第15話 材歴
翌朝、ガロは村の奥へユリウスたちを連れていった。
道は途中で消えた。
正確には、ガロにだけ見えている。
低い枝を避け、根の盛り上がりを跨ぎ、時々足を止めて風を確かめる。そのたびセラが「道、本当に合ってるのか」と聞くが、ガロは一度も振り返らなかった。
森の奥は静かだった。
鳥はいる。
虫も鳴いている。
けれど巨木が音を吸い込んでいるのか、遠くへ広がらない。
朝の光は何層もの葉に遮られ、地面まで落ちる頃には緑色に薄まっていた。湿った樹皮へ鼻を近づけなくても、苔と土と古い木の匂いが濃く感じられる。
やがて一本の巨木の前で、ガロが止まった。
幹の片側だけが大きく曲がっている。
長い年月、同じ方向から風を受けてきたのだろう。風上側の枝は短く、反対側へ伸びた枝は太い。
近くには若い木もある。
同じ種類らしい。
「比べろ」
ガロが言った。
ユリウスは巨木を見る。
「切っていいんです?」
「落ちた枝だけだ」
足元には、昨夜の風で落ちたらしい枝が何本か転がっている。
若い木の下にも細い枝があった。
ユリウスは両方を拾う。
見た目だけなら、大きさの違いしかない。
同じ樹種。
同じ森。
ただ過ごしてきた時間が違う。
リシェルが二本を調べる。
「材質構造には差があります。老木側は密度が高い」
「それだけなら、密度の差かもしれない」
ユリウスは言った。
「だから別の場所も見る」
ガロが巨木の周囲を歩く。
風上側。
風下側。
同じ一本の木から落ちた枝を二本拾った。
「こっちは風を受ける」
風上側。
「こっちは逃げる」
風下側。
ユリウスの指が止まる。
昨日まで何度も出てきた。
同じ材料。
同じ物。
それでも、場所と向きで違う。
四本を持ち帰った。
*
村外れの作業小屋を借りた。
窓はなく、壁の隙間から細い光が差し込んでいる。乾燥させた薬草が梁から吊られ、木の脂と土、それに少し苦い葉の匂いが室内へ溜まっていた。
机の上には枝が四本。
若木。
老木。
老木の風上側。
老木の風下側。
リシェルが記録紙を広げる。
セラは壁際で蜜焼きを食べている。
「また買ったんですか」
「研究用だ」
「何の研究です」
「黙って続けろ」
ガロは戸口に座っている。
ユリウスは若木の枝へ魔力を流した。
ほとんど反応しない。
老木。
わずかに、横へ押される感触。
風上側。
強い。
風下側。
弱い。
「もう一回」
リシェルが言う。
同じ。
向きを変える。
今度は反応が落ちた。
元の向きへ戻す。
強くなる。
部屋の空気が少し変わった。
派手な発見ではない。
光も出ない。
けれど今まで曖昧だったものが、一つずつ場所を持ち始めていた。
リシェルが紙へ線を引く。
「少なくとも四つあります」
セラが蜜焼きから顔を上げる。
「何が」
「反応を決める条件です」
一つ目の枝を示す。
「何度も同じ現象を受けていること」
ユリウスが頷く。
古橋縄。
滑車。
窯石。
一度ではない。
繰り返している。
「《反復》」
リシェルが書いた。
次に風上側の枝。
「同じ現象でも、どちらから受けたかで反応が変わる」
「《方向》」
ユリウスが言う。
リシェルが書く。
三つ目。
森の入口で拾った古い腐木。
年数だけなら十分だった。
けれど魔力を通しても、ほとんど何も返ってこない。
指で押せば崩れる。
「長くあっても」
ユリウスは腐木を触る。
「残せない物は駄目」
リシェルが少し考える。
「《保持》」
今度はセラが口を挟んだ。
「つまり、何回も受けたものが、壊れずに中へ残ってるってことか」
「中に何かが詰まっているわけではありません」
「簡単に言ってる」
「簡単すぎます」
「通じればいいだろ」
ユリウスは笑いそうになった。
最後。
同じ橋縄でも、何十年も使われた部分と途中で交換された部分では反応量が違った。
老木でも、長く風を受けてきた太い枝の方が強い。
積み重なった時間。
回数。
受けた強さ。
「これは」
ユリウスが迷う。
量とも違う。
年数だけでもない。
深さ。
積もり方。
「厚み」
口に出した。
リシェルが顔を上げる。
「《厚み》?」
「同じことを繰り返してても、十回と千回じゃ違う。軽く受けたのと、ずっと強く受けてきたのも違う」
リシェルは少し考えたあと、そのまま書いた。
《厚み》。
四つ並ぶ。
《反復》。
《方向》。
《保持》。
《厚み》。
セラが紙を覗き込む。
「急に学問っぽくなったな」
「学問にしようとしているので」
リシェルが言った。
「まだ早くないですか」
ユリウスが聞く。
「早いから記録するんです。間違っていれば後で直せます」
ガロが戸口から口を開いた。
「名前がないと話しにくい」
リシェルが頷く。
「その通りです」
ユリウスは四つの言葉を見る。
材料に残るもの。
でも記憶ではない。
石がパンを覚えているわけではない。
縄が橋を懐かしんでいるわけでもない。
火。
圧力。
振動。
温度差。
重さ。
曲がり。
現象が物へ積み重なっている。
それを自分たちは拾っている。
「材料が通ってきた履歴」
ユリウスが呟く。
リシェルの筆が止まる。
「もう一度」
「材料の履歴です。何をされたか。どちら向きに。どれくらい。どれだけ残ってるか」
「材料履歴」
リシェルが口の中で転がす。
セラがすぐに言った。
「長い」
「まだ名前を決めてません」
「絶対長くなる」
「では」
リシェルが紙へ二文字書いた。
《材歴》。
ユリウスはしばらく見た。
「ざいれき」
「材料が持つ物理的な履歴。仮称です」
「いいんじゃないか」
セラが言う。
「短い」
「そこだけで決めないでください」
「分かりやすい方がいい」
ガロも紙を見る。
「俺たちの言い方とは違う」
「森が入る、でしたか」
ユリウスが聞く。
「ああ」
「どっちが正しいんでしょう」
ガロは少し考えた。
「同じ物を違う言葉で見てるだけかもしれん」
その言葉が、ユリウスには妙に残った。
理屈で見る。
暮らしで見る。
同じ物でも入口が違う。
だから、片方だけでは見えないものがある。
リシェルが紙の一番上へ大きく書いた。
《材歴》。
その下に四つの条件。
ただの仮説。
まだ間違っているかもしれない。
それでも今まで散らばっていた石や縄や金具が、同じ机の上へ乗った気がした。
ユリウスは紙から顔を上げる。
「じゃあ」
セラが嫌そうな顔をする。
「その顔は何だ」
「試したい」
「やっぱりか」
「今までより、狙って作れるかもしれない」
リシェルの目も少し変わった。
ガロだけが静かだった。
「何が欲しい」
ユリウスは答えようとして止まる。
それまでなら、見つけた材料から考えていた。
今は違う。
欲しい現象を先に決められるかもしれない。
初めてだった。
「音」
そう言った。
三人が見る。
「音を、返してみたい」




