↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・母ちゃんが、いる。  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/29

第四章 夢の中まで

第四章 夢の中まで


 翌朝、父は昨日より少しだけましな顔で台所へ下りてきた。


「おはよう」


「父さん、身体は?」


「少し疲れが取れた気がするよ」


 父は自分の肩を回した。


 目の下にはまだ影が残っている。けれど、昨日の朝ほどひどくはなかった。


「そりゃ、途中であの女が消えたからよ」


 母親が言った。


「父さん。昨日の夜のことなんだけど」


「ああ」


 父はコーヒーを淹れながら答えた。


「何となく覚えているよ。佑が部屋へ入ってきたんだったな」


「母ちゃんが、父さんの枕元に小宮がいたって言ってる」


 父の手が止まった。


「小宮さんが?」


「うん」


「絶対に小宮だったわよ」


 母親が父の前へ立つ。


「見間違えるわけないでしょ。私を殺して、佑まで殺そうとした女よ」


「見間違いじゃないって」


 俺が伝えると、父はカップを持ったまま考え込んだ。


「しかし、小宮さんは身柄を拘束されているはずだ」


「逃げたって連絡もないよな」


「もちろんだ。もし何かあれば、警察から連絡が来る」


「じゃあ、死んだんじゃない?」


 俺が母親を見る。


「ちょっと私を見ないで、私知らないわよ」


「母ちゃんと同じ幽霊なら、父さんの部屋に出てもおかしくないだろ」


「おかしいわよ。私は家族だからいるの。あの女は他人でしょうが」


「幽霊に家族以外は出ないって決まりがあるのかよ」


「知らないわよ。幽霊の専門家じゃないんだから」


「母さんは何て?」


 父が尋ねた。


「小宮が死んだなんて聞いてない。それに、他人が勝手に家へ出るのはおかしいって」


「前半はともかく、後半は母さんの感想だな」


 父が少しだけ笑った。


「何よ。人が心配してるのに」


 母親が口を尖らせる。


 父にはその顔も見えない。


 笑みを消すと、父は母親がいる辺りへ顔を向けた。


「母さん。本当に小宮さんだったんだな」


「そうよ」


「間違いないって」


 父はゆっくり頷いた。


「分かった。母さんがそう言うなら、見間違いだと決めつけることはできないな」


「最初から信じなさいよ」


「今夜、確かめよう」


 俺が言うと、父がこちらを見る。


「確かめる?」


「俺も父さんの部屋で寝る。母ちゃんには起きて見張ってもらう」


「何で私だけ起きてるのよ」


「母ちゃんは寝ないだろ」


「寝ないんじゃなくて、眠れないの」


「同じだよ」


「全然違うわよ」


 母親は不満そうだったが、反対はしなかった。


     ◇


 その夜、父のベッドの横へ布団を敷いた。


 父はベッドに入り、俺は床の布団へ横になる。


 母親は窓際に立ち、腕を組んで父の枕元を見張っていた。


「何だか、変な感じだな」


 父が言った。


「何が?」


「家族が揃って、一つの部屋で眠るなんて、いつ以来だろうと思って」


 父の声は、少し楽しそうだった。


「母ちゃんは寝ないけどな」


「そうだったな」


「私だけ仲間外れみたいに言わないでよ」


 母親が抗議する。


「母ちゃんが、仲間外れにするなって」


「母さんの布団も用意したほうがよかったか?」


「どうせ沈むだろ」


「それでも気持ちの問題よ」


「いる?」


「邪魔になるから、いらない」


「どっちだよ」


 父が声を立てて笑った。


 昨日までの疲れ切った顔を思えば、その笑い声を聞けただけでも少し安心した。


「じゃあ、電気を消すぞ」


 照明が消える。


 部屋の中が暗くなった。


 母親の姿だけが、暗闇の中でぼんやりと浮かんで見える。


 父はすぐに寝息を立て始めた。


 俺は目を閉じたが、なかなか眠れなかった。


 今夜も小宮が現れるのか。


 本当に母親が見たものは、小宮だったのか。


 もし現れても、俺には見えない。


 それが一番気味悪かった。


「母ちゃん」


 小声で呼ぶ。


「何?」


「ちゃんと見てろよ」


「分かってるわよ」


「何か出たら、すぐ起こして」


「はいはい」


「返事が軽いんだよ」


「寝る人は黙って寝なさい」


 母親に叱られ、俺はもう一度目を閉じた。


     ◇


 やがて、部屋には二人分の寝息だけが残った。


 美沙は窓際に立ったまま、父と佑を交互に見た。


「何で私だけ、眠くならないのかしら」


 返事をする者はいない。


「二人とも寝ちゃって、寂しいじゃない」


 彼は静かに眠っている。


 佑も、床の布団から顔を半分だけ出していた。


