第24話 竜より、巣の石
「火竜を見る?」
翌朝。
セラが食事の手を止めた。
ユリウスが頷く。
「見たいです」
「竜を?」
「巣を」
「何で」
「熱を受け続けてるので」
セラはしばらく黙った。
パンを置く。
「もう一回聞くぞ。火竜を見に行くんだよな?」
「はい」
「目的は?」
「巣です」
「竜は?」
「できれば近づきたくない」
ガロが横で食べていた干し肉を噛み切る。
「正しい」
リシェルは食後の茶を飲みながら記録を読んでいる。
「鉱山管理局から、今日近隣の竜狩りが一隊出るそうです」
セラが眉を上げる。
「もう話つけたのか?」
「昨日」
「いつの間に」
「ユリウスが廃材を買っている間です」
準備が早い。
竜狩り。
ドルグラードでは、鉱山周辺へ近づく大型竜種を追い払い、必要なら討伐する専門の狩人たちがいる。鎧よりも耐熱布と軽い金属装備を重ね、長槍や大型弩で翼や脚を狙う。
火竜は特に厄介だった。
炎を吐く。
そう聞いてユリウスは最初、火そのものを吐くと思った。
実際は少し違う。
「喉の奥で熱い油みたいな液を作る」
出発前、竜狩りの隊長が説明した。
名はバルガ。
片目の上に古い火傷がある。
「それを噴いて、空気に触れたところで燃える。だから口を開いた瞬間に正面へ立つな」
セラが頷く。
「横へ抜ける」
「知ってるのか?」
「似たのと戦った」
「なら話が早い」
バルガはユリウスを見る。
「そっちは?」
「巣を見ます」
「何?」
「巣の石を」
沈黙。
バルガがリシェルを見る。
「連れてく必要あるか?」
「あります」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは断言してくれ」
ユリウスは少し申し訳なくなった。
*
火竜の巣は、鉱山都市から北東へ半日ほど登った火口跡にあった。
近づくほど植物が減る。
黒い岩。
赤い亀裂。
時々、地面の隙間から白い蒸気が出ている。
空気は乾いているのに、喉へ張りつくような熱がある。硫黄と焦げた鉱物の匂いが濃くなり、陽光まで白く眩しく見えた。
ガロが鼻を押さえる。
「嫌いだ」
「匂い?」
ユリウスが聞く。
「全部」
毛のあるガロには相当つらそうだ。
セラは逆に少し動きやすそうだった。
足場を確認する。
熱の流れを見る。
竜狩りたちの位置まで自然に把握している。
「前に出るなよ」
ユリウスへ言う。
「出ません」
「材料見つけても」
「善処します」
「出る気だな」
「善処します」
リシェルが杖でユリウスの鞄を軽く叩いた。
「絶対に出ないでください」
「はい」
今度は素直に返事した。
*
火竜が現れた時、最初に聞こえたのは羽音ではなかった。
石が転がる音。
上。
崖の縁。
黒赤い翼が広がる。
思っていたより大きい。
翼を開けば、小さな家なら隠れそうだった。
鱗は真っ赤ではない。
黒。
その間に赤い筋が走っている。
熱された鉄のような色。
竜が息を吐く。
白い蒸気。
バルガが腕を上げる。
竜狩りたちが散開した。
「来るぞ!」
火竜の喉が膨らむ。
口が開く。
次の瞬間。
液体が飛んだ。
空中で燃える。
炎の帯。
地面へ叩きつけられる。
熱が一気に広がった。
ユリウスの頬が焼ける。
遠い。
それでも熱い。
「下がれ!」
セラが盾を出す。
四人を岩陰へ押し込む。
炎は通り過ぎた。
岩の表面が赤くなる。
「これを何回も?」
ユリウスが呟く。
視線は竜ではなく岩へ向いていた。
黒い岩。
一部だけ表面が滑らか。
何度も炎を受け、何度も冷えた跡。
同じ方向。
同じ場所。
同じ熱。
「巣」
声が漏れる。
セラが振り返る。
「今行くなよ」
「行きません」
本当は行きたい。
ものすごく。
火竜が飛ぶ。
竜狩りの大型弩が鳴る。
一本。
翼膜の端へ刺さる。
竜が傾く。
地面へ降りる。
セラが前へ出た。
「護衛じゃなかったんですか!」
ユリウスが叫ぶ。
「護衛だから前に出るんだ!」
大剣を抜く。
火竜の爪とぶつかる。
金属音。
セラの足が下がる。
一歩。
二歩。
盾で横へ流す。
《受衝》は使わない。
材料を温存したからではない。
今の衝撃なら、セラ自身が捌ける。
ユリウスにはそれが分かった。
無駄に使わない。
必要な時だけ。
自分へ言い聞かせる。
*
状況が変わったのは、火竜が巣側へ後退した時だった。
尾が岩を叩く。
崩れる。
大きな岩塊が落ちる。
その下に竜狩りが一人。
「危ない!」
リシェルの風が当たる。
岩はずれる。
でも足りない。
セラが走る。
間に合わない。
ユリウスの目が巣の岩へ向いた。
赤く焼けた場所。
熱。
《熱渡し》なら移せる。
でも今欲しいのは熱を別の物へ移すことではない。
岩そのものが熱い。
竜狩りの逃げ道を塞いでいる。
熱を。
横へ。
一点から。
別の場所へ。
「方向」
ユリウスは走った。
「ユリウス!」
リシェルの声。
足元の黒い石を拾う。
熱い。
手袋越しでも分かる。
古い巣岩。
