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続・母ちゃんが、いる。  作者: もちむぎ


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第六章 生きている霊

第六章 生きている霊


 三浦は学校を出たその足で、小宮のもとへ向かった。


 鞄の中には、今日一日で書き込んだ手帳がある。


 教頭、同僚の教師たち、そして柏木本人。


 それぞれの証言は、細部こそ違っていたものの、ある一点では一致していた。


 柏木と小宮が親密な関係にあったとは思えない。


 しかし、三浦にはどうしても引っかかることがあった。


 柏木が、自ら面会を申し出てきたことだ。


 しかも、小宮の近況を尋ね、体調まで気にしていた。


 あれは一体、どういう意味だったのだろう。


 三浦は考えをまとめられないまま、面会室へ入った。


「三浦くん!」


 小宮は、彼の姿を見るなり明るい声を上げた。


「ちょうどよかった。聞いてほしいことがあるの」


「あ、はい。その前に、今日は少し確認したいことが……」


「また夢を見たのよ」


 三浦は口を閉じた。


 またか、と思った。


 最近、小宮は面会のたびに夢の話をする。


 柏木が迎えに来る夢。


 二人で暮らす夢。


 そして、柏木の妻がいなくなり、ようやく自分たちが結ばれる夢。


「昨日はね、柏木先生と家にいたの」


「……そうですか」


「とても静かな家だったわ。先生は何も言わずに眠っていて、私はそのそばにいたの」


 三浦は手帳を開いた。


「それは、夢の中での話ですよね」


「もちろんよ。でもね、すごく幸せだったの」


 小宮は微笑んだ。


「あの人、疲れているのよ。だから私がそばにいてあげなくちゃ」


 三浦は返事に困った。


 学校で聞いた柏木の様子が頭をよぎる。


 妻を亡くしてから、ずいぶん憔悴していたという。


 小宮は、そのことを知っていたのだろうか。


「小宮さん」


「なあに?」


「今日は、柏木先生の勤務先に行ってきました」


 小宮の表情がぱっと明るくなった。


「まあ! 先生に会ったの?」


「はい。お話を伺うことができました」


「そう! それで?」


 三浦は一度、手帳に目を落とした。


「その前に、確認させていただきたいことがあります」


「何かしら」


「小宮さんは以前、柏木先生と互いに支え合う関係だったとおっしゃいましたよね」


「ええ、もちろん」


「それを裏付けるものはありませんか」


「裏付けるもの?」


「例えば、手紙やメールです。お二人で出かけた写真でも構いません。何か、親しい関係だったことを示せるものがあれば……」


 小宮は不思議そうに首を傾げた。


「どうしてそんなものが必要なの?」


「裁判では、客観的な証拠が重要になりますので」


「でも、私たちは気持ちで通じ合っていたのよ」


「はい。ですが、その気持ちを第三者に説明するには……」


「三浦くん」


 小宮は、困った子供に言い聞かせるような口調になった。


「柏木先生はね、物を贈ったり、言葉にしたりするような器用な人じゃないの」


「……はい」


「何も言わなくても分かるのよ。あの人が何を考えているか、何を望んでいるか」


 三浦は手帳に目を落とした。


「では、柏木先生から直接、好意を伝えられたことは?」


「だから、言葉にするような人じゃないのよ」


「お二人で、どこかへ出かけたことは?」


「人目があるでしょう? 先生の立場もあるもの」


「では、お二人だけで会ったことは……」


「三浦くん」


 小宮の声が少し低くなった。


「あなた、私の話を疑っているの?」


「い、いえ! そういうわけではありません」


 三浦は慌てて顔を上げた。


「ただ、学校でお話を伺ったところ、少し食い違う部分がありまして……」


「学校の人たちに、私たちのことが分かるはずないでしょう」


 小宮はあっさりと言った。


「私たちは、誰にも知られないようにしていたんだから」


「ですが、同僚の先生方には、柏木先生との関係をお話しされていたようですが」


「それは、あの人のことを分かってほしかったからよ」


「分かってほしかった?」


「ええ。あの人は私がいないと駄目なの。なのに、周りの人は誰も気づいていないんだもの」


 三浦は黙った。


 何かがおかしい。


 小宮は、誰にも知られないようにしていたと言う。


 その一方で、周囲には自分たちの関係を理解してほしかったと言う。


 矛盾している。


 そう思った。


 だが、それをどう指摘すればよいのか分からなかった。


「それで?」


 小宮が身を乗り出した。


「柏木先生は、何て言っていたの?」


「あ……」


 三浦は言葉に詰まった。