「寝相は、昔よりましになったわね」


 美沙が呟いた、そのときだった。


 彼の枕元に、青白い光が浮かんだ。


 最初は、細い煙のように揺れていた。


 やがて光は人の輪郭を作り、少しずつ色を帯びていく。


 黒い髪。


 淡い色の服。


 彼の寝顔へ向けられた、うっとりとした微笑み。


 小宮だった。


 小宮は、美沙にも佑にも気づかず、父だけを見つめている。


 その顔を見た瞬間、美沙の胸に薄寒いものが走った。


 自分が殺した女の夫を見つめる顔ではなかった。


 そこにいるのが当然だと、最初から自分のものだったと信じている顔だった。


「柏木先生」


 小宮が囁く。


「今日も会えましたね」


 彼の眉が、わずかに寄った。


 小宮は気づかず、その頬へ手を伸ばす。


「何やってんのよ、ひとんちで」


 美沙は低い声で言った。


 小宮の手が止まる。


 ゆっくりと顔だけを母親へ向けた。


 微笑みが消える。


「……どうして、あなたがここにいるの?」


 小宮の目に、驚きよりも先に嫌悪が浮かんだ。


「それはこっちの台詞よ! 人の家に勝手に入って、何してんのよ!」


 小宮は一瞬黙った。


 それから、小さく鼻で笑う。


「本当に、あなたって品性のかけらもないわね」


「何ですって?」


「夢だから仕方ないとしても、そんな大声を出したら、柏木先生が驚いてしまうじゃない」


「夢?」


「そうでしょう。死んだ人間が喋っているんですもの」


「私が死んだのは、あんたが殺したからでしょうが!」


「少し静かにしてくださらない?」


 小宮は母親から視線を外し、再び父を見た。


「私は、柏木先生を見ていたいの」


 美沙のこめかみに、青筋が浮かんだように見えた。


「ここは私の家よ! 寝てるのは私の夫! あんたの夢の中じゃない!」


「私が見ている夢なんだから、私の夢でしょう」


「人んちへ勝手に出てきて、何言ってんのよ!」


「それに、あなたの夫という言い方もやめてもらえます?」


「夫だから夫って言ってんのよ!」


「八年も放っておいたくせに」


 美沙の表情が止まった。


 小宮は、口元だけで微笑んだ。


「柏木先生がお一人で苦しんでいた八年間、そばにいたのは私です」


「放っておいたんじゃない。帰れなかったのよ」


「同じことです。先生のそばに、あなたはいなかった」


「誰のせいよ!」


 美沙の声が、部屋に響いた。


     ◇


「母ちゃん……?」


 怒鳴り声で目を覚ました。


 暗い部屋の中で、母親が父の枕元を睨んでいる。


「どうした? 現れたのか?」


「ちょっと前から、そこにいるわよ!」


 母親が指さす。


 けれど、俺には何も見えない。


 父は眠ったままだった。


 苦しそうに眉を寄せ、浅い呼吸を繰り返している。


「どこだよ」


「お父さんの枕元!」


「何してる?」


「お父さんを見てる!」


 俺が起き上がると、母親の視線がわずかに動いた。


 見えない誰かを追っている。


「何て言ってる?」


「ほんっと、邪魔な親子。夢の中まで邪魔をしに来るなんて、だって」


「夢?」


 母親の目が大きくなった。


 その直後、怒りの向け先を失ったように顔を歪める。


「消えたわ」


 父が長く息を吐いた。


 固く寄っていた眉が、少しずつ開いていく。


「本当に小宮だったのか」


「何度聞くのよ。小宮よ!」


「何て言ってた」


「ここは自分の夢だって。死んだ人間が喋ってるんだから、夢に決まってるって」


「母ちゃんが見えてたのか」


「見えてたわよ。偉そうに私のことを品性のかけらもないって言って、お父さんを見ていたいから静かにしろって」


「それから?」


「お父さんを八年間支えたのは自分だって。私が八年も放っておいたって……」


 母親の声が小さくなった。


 言い返す言葉はいくらでもあったはずなのに、その一言だけは残っているらしい。


「放っておいたんじゃないだろ」


「分かってるわよ」


 母親はそう答えながら、父の顔を見た。


 さっきまで汗が浮かび、苦しそうに歪んでいた顔が、今は穏やかになっている。


 呼吸も深く、静かだった。


「どうした?」


「この前もそうだった」


「何が」


「あの女がいたとき、お父さんは苦しそうだった。消えたら、呼吸が戻った」


 母親は父の枕元へ近づいた。


「今もよ。あの女が消れたら、顔が戻った」


「じゃあ、父さんが疲れてるのは……」


「分からない。あの女が何をしてるのかも、どうしてここへ来られるのかも」


 母親は、小宮が立っていた場所を睨んだ。


「でも、お父さんをこんなにしたのは、あの女よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。