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第5章

 翌日の朝食後、僕の車でシモーヌと2人で市内へと向かった。

 出発する時、母さんには2-3日後にシモーヌを送り届けるからと伝えたけれど、

「1週間でも、それ以上でも良いわよ?ルイのお仕事の邪魔にならないのなら」

 なんて笑いながら言われてしまった。

 ふふ、それじゃあ母さんの方が寂しくなるんじゃないかな?

 車窓の自然豊かな景色がだんだんと減ってくると、いよいよパリが近づいてくる。助手席のシモーヌは窓から入ってくる柔らかい風に髪をふんわりと梳かれ、ご機嫌の様子だ。

 着ている服も僕が見たことのない、ワインレッドのニットカーディガンとベージュのキュロットスカートだ。秋らしい色合いでとても素敵だった。

「その服、最近買ったのかい?よく似合ってる」

「ええ、ママンと一緒に買ったの。ママンはピンクのニットを買ったのよ」

「そうなのか…見たかったな。ママンはピンクがすごく似合うからね」

 シモーヌもだね、と続ける。

「2人は顔も似ているし、似合う色も同じかもしれないね。可愛らしい色がとても似合う。だけど、今日の君はいつもより大人っぽく感じるよ」

 ハンドルを握りながら僕が言うと、シモーヌは嬉しそうに笑った。

「本当に?」

「本当だよ。シモーヌはどんな色も上手に着こなすけれど、黒や紺、深緑、ワインレッドなどの濃いめの色を着るとぐっと大人びて見えるんだ。ファインダー越しにいつも見ている僕が言うんだから、間違いない」

「嬉しい!わたしもね、黒を着ると少しだけお姉さんになったみたいな気分になれるの。だから可愛い服だけじゃなくて、もう少しだけ背伸びした服も着てみたいな」

 笑顔のシモーヌに僕もつられて微笑んでしまう。

「せっかくの機会だし、市内でも服を見てみよう。僕が見立ててあげるよ」

「兄さんの見立てなら安心ね!兄さんはセンスが良くって、シンプルな服も差し色でステキに見せたりできるんだもの。そういうのってセンスを磨かないとなかなかできないわ」

「おや、お褒めいただきありがとう」

 その言葉を、僕は素直に受け取った。

 僕は構図だけでなく、ファッションにも拘るほうだ。撮影モデルの衣装にも色々と注文をしがちになる。それで口うるさいと思われがちなのが残念だけれど、僕としては最良の写真を撮りたいからこそ拘りたい。

 私生活でシモーヌをモデルに撮る時もあって、その時にはアクセサリーやスカーフ、ショールやらの色んな私物を使ってどうすれば最高の被写体にできるかを考えながら撮影する。僕はその瞬間がとても好きだ。

 そしてシモーヌは僕の考え得る、最良のモデルだった。

「兄さん、もう市内でしょう?」

 ふいにシモーヌが声を上げる。見慣れた道に入っていた。様々な店から漂ってくる匂いにも気づいたのだろう。歯を見せて本当に嬉しそうに笑う彼女を見ていると、連れてきて良かったなと感じる。

「実はね、シモーヌ」

 運転を続けながら、僕は切り出した。

「パリでは君を撮りたいんだ。今度の展示会に出品する予定の1枚にしたくて…どうかな?」

「えっ?わたしを?」

「うん。そのためにも君に素敵なカジュアルドレスをプレゼントしたい」

 僕がそう言うと、シモーヌは少しビックリしたような顔になった。

「……嬉しい。どんなお洋服になるのかな…とっても楽しみよ」

 抑えたような言い方をして微笑む。とてもドキドキしている様子だ。隣席の僕にもそれは伝わった。

 シモーヌは少し控えめなところもある。パリ市内ですれ違うようなキラキラした女性たちとはほんの少し違うのだ。

 …うん、何て言えばいいのだろう?

 年頃の女の子には変わりがないのに、どこかミステリアスというか……

 陰がある、というと語弊を招くかもしれない。目が不自由なことだけでなく、小さな頃のように感情を出しきらないというか……

 それが大人になった、ということ…かもしれないけれど。

 僕はファインダーを通して、ずっとシモーヌを見てきた。

 勿論、これからもそうしたい。少しずつ変わっていく彼女を見守りたいんだ。


 まずは駐車場に車を停め、僕の事務所へ向かった。

 シモーヌがここにいる間、助手のアンリには休暇を取ってもらっているから、誰かと鉢合わせることもないだろう。

 突然の訪問者があるとしたら……ハリーぐらいかな?

