第12話 雨を集める
雨は昼前から降り始めた。
細い雨だった。
大粒ではない。
けれど止まる気配もなく、葉の上へ落ちた水が次から次へ溜まり、やがて先端から一定の間隔で落ちてくる。
ヴェルディアの外縁に近づくにつれ、木々は明らかに大きくなっていた。
幹の太さは王都周辺の森とは比べものにならず、何本かは四人で腕を回しても届かない。地面には厚く腐葉土が積もり、歩くたびに柔らかな感触が靴底へ返ってくる。
雨と土と樹皮の匂い。
少し青い苔の匂い。
湿った空気が服の内側まで入り込み、呼吸するたび肺が冷える。
「最悪だ」
セラが言った。
「雨、嫌いなんですか」
「鎧が重くなる」
「外せば」
「お前が前に出るか?」
「やめときます」
即答した。
リシェルは外套の留め具を締め直している。
ガロだけはほとんど気にしていない。
「今夜はこの先の岩棚で休む」
「宿は」
セラが聞く。
「ない」
「屋根は」
「岩」
「ベッドは」
「地面」
「帰りたくなってきた」
それでも歩く。
雨脚は少しずつ強くなった。
夕方前、岩棚へ着いた頃には全員濡れていた。
奥行きのある岩陰で、天井から水は落ちてこない。
ただし横殴りの風が入る。
火を起こす。
ガロが乾いた樹皮を出し、セラが小枝を折る。
リシェルは濡れた外套を脱いだ。
ユリウスも鞄を下ろす。
中身を確認した瞬間、顔が固まった。
「濡れてる」
「何が」
「材料」
セラが呆れた顔をする。
「お前、自分より先にそっちか」
「紙もです」
「ならまだ分かる」
ユリウスは布包みを開く。
大半は無事。
ただ、木片と縄は少し水を吸っている。
「乾かせるか」
ガロが聞く。
「火で?」
「焦げる」
リシェルが言う。
「温風術式を使えます」
杖を取り出す。
小さな術式が光る。
暖かい風が流れる。
ユリウスは材料を並べた。
その横で、セラが濡れた靴を脱いだ。
「こっちも頼む」
「人の靴まで乾かすために使う術式では」
「ついでだろ」
「用途外です」
「便利に使え」
「定式魔法は用途を守って」
「堅いなあ」
「だから堅物ではありません」
まだ気にしていた。
ユリウスは少し笑った。
温風を受けている材料の中に、一つ見覚えのないものがある。
薄い銀色の葉。
「これ何です?」
ガロの革袋から出たものだった。
「水葉」
「初めて見ます」
「雨の多い森に生える」
掌ほどの大きさで、表面には細かな溝が何本も走っている。
葉へ落ちた水滴は、溝に沿って中央へ集まり、根元側から落ちる仕組みらしい。
雨を受け流すだけではない。
集めている。
「これ、毎回こうなるんですか」
「そうだ」
「何年くらい」
「株による」
ユリウスが黙る。
ガロが嫌そうな顔をする。
「その顔やめろ」
「どの顔です」
「拾う顔」
セラが横から言う。
「それ私も分かる」
ユリウスは葉へ指を触れた。
「一枚だけ」
「抜くな」
「落ちてるやつなら?」
ガロが少し考える。
「いい」
岩棚の外へ出る。
雨が顔へ当たる。
地面には水葉が何枚か落ちていた。
その中から、まだ形の残っている古い葉を拾う。
何度も雨を受けたはずだ。
何度も水を中央へ集めた。
「これで何がしたい」
リシェルが後ろから聞いた。
「雨を集める」
「そのままですね」
「でも水は作らない」
「そこは重要です」
岩陰へ戻る。
古い樋の木片。
水葉。
細い溝のある石。
ユリウスは順番を考える。
どれも水を通してきた。
ただし役割が違う。
受ける。
集める。
流す。
「三つ」
ユリウスが言った。
「何が」
セラが覗く。
「たぶん、三つの役目がある」
一つ目。
雨を受ける。
二つ目。
寄せる。
三つ目。
流す。
リシェルの目つきが変わる。
「順番がありますね」
「あると思う」
「では、逆にしたら?」
「やってみます」
失敗した。
水葉から水が散っただけ。
セラの顔にかかった。
「おい」
「すみません」
「次やったら有料だぞ」
順番を戻す。
受ける。
集める。
流す。
魔力を通す。
最初は何も起きない。
外から入ってくる雨粒が、岩陰の手前で少しだけ曲がった。
一滴。
二滴。
次の瞬間、空中を漂っていた細かな雨粒がゆっくりと一か所へ寄り始めた。
水葉の上。
目に見えるほど大きな滴になる。
溝へ集まり、木片を伝い、置いてあった空の鍋へ落ちる。
ぽつ。
ぽつ。
やがて一定の速さになる。
セラが鍋を覗いた。
「飲めるか?」
「雨水です」
「知ってる」
「煮沸してください」
「お前ら二人とも堅いな」
ガロは黙って見ている。
鍋に少しずつ水が溜まる。
火を使わない。
水を生み出さない。
ただ、そこにある雨を寄せている。
「名前」
セラが言う。
「早いです」
リシェルが止める。
「いや、これは分かるだろ」
ユリウスも鍋を見る。
「《雨継》」
セラが言った。
「雨を継いで集める。どうだ」
リシェルが少し考える。
「悪くありません」
「また勝った」
「勝敗ではありません」
《雨継》。
仮称が決まった。
ユリウスは水葉を持ち上げる。
表面の色が少し抜けている。
使った分だけ、何かが減っている。
まだ白くはない。
「これ、便利ですね」
セラが言う。
「そうですね」
「旅で毎日使える」
「そうかもしれない」
「戦えなくても魔法って役に立つんだな」
何気ない言葉だった。
ユリウスは少しだけ手を止めた。
魔法と言えば戦闘。
火。
風。
雷。
盾。
ずっとそう思っていた。
けれど今、鍋の中へ水が溜まっている。
ただそれだけで、今夜の水汲みは楽になる。
火で乾かすより、濡れる前に水を寄せられるかもしれない。
他にも。
考え始める。
リシェルが横で見ている。
「また始まりましたね」
「何が」
「次の使い方を考える顔です」
セラが笑う。
ガロは火へ枝を足した。
「明日から森が深くなる」
「もっと?」
「今はまだ入口だ」
雨音の向こう。
木々の隙間に、暗い森が続いている。
ユリウスは鍋へ落ちる水滴を見た。
森へ入れば、今まで知らなかったものがいくらでもある。
その考えだけで、冷えた指先が少しだけ動きやすくなった。