 柏木は、同僚以上の関係を否定していた。


 それを伝えるべきだろう。


 しかし、小宮の期待に満ちた顔を見ていると、どうにも切り出しにくかった。


「その……柏木先生は、小宮さんの今の様子を気にされていました」


 言ってから、しまったと思った。


「えっ?」


 小宮の目が大きく開いた。


「本当に?」


「ええ。こちらでどう過ごされているのか、体調を崩されていないかと……」


「ほら!」


 小宮は嬉しそうに両手を合わせた。


「やっぱり!」


「あ、いえ、その……」


「そういう人なのよ、柏木先生は!」


 三浦は慌てて手を振った。


「ただ、親しい関係については、先生ご自身は……」


「分かってるわ」


 小宮は満足そうに微笑んだ。


「人前では認められないのよね。あの人、そういうところがあるから」


「いえ、そういう意味では……」


「でも、私のことが心配なのね」


 小宮は胸の前で手を組んだ。


「そうよね。ずっと会えていないんだもの。きっと寂しいのよ」


 三浦は口を開きかけ、閉じた。


 違う。


 少なくとも、柏木はそんなことを言っていない。


 ただ近況を尋ねただけだ。


 それなのに、小宮はすでに自分の中で答えを出してしまっている。


「ねえ、三浦くん」


「はい」


「早くここから出して」


「……はい?」


「柏木先生が待ってるんだから」


 三浦は困り果てた。


「それは、裁判の手続きもありますし、すぐには……」


「あなた、私の弁護士でしょう?」


「もちろんです」


「だったら、お願いね」


 小宮はにっこり笑った。


「もう、あの人を一人にしておけないわ」


 三浦は手帳を閉じた。


 今日、学校で聞いた証言。


 柏木本人の言葉。


 そして、目の前の小宮の言葉。


 どれも正確に覚えている。


 なのに、どうしても一つにつながらなかった。


 面会を終え、廊下を歩きながら、三浦は小さく息を吐いた。


 余計なことを言ってしまった。


 それだけは、はっきりと分かっていた。


 *


「母ちゃん、これ見て」


 柏木家の居間では、佑がノートパソコンを開いていた。


 隣には美沙が座っている。


 もっとも、椅子に腰掛けているように見えるだけで、実際に体重がかかっているわけではない。


「何よ」


「悪霊」


「……あんた、もうちょっと言い方ないの?」


「いや、調べてるんだって」


 佑は画面を指さした。


「悪霊っていうのは、人間に害を与える霊のことらしい」


「それは分かるわよ」


「でも、死んだ人間の霊って説明が多いんだよな」


「小宮は死んでないんでしょう?」


「父ちゃんはそう言ってた」


 佑は画面をスクロールした。


「次、亡霊」


「……ねえ」


「何?」


「もうちょっと明るい言葉はないの?」


「霊を調べてるんだから仕方ないだろ」


「そうだけどさあ」


 美沙は不満そうに画面を覗き込んだ。


「亡霊も死んだ人間か」


「そうみたい」


「じゃあ違うわね」


「次、怨霊」


「ちょっと!」


「何だよ」


「さっきから怖いのばっかりじゃない!」


「母ちゃん、幽霊だろ」


「幽霊だって怖いものは怖いの!」


 佑は思わず笑った。


「自分も幽霊なのに?」


「自分のことと他人のことは別なのよ」


「都合いいなあ」


「いいから、早く調べなさい」


 美沙は腕を組んだ。


 佑は笑いをこらえながら、再びキーボードに向かった。


 いくつかのサイトを開いてみたが、どれも似たような説明だった。


 死者の魂。


 成仏できない霊。


 恨みを残して死んだ人間。


 小宮に当てはまりそうなものは、なかなか見つからない。


「そもそもさ」


 佑が言った。


「小宮って、本当に生きてるんだよな」


「父ちゃんは、死んだなんて聞いてないって言ってたわよ」


「うん。でも、母ちゃんには見えたんだよな」


「見えたわよ。はっきりと」


「父ちゃんの枕元に?」


「そう」


 美沙の表情が変わった。


「あの女、ずっと彼を見てたの」


「ずっと?」


「ええ。何も言わずに、じっと」


 佑は画面から目を離した。


「父ちゃんは気づかなかったんだよな」


「ぐっすり眠ってたもの」


「母ちゃんにだけ見えた……」


 佑は考え込んだ。


 死んだ人間の霊なら、母ちゃんと同じだ。


 だが、小宮は生きている。


 それなのに、姿が現れた。


「……じゃあさ」


「うん?」


「生きてる人間の霊って、ないのかな」


 美沙は首を傾げた。


「生きてる人間の霊?」


「うん。死んでなくても、魂だけ出てくるとか」


「そんなことできるの?」


「知らないから調べるんだろ」


 佑は検索欄に文字を打ち込んだ。


『生きている人間 霊』


 検索結果が表示された。