 けれど彼は今、ロッセーリ翁のいるヴェネツィアから旅立って、どこかへ行っていると聞いた。

 おそらくは“仕事”なのだろうけれど……

 その内容までは僕にも教えてはくれない。それは初めてヴェネツィアで会った時から変わらない。行き先ぐらいは教えてくれても、と思うのだけれど、

『それ以上は聞くな』

 彼の常套句はそれだった。

 よく喋るくせに、肝心なことはなにひとつ言わないんだよね……

 そんなことを考えながら事務所に荷物を運び入れていると、いつの間にかキッチンへ忍び込んでいたらしいシモーヌの声が聞こえてきた。

「やっぱり!予想が当たってた!」

 急いでキッチンへ向かった僕の目に、さっそく冷蔵庫チェックをしているシモーヌが映った。

「お肉はおろか、お野菜も果物も無いわ。冷凍庫もね。ちゃんと食べなきゃ体を壊すわよ?」

「シモーヌ…チェックが早すぎるよ。部屋より先に冷蔵庫かい?」

 僕は大仰に息をついてみせた。

「君が来てから色々と買い足そうと思っていたんだ。僕一人じゃそんなに食べないからね。ほらほら、荷物を解く方が先だろ?」

「えへへ…ごめんなさい」

 舌を出して悪戯っ子のように笑うシモーヌを見ると、それ以上は叱れない。

「後で買い物に行くから、その時に足りない物を買ってこようか」

 そう言って寝室に行き、彼女の持ってきたキャリー付きのトランクを開けて荷物の整理を始める。ほとんどが衣類だけれど、その中に綺麗にラッピングされた袋が混ざっていた。

「……?」

 首を傾げる僕。ハンガーに衣服を掛けていたシモーヌが微妙な雰囲気に気付いたらしく、あっと短く声を上げて近寄ってくる。

「嫌だわ、もう見つかっちゃったの?」

「え…?」

「これは、兄さんへのプレゼント」

 そう言って、彼女が袋を差し出してきた。

「開けてみて?」

 僕への……?何だろう?

 リボンを解き、袋を開けてみる。

 中から出てきたのは、綺麗な赤いニットベストだった。真っ赤ではなく、少し暗めの深紅。シモーヌが着ているカーディガンよりは明るめの…茜色とでもいうのかな。

「これを僕に?」

 笑顔のシモーヌを見遣ると、彼女は少し照れたように言う。

「兄さんの赤いヘアリボンに合わせてみたの。少し派手かなって思ったんだけど、ベストなら今の時期から着られるものね」

 編み物の得意なシモーヌは、毎年のように秋が近づくと僕に何かしら編んでくれる。

 過去にもらったマフラーやスヌード、手袋は勿論、大きな物だとセーターやストールもとても素敵な出来栄えだった。

 知らない人が見れば、目の不自由な人が編んだなんてとても信じられないはず。

 深Vネックのベストで、シャツなどにも上手く合わせやすそうだ。自分ではメインで赤は買わないからすごく新鮮に思えた。

 そしてこの色……夕焼けのような深みのある色で、とても良い。

「ありがとう、シモーヌ…」

 胸がいっぱいになってしまい、それ以上の言葉が出てこない。

 シモーヌと連れ立って姿見の前に立ち、ベストを体に合わせてみた。

「わあ!とても似合ってる。良かった…兄さんなら上手に着こなしてくれそうと思ったわ」

 きっとシモーヌの目には、赤い服を着た僕がぼんやりとしか見えていない。けれどまったくそんなふうには感じさせず、大喜びしてくれている。

「せっかくだから、着てみようか」

 シャツの上にそれを着てみると、サイズ感もピッタリだった。温かみのある色合いで、確かに僕の髪のリボンとも合う。

 鏡の中、眩しい笑顔のシモーヌが僕の隣に立っている。

 ブロンド、遠目に見れば僕も緑色の瞳、そして似たような赤い服。

 昔から僕ら兄妹はよく似ていると言われる。母さんにも『双子みたいね』と言われたりもしていた。

「うん、確かに似てるかな」

 僕の呟きにシモーヌは不思議そうな顔になる。

「わたしと兄さんのこと?」

「そう。厳密に言えば君の髪はハチミツのようなハニーブロンドだし、僕の眼はオッドアイだけれどね。でもやっぱり似てると思うんだ。服の色も合わせたらペアルックになるね」