表面には細い筋が走っている。
溶けて固まった跡。
何度も熱が、同じ亀裂へ沿って逃げている。
「これ」
持てる大きさへ割る。
一個。
二個。
三個。
どれも亀裂の方向が似ている。
「セラ!」
「何!」
「こっちへ!」
彼女が振り返る。
説明する時間はない。
ユリウスは岩片を地面へ並べる。
熱い場所から。
横。
さらに横。
人のいない岩壁へ。
《熱渡し》ではなく。
熱を一つずつ隣へ渡す。
線にする。
リシェルが気づいた。
「一気に移すんじゃない」
「はい!」
「道を作る?」
「たぶん!」
「またそれですか!」
それでも彼女は横へしゃがんだ。
岩片の向きを直す。
「この亀裂、逆です」
「こっち?」
「そう!」
火竜が唸る。
セラが前で盾を構える。
「早くしろ!」
ユリウスが最初の石へ魔力を通す。
反応。
弱い。
次。
三つ目。
線。
熱が動く。
目には見えない。
でも手袋越しに伝わる。
最初の岩が少し冷える。
二つ目が熱くなる。
三つ目。
その先の岩壁。
赤い筋が一瞬だけ走った。
リシェルの目が見開く。
「通ってる!」
「もっと!」
ユリウスが魔力を流す。
巣側の地面。
熱が横へ逃げる。
竜狩りのいた場所の熱気が少し下がる。
完全ではない。
ただ、踏める。
「今!」
セラが叫ぶ。
倒れていた男の襟を掴む。
引く。
燃えかけた岩場を三歩。
四歩。
抜ける。
その直後。
火竜の炎が再び地面を舐めた。
セラが男を投げるように安全圏へ押し出す。
自分も飛び込む。
ユリウスの材料が白くなり始めた。
巣岩。
一つ。
崩れる。
次。
まだ残る。
「切れます!」
リシェルが叫ぶ。
「もう十分!」
セラの声。
ユリウスは魔力を止めた。
光もない。
音も小さい。
それでも地面には、熱が通った細い筋だけが残っていた。
*
火竜は討たれなかった。
竜狩りたちが翼を傷つけ、山の奥へ追い払った。
バルガはそれで十分だと言った。
「巣から離れれば、しばらく戻らん」
セラが大剣を収める。
「倒さないのか」
「毎回殺してたら、この辺の竜はいなくなる」
「困る?」
「他の魔獣が増える」
ガロが少しだけバルガを見る。
似たものを感じたのかもしれない。
ユリウスは話を半分しか聞いていなかった。
しゃがんでいる。
巣の石の前。
セラが戻ってくる。
「お前」
「はい」
「竜は?」
「行きましたね」
「見てなかっただろ」
「途中までは」
「何見てた」
ユリウスは石を持ち上げる。
「これです」
黒い岩。
炎を受け続けた表面。
細い亀裂。
熱が通った方向。
セラが数秒黙る。
「竜の鱗より?」
「たぶんこっちの方が使えます」
「普通逆だろ」
「鱗は何を繰り返してきたかまだ分からないので」
ガロが近づく。
落ちていた火竜の鱗を一枚拾う。
匂いを嗅ぐ。
「熱に耐えてる」
ユリウスの顔が上がる。
「ください」
「ほら、欲しいんじゃないか」
セラが言う。
「巣の石の次です」
「順位の問題か?」
リシェルがさっきの岩片を調べている。
「ユリウス」
「はい」
「今の現象、整理できます?」
ユリウスは地面を見る。
一直線ではない。
岩片を繋いだ線。
熱がそこを通った。
生んでいない。
消していない。
移した。
でも《熱渡し》より細かく、道を作った。
「熱の道」
セラが言う。
「そのままだな」
ユリウスが返す。
「でも分かりやすい」
リシェルは少し考え、記録紙へ書いた。
《熱脈》
その横。
《ヒートライン》。
「仮称です」
セラが紙を覗く。
「今日は私じゃないのか」
「毎回あなたが決める必要はありません」
「勝率下がったな」
「競技ではありません」
二人の声を聞きながら、ユリウスは巣石を撫でた。
ざらついている。
表面には古い熱の跡が幾重にも残っている。
火竜より。
巣の方が気になる。
そう言えば普通は呆れられる。
もう三人とも、以前ほど驚かなかった。
そのことが少しだけ嬉しかった。
*
帰り道。
セラが最後尾を歩いていた。
いつもより静かだった。
ユリウスは少し前を歩きながら、何度か振り返る。
左腕。
盾。
問題はないように見える。
でも、大剣を持つ手を時々開いている。
「痛いんですか」
声をかける。
「何が」
「手」
セラが指を止める。
「少し痺れただけだ」
「竜の爪?」
「大したことない」
「リシェルに」
「言うな」
即答。
ユリウスは眉を寄せる。
「なんで」
「騒ぐ」
「怪我なら見せた方が」
「明日には治る」
歩調を上げる。
前へ行く。
その背中を見ながら、ユリウスは何となく引っかかった。
セラは使うことには迷わない。
材料も。
魔法も。
自分の身体も。
必要なら前へ出す。
それを強さだと思っていた。
今もそう思う。
ただ。
使ったものが減るのは、材料だけではない。
その考えが、一瞬だけ頭を通った。
ユリウスは何も言わず、セラの少し後ろを歩いた。
今はまだ。
何を言えばいいのか分からなかった。