「……あ」


「何か出た?」


「ちょっと待って」


 佑は一つの記事を開いた。


「幽体離脱……」


「幽体離脱?」


「肉体から意識とか魂が抜け出すっていう話らしい」


「へえ……」


 美沙は画面を覗き込んだ。


「でも、それって自分で抜け出すんじゃないの?」


「自分の意思でやるって話もあるみたいだけど、そうじゃない話もあるらしい」


「ふうん」


「まあ、科学的に確認されてるわけじゃないけどね」


 佑はさらに画面をスクロールした。


 そこで、ある言葉に目が止まった。


「……生霊」


「いきりょう?」


「うん」


 佑はその文字をクリックした。


 画面には、生きている人間の強い感情や執着が、霊となって他人のもとへ現れるという、古くからの言い伝えが紹介されていた。


「母ちゃん」


「何?」


「これ、読んで」


 美沙は画面に顔を近づけた。


「強い恨みや嫉妬、執着……」


「うん」


「本人が意識していなくても、相手のもとに現れることがある……」


 美沙は黙った。


 佑も、しばらく何も言わなかった。


「……これじゃないか?」


 やがて佑が言った。


「小宮は生きてる。なのに、母ちゃんには見えた」


「うん」


「しかも、父ちゃんの枕元に立ってたんだろ?」


「そうよ」


「小宮が父ちゃんに執着してるのは、間違いないし」


 美沙は画面を見つめた。


 強い感情。


 執着。


 本人の意思とは関係なく、相手のもとへ現れる。


 思い当たることばかりだった。


「……生きてても、来られるのね」


 美沙が呟いた。


「まあ、昔からそういう話があるってだけだけど」


「でも、私だってこうしてここにいるじゃない」


 佑は母を見た。


「それはそうだけど」


「幽霊がいるんだから、生霊がいたっておかしくないでしょう?」


「……確かに」


 佑は再び画面に目を向けた。


「それにさ、これなら説明がつくんだよ」


「何が?」


「父ちゃんには見えなくて、母ちゃんにだけ見えたこと」


 美沙は頷いた。


「そうね」


「小宮が生きてるなら、普通の幽霊じゃない。でも、母ちゃんには霊として見えた」


「うん」


「だったら、生霊っていうのが一番近い気がする」


 美沙は腕を組んだ。


「……あの女、死んでもいないのに、彼のところまで来るなんて」


「母ちゃん」


「何?」


「怒るのは分かるけど、問題はそこじゃないだろ」


「分かってるわよ」


 美沙は頬を膨らませた。


「でも腹が立つのよ。あの女、どこまで彼につきまとうつもりなのかしら」


 佑は苦笑した。


 そして、ふと真顔になった。


「なあ、母ちゃん」


「うん?」


「生霊って、本人が来てる自覚がないこともあるんだよな」


「そう書いてあるわね」


「じゃあ、小宮自身は知らないかもしれないってことか」


「……そうなるわね」


「しかも、捕まってるのに出てこられる」


 美沙は黙った。


 佑は画面を見つめたまま続けた。


「だったら、閉じ込めておいても意味ないじゃん」


 その言葉に、美沙も表情を曇らせた。


 小宮は警察に捕まっている。


 それでも、ここへ来た。


 誰にも気づかれずに。


 彼の枕元まで。


「……そうね」


 美沙は小さく答えた。


 佑は検索結果に戻り、別の記事を開いた。


「じゃあ、どうすればいいんだろう」


「何が?」


「生霊を追い払う方法」


 美沙は画面を覗き込んだ。


 そこには、お祓いや祈祷、相手の執着を断つことなど、さまざまな方法が書かれていた。


「お祓い……」


「うん」


「お寺とか神社に行くの?」


「そういう方法もあるみたいだけど」


「私も一緒に行って大丈夫かしら」


「……何で?」


「だって、私も幽霊よ?」


 佑は母を見た。


 美沙も真剣な顔で佑を見返した。


「……母ちゃんまで祓われたら困るな」


「でしょう!」


 二人は顔を見合わせた。


 そして、思わず笑った。


 けれど、笑いは長く続かなかった。


 画面には、まだ「生霊」という文字が表示されている。


 佑はその文字を見つめた。


「……でさ、母ちゃん」


「何?」


「結局、どうやったら小宮を帰せるんだ?」


 美沙は答えなかった。


 ただ、画面に並ぶ文字をじっと見つめていた。


 生きている人間の霊。


 強い執着によって現れるもの。


 もし、それが本当に小宮なのだとしたら。


 あの女の執着が消えない限り、何度でもここへ来るのだろうか。


 美沙は、寝室の方へ目を向けた。


 今夜も、彼はあそこで眠る。


 そして、あの女がまた現れないという保証は、どこにもなかった。

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