 微笑んで言うと、彼女はクスッと笑ってくれた。

「じゃあ、兄さんもベージュのパンツに履き替えて出かける?そしたら恋人同士みたいに見えちゃうかな?」

「ええっ…それはどうだろうなあ…」

 頭を搔いて気恥ずかしそうに笑う僕。

 昨夜の話をふっと思い出した。

 ──もしも結婚するなら兄さんと──

 …なんて言われたけれど。

 何も知らない子供の頃じゃあるまいし、大人になってまでそんな言葉を聞くとは思ってなかったから結構焦ったな…

 ──でも。

 正直に言えば、嬉しかったのも事実だ。

 彼女をどこかの誰かにかっ攫われてしまうなんて絶対嫌だと思うからね。

 誰にも渡したくない、なんて言ったら、ハリーにはゲラゲラ笑われてしまいそうだ。

『シスコンが過ぎるぜ?妹離れするにはかなり時間かかりそうだな!』

 ってね……

「兄さん?」

 顔を覗き込んでくるシモーヌがいつにも増して可愛らしく見えた。

「それなら、今日一日は恋人同士みたいにパリを堪能しよう。用意ができたら…そうだな、近場を散歩しながら新しくできたカフェにでも行こうか?ランチ代わりに」

「そうね!それからいつものアンティークショップも見に行きたいな。あとは…お洋服も見て、マーケットにも寄って」

「忙しいね、2-3日じゃ到底足りなさそうだ」

 笑う僕に、シモーヌもくすくす笑う。

 そして何かを思いだしたように小さく声を上げた。

「お花!」

 玄関に置きっぱなしにしていたイエローキューピッドの花束を思い出したらしい。跳ねるように舞い戻る。そんな姿はまるで小さなウサギのようだ。

「忘れててごめんなさい。兄さん、花瓶はあるかしら?」

 花束を抱えてふたたび僕の所に現れたシモーヌはそう聞いてきた。

 僕は少し考える。ためらいがちに口を開いた。

「ああ…実はこの前、割っちゃって。いつか買いに行こうと思ってたんだ。ちょうどいい、アンティークショップで良さげな物を見繕うか」

 困り顔の僕を見て、彼女は微笑む。

「兄さんって落ち着いてるのに、そそっかしい面もあるのよね。やっぱりわたしがいないとダメかしら?」

「……そう、かもね」

 僕は苦笑いを浮かべる。

 割ったのは僕じゃなくて、遊びに来ていたハリーなんだけど…

 先月末辺りにハンブルクで捕り物騒ぎがあったとのことで、その武勇伝を話しに来たハリーがいつものようにオーバーなボディアクションをし、大きく腕を振ったところに花瓶があった、というわけ。

 ……って、僕はそそっかしい面もあるって思われてる?

 なんだか意外な言葉だった。

 シモーヌは本当に僕のことを見ているんだな、と思うと嬉しくもあり、照れもある。

(…わたしがいないとダメかしら、か)

 7歳も下の妹にそんなこと言われてしまうなんてね。

 僕もまだまだかなあ…


 さっき話していたように、僕は貰ったベストにベージュのチノパンに履き替えてから街へと出かけた。

 何気ない一瞬を撮り逃すのは惜しいので、コンデジも忘れずに。

 先日見かけた新しいカフェは少し混んでいたけれど、スイーツの種類も豊富で暫くは通うことになりそうだ。今日は軽めのランチを楽しめて、シモーヌもこの店を気に入ったようだった。

