坑道には魔法灯がなかった。
ミラドが携帯灯を出す。
腰へ下げられる筒形の術具で、内部の小さな発光石へ定式術式を通すと前方だけを照らす。坑夫が両手を空けたまま歩くための実用品だった。
ユリウスも借りる。
白い光が岩へ当たる。
狭い。
天井も低い。
使われなくなった支柱が、ところどころ黒く残っている。
「これ、全部古いな」
セラが言う。
ユリウスの目もそこへ行く。
「見ない」
セラが先に言った。
「まだ何も」
「顔」
全員に言われるようになって久しい。
さらに進む。
ガロが止まった。
「ここ」
壁。
見た目には同じ黒岩。
ただ一部だけ、細い亀裂が何本も走っている。
ユリウスが手を近づける。
熱い。
触れなくても分かる。
「昨日の巣石より弱いけど」
「ここだけ高い」
リシェルが測定術具を当てる。
「周囲より十一度高い」
「地熱じゃない?」
「深度と位置から考えると不自然です」
ユリウスは壁を見た。
熱。
どこから来た。
《熱渡し》で動いているなら。
入口と出口がある。
「追えないかな」
「何を?」
セラが聞く。
「熱が通った道」
リシェルがすぐ理解した。
「《熱脈》」
「使えます?」
「この岩自体に履歴があれば」
ユリウスは昨日持ち帰った火竜の巣石を取り出す。
少量。
それだけでいい。
それから坑道で拾った古い熱割れ石。
方向を揃える。
「何をする」
ミラドが聞く。
「熱を移すんじゃなくて、どっちから来てるか見たい」
「見えるのか」
「たぶん」
セラが横で言う。
「いつものだ」
魔力を通す。
石片が反応する。
壁の亀裂へ薄い赤が走った。
最初は短い。
次に、その先。
岩の内部へ続く。
直接は見えない。
けれど表面に近い部分だけ、赤い筋が途切れながら奥へ伸びていく。
右。
下。
さらに奥。
「道みたい」
ユリウスが呟く。
リシェルが壁を追う。
「自然な熱伝導なら、もっと広がるはずです」
「細すぎる?」
「はい」
ガロが耳を壁へ寄せた。
「音がする」
全員が静かになる。
最初は何も聞こえない。
しばらくして。
こつ。
小さな音。
また。
こつ。
一定ではない。
ずっと奥。
「何か動いてる?」
セラが剣へ手をかける。
ガロは首を横へ振る。
「水じゃない」
ユリウスが材料を入れ替えた。
青銅鐘片。
空洞枝。
反響岩。
《響返》。
今度は音を返すのではなく、地下へ投げる。
こん。
低い音が岩へ沈む。
返ってくる。
近い。
次。
遠い。
さらに。
妙に深いところから、遅れて返る。
リシェルが息を止めた。
「空洞があります」
「大きい?」
「かなり」
ミラドの顔が変わる。
「この先に空洞は記録されてない」
坑道図を見る。
何もない。
掘っていない場所。
「なら昔から?」
ユリウスが言う。
誰も答えない。
その時。
魔法灯ではない携帯灯が一瞬暗くなった。
ほんの一拍。
戻る。
全員が止まる。
リシェルが灯りを見る。
ミラドも。
「今の」
ユリウスが言う。
「瞬断だ」
ミラドの声が低い。
同時に。
奥で大きな音がした。
こつ、ではない。
どん。
壁が震える。
石粉が落ちる。
ガロが顔を上げた。
「出るぞ」
今回は誰も理由を聞かなかった。