 その後は散策しつつ、のんびりとショッピングを楽しんだ。

 市内に来るとシモーヌが必ず行きたがるアンティークショップがあって、そこは僕もお気に入りの店だ。狭いながらも内装も古風な感じでオシャレだし、並んでいる商品もなかなかの揃え具合。中でも楽しめるのは、あまり見かけない東欧やロシアのインテリアグッズや素朴なアクセサリー。現地に行かなきゃ買えないような物ばかりだ。そっち方面への撮影依頼はまだ無い僕にとってはかなり魅力的だ。

「…ん?」

 シモーヌは、と見ると狭い店内を気を付けながら歩き回っている。照明も薄暗いから危ない。僕は自分の買い物は後回しにして、そっちへ近づいていく。

「何か気に入った物はある?」

 訊いてみると彼女はちょっと首を傾げて応じた。

「…いっぱいありすぎて迷っちゃう」

「そうだね。でもこういうのって、一期一会だから。欲しいと思った時に買わないと、次に巡り会えることはないかもしれないよ?どれが欲しいんだい?」

「…えっと…あれかな」

 そう呟いたシモーヌが、遠慮がちにそっと指をさした。

 その方を見た僕の目に、長方形の茶色い小箱のようなものが映る。よく見るとそれはオルゴールだった。

「へえ、小さいけれどしっかりした造りなんだな」

 蓋を開けてみると、中は片側が窪んでいて、アクセサリーなどが入れられるようにもなっていた。そこに小さなバレリーナの人形が一体入っている。

 ネジをまわしてバレリーナを平らなステージ部分に置くと、クルクルと回りながら踊り出した。曲はリストの“愛の夢”と書かれている。

「磁石で動くのかな、これはなかなか面白いね」

 可愛らしいバレリーナの動きはずっと見ていても飽きなさそうだ。

 スムーズな時もあれば、ぎこちない動きもする。磁石のせいだから仕方ないとしても、かえって愛着の湧く踊り方に見えた。

 蓋の裏側は鏡になっていて、覗き込んでいる僕ら2人が映っている。

 シモーヌの顔はとても穏やかで、優しい笑顔だった。

「じゃあ、これと…これをお願いしたいな」

 寄ってきた店主にオルゴールを手渡し、僕はさっきまで見ていたチェコ製の小さなブローチを指さした。有名なチェコビーズで、ガラス製だ。

「スカーフを留めたりもできるし、そのカーディガンはシンプルだから、こういうものを着けたりすると結構映えるんじゃないかな?」

 そう言うと、シモーヌがふふっと笑う。

 ブローチは花の形をしていて、真ん中にオパールが入っている。見る角度によって多様な色合いに映るので、単色の服に合わせるにはもってこいだ。

「綺麗ね……でも兄さん、撮影にもそれを使う気でいるでしょう?」

「…ハハ、バレた?」

「わかるわ。昔からそうだもの。撮影のことですぐ頭がいっぱいになっちゃうのは、兄さんの悪い癖よ」

「悪い癖…?せめて職業病と言ってほしいな。プロを名乗っているんだから」

 僕らは顔を見合わせて笑い合った。

 綺麗な紙袋に入れられたオルゴールとブローチを手に店を出る。次はドレスを見に行こうかと声をかけようとした時、シモーヌが少しだけふらついて車道に出てしまいそうになった。

「シモーヌ!」

 僕は慌てて手を伸ばす。彼女の手を握り、そっと引き寄せた。

「危ないから…あまり僕から離れたらダメだよ?郊外と違って、ここは車も人も多いんだから」

 シモーヌは少しビックリしたようだ。僕の手をギュッと握り返してくる。

「ごめんなさい。そうね…市内はやっぱり全然違うわ。色んな物があるし、つい意識があちこちにいっちゃって…」

 でも、とシモーヌが僕を見つめてきた。

「こうやって手を繋いでもらうと、子供の頃を思い出すの。とても懐かしい感じがして、嬉しい」

「……そう、だね…」

 握ったままの手。透き通るような綺麗な手だ。華奢な細い指…

 いつの間に、こんなに素敵な女性になったんだろう?

 ずっと見てきたはずなのに。

 ファインダー越しに見てきたって、ついさっきまで自信をもって言えたのに。

 知らないことがあったなんて。

 触れなかったら気づけなかったかもしれない。

 僕はシモーヌの手の温もりを感じながら、そんなことを思っていた。


